先週もいろいろありました。一週間は短いと思いますけど、日々の出来事を思い出すとその短い期間にも色々なことが起こっていることが実感されます。
先週の大きなニュースの一つはジュリアン アサンジュの出所ですかね。2006年のWikiLeaksの創設によって、世界に名を知られることになったアサンジュは、この活動を通じて国家の犯罪を明らかにし、ジャーナリズムに大きな貢献をしました。彼が明らかにしてきた数々の国家の犯罪の中で、最大のインパクトがあったのは、アフガニスタンとイラクでのアメリカ軍の機密文書の公開ではなかったでしょうか。国家の機密を盗み出すことは犯罪ですが、それを公開する者を罰するのは筋違いであります。まして、その機密が国家の犯罪である場合は、いわば公益通報のようなものであって、むしろ、それがジャーナリズムの本質的な役割と言って良いでしょう。
Wikileaksと彼の活動に対しては、複数の機関がその貢献に対して賞賛をおくってきた一方で、アメリカ政府は、アサンジュを刑事告発。先週もボリビアでのクーデターを支援して失敗したアメリカ政府ですが、さすがに世界中で他国の内政に軍事的に介入し、70件にも及ぶ数の国家転覆を企てたとされる国ですから、色々とバラされては困るのはわかります。アサンジュは2010年にスウェーデンで性加害を仕立て上げられて、国際手配されイギリスで逮捕、勾留されました。スウェーデンはとっくの昔にこの件を終結させたのに、なぜか勾留は解かれぬまま、このほどアメリカとの司法取引がようやく、成立しサイパンで有罪を認める代わりに釈放されて、ようやくオーストラリアに帰りました。
人道主義と真っ向から対立しているのが欧米の帝国主義であり、それは姿形を変えて存続し、現在も人類の不幸を生み出し続けています。ジャーナリストの活動などを通じて、世界の人々が「知る」ことが、そうした人類に対する国家的犯罪を抑制していく第一歩であると私は思います。人道主義、すなわち我々自身と世界の人々の安寧と平和を実現しようとする活動において、「知は力」であり「無知に住ずることは不善」であります。世界や自らの国やその政府をまずは知り、そして自らの頭で思考することなしに、それらを改善できるわけがありません。ジャーナリズムとは人々を啓蒙し、権力の暴走をペンの力で抑制する活動であり、村上春樹風に言えば、「常に卵の側に立つ」べきものです。残念ながら、現在の日本のマスメディアは、「壁」の側に立って「卵」を搾取する権力の広報機関と成り果ててしまいました。メディアが保身第一で、事なかれ主義の単なる傍観者、もしくは権力者のプロパガンディストして存在しているのなら、それはもうジャーナリズムでがありません。
もう一つの話題は、大統領選にむけてのトランプとバイデンの公開討論でしょうか。他の大統領候補者、ジル スタインやロバート ケネディJrらは、二大政党制というプロレス興行から弾き出されて、討論にも参加できず。アメリカやイギリスでは、この二大政党制というシステムが定着して、人々は投票によっていずれかの政党の政策を支援することが「民主主義」だと考えさせられているようです。しかし、アメリカや日本やイギリスが「民主主義国家」だというのは羊頭狗肉というものです。いずれの政党も一般国民の利益を考えていはいません。もしそうであれば、富は適切に再配分され、格差は縮まっていくはずですから。実際に起きているのは、その真逆であり、政府に直接影響を及ぼすことができるだけの経済力や権力を持つものが、彼らの利益のために庶民を搾取し続けているのが現実です。大統領選を戦うのに50億ドル以上の金がかかり、日本の衆議院選には立候補するだけで、最低でも300万円の金を預けなければならないような国が民主主義国家であるはずがありません。金の出所が選挙前から政治を支配しているのです。イスラエルやウクライナの政策に見られるように、実際の政治を動かしているのは、そのどちらでもあってどちらでもない勢力であり、実際は、国民は選挙というセレモニーで、あたかも彼らが政策決定に参加しているかのような幻想を持たされているだけと言っても良いでしょう。
昔の職場では、リサイクルに回す紙は、白黒印刷の紙とカラー印刷の紙に分別するように別々の容器が用意されていましたが、廃棄紙を収集に来る人が、分別した容器の中身を一緒くたにまとめて持っていくのを見て、何のための分別だったのだろう、と思ったことがありました。二大政党制はこのリサイクル容器を思い出します。どちらに投票しても、結局、政策は似たり寄ったり、共通しているのは一般市民の利益よりも、政治家と一部の金を力を持つ者の利益のための政策(カバルのアジェンダ)が粛々と実行されていくということです。
多額の献金が可能な資本家、組織票を纏めることができる宗教団体、政治家の地位を維持させてくれるそうした一部の団体の便宜を図るために、彼らには補助金を出し、公共事業を請け負わせ、減税してやる一方で、消費税などを増税して一般国民にツケを回して帳尻を合わせる、それが政府のやっていることです。アメリカ政府も同じことで、その典型例が、政治家に対するAIPACの献金と脅迫によるイスラエルへの軍事支援政策でしょう。アメリカがイスラエルを支援しなければ、今回のような規模の民族殲滅を目指したような大量殺人は不可能だったのですから。
さて、大統領候補者討論、4年前のこの二人の討論もひどかったですが、今回は前回以上で、舞台に上がったのは、一人はボケ老人で、もう一人は犯罪者。「カレー味のう◯◯」か「う◯◯味のカレー」かという究極の選択の例えを思い出しましたが、実のところは、二人とも「う◯◯味のう◯◯」。通常は、選挙戦の後半に支持率アップさせるような減税とか利下げとかの政策を打つことができる現職者が有利なはずですが、今回は、イスラエルのジェノサイドを支援し続け、インフレを押さえきれずに利下げもできず、社会格差をどんどん広げてきて、ただでさえ評判の悪いバイデンなのに、これほどまでのモウロクぶりを討論会で見せつけたのでは、彼の勝ち目はありません。スウィング ステートは全部、共和党に取られて民主党は歴史的敗北を喫するでしょう。この討論の前、国際紛争に詳しいイギリスの議員George Gallowayはインタビューで「米大統領選はトランプの地滑り的勝利におわる」と言っていましたが、正確には「バイデンの地滑り的敗北」であって、結果、我々は大統領に最も相応しくない人間が二度も大統領になるという悲喜劇を見せられることになるようです。ま、大統領にふさわしい人間など民主党にもいませんけど。バイデンを降ろして候補を差し替えるにしても時間も適当な候補者もない状態では、民主党の勝利はまずないでしょう。(と、書いていたら、バイデンは大統領選から降りるらしい、といううわさが聞こえてきましたが、どうなんでしょう)
ただ、トランプが大統領に再選された場合に、一つよいことは、ウクライナの戦争が終わるであろうということでしょうか。バイデンが二期目を続けたのでは核戦争になりかねません。トランプは以前からウクライナへの支援を取りやめて、資金を国内に回すと明言してきました。先週、ゼレンスキーが突然、戦争終結のための交渉の計画を口にしだしたのは、バイデンの勝ち目がないと悟ったからかもしれません。交渉といっても、ロシアの要求は2014年時のウクライナのクーデター時から変わっていないので、ゼレンスキーがロシアの要求を飲むか飲まないかの二者択一ですが。
しかし、トランプが大統領に再選されたとしても、イスラエルの支援は継続され、パレスティナの迫害は止まらないでしょう。それほど「反ユダヤ」カードはアメリカの政治家に対して強力であり、一旦「反ユダヤ」のレッテルを貼られたら、それは政治生命の終わりを意味することになります(少なくともこれまでは)。
イスラエルに対するイスラム、アラブの反感は高まる一方。同時に、先日、話題にした通り中東周辺の国々、イラン、エチオピア、サウジアラビア、エジプト、UAEなど、イスラム系国家は続々とBRICSへ参加していっています。いくらアメリカが支援するとは言え、イスラエルがこれからも中東でバカ続けると、ロシアがアラブ連合軍を引き連れて出てきます。そうでなくてもヒズボラの兵力はすでにイスラエルを圧倒しているという話です。ロシアがコーカサスを下れば、それは核兵器による第三次世界戦争を意味し、イスラエルのみならずアメリカ本土も無傷ではすみません。しかし、トランプがその危機を回避できる知恵を持っているとはとても思えません。
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