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2024-08-13 | Weblog
先週は、長崎市長が平和祈念式典へイスラエルを招待せず、パレスティナを招待したことが、世界中で話題になりました。世界のメディアは長崎市長の英断を讃える一方、イスラエルの招待がなかったことに抗議したG7国の大使は出席を見合わせました。アメリカの駐日エマニュエル大使は父親が右翼シオニストのイスラエル人、自身はもちろんユダヤ人という出自。自民党政権が統一教会に牛耳られている以上に、アメリカ議会や政府がシオニストに牛耳られており、G7諸国はアメリカに追従して保身を図るという構造が顕わで情けない気持ちになります。

アメリカ大統領選に立候補しているGreen partyの反シオニズム ユダヤ人であるJill Steinは、「米国は、歴史上最悪の大量殺戮のひとつである長崎の原爆投下記念式典をボイコットし、ガザで民間人を虐殺するために米国製爆弾を使用するイスラエルを支持した。ジェノサイド支援の バイデン-ハリスは、どこまで堕ちて行くのか?」とツイート。

原爆が広島や長崎の市民の上にいきなり投下され、合計25万人が殺されたということはどういうことか、東京大空襲の絨毯爆撃で、東京市民10万人が殺されたということがどういうことか、それは、今ガザで起きているイスラエルのジェノサイドと相似であることは明らかではないでしょうか。当時、帝国主義の日本が近隣アジアに侵攻の末、中国と戦争状態にあった中での真珠湾攻撃と、75年の不法占領下で抑圧されてきたパレスティナの武力抵抗である10/7のハマスのイスラエル攻撃を対等に並べることはできません。しかし、紛争終結という目的には不要であった原爆や空爆による大量の一般市民の虐殺は、ガザでの絨毯攻撃による市民の虐殺と社会インフラの破壊という点において性質は同じです。つまり、他の人間を大量に殺す力をたまたま持つものがその力を弱い立場の人間に平然と行使し、弱いものを傷つけて命と権利を奪うという、「人間性」への攻撃であります。戦闘員ではない市井の人々が日々の生活を送り命を繋ぐという根本的な人間の営みを、力によって奪い去る行為です。当時の米軍や今のイスラエルは、市民と戦闘員、戦争とジェノサイドの区別もついていないか、悪意をもって意図的に混同しているのでしょう。加えて、日本人市民やパレスティナ人は自分達と同じ人間であるという認識がないのです。彼らは単なる殺人マシンであって、自分たちが何をやっているのかさえわかっていないと言えます。アメリカの原爆投下は、原爆の実地実験に過ぎませんでした。しかし、イスラエルによるガザのジェノサイドは、市民を殺し、生活と社会を破壊し、その土地を手に入れることを目的としたもので、はるかに邪悪なものです。ここまで「人の心」を失った悪質なシオニスト政権とそれに洗脳されたイスラエル人、そして保身のためにイスラエル支持を続けて殺人幇助を続けるアメリカ政府と西ヨーロッパ諸国、には心からの軽蔑と怒りの念しかありません。

ガザでの死者は18万人以上と見積もられており、殺された人々に加えて、生涯残る障害を負った人々は数えきれず、しかも、イスラエル スナイパーは意図的に子供や妊婦を狙い、彼らを殺すことができない場合は障害者にすることを目的に膝を撃つという話もあります。スナイパーによって殺された子供を調べた医師は、頭に二発の銃弾が打ち込まれていることを見て、「たまたまうっかり子供に銃弾が当たったということはあり得ない、意図的に殺そうとして撃たなければ、二発の銃弾を頭に受けるわけがない」と述べています。5歳の子供が両手両足を吹き飛ばされて、残って短い棒になってしまった手足で泣きながら懸命に生きようとしている映像を見て、何も思わないなら人間ではありません。つくづく、イスラエルの邪悪さと残忍さに怒りが募ります。
被爆者の人やガザの市民だけの問題ではなく、力を持つものが邪悪な意図を持って行った「人類に対する犯罪」が、原爆投下でありガザのジェノサイドです。本来なら、イスラエルに対して最も大きな反対の声をあげる資格のあるのは日本なのです。しかしアメリカの植民地である日本で、その植民地管理の現地代理人である自民党政権が、シオニストに牛耳られているアメリカ政府の意向に反して「正義の声」をあげることはありません。イスラエルの横暴を見て見ぬふりをして、遠い中東での出来事であって、自分とは関係のない話として耳を塞ぎ、目を塞いでいるのです。他国の人々の苦難どころか、自民党には自国民の苦難や困難も他人事だし、もっと言えば、日本の将来にさえ無関心、彼らの頭にあるのは、「今だけ、金だけ、自分だけ」。

さて、長崎市長は、同じ人間性の蹂躙を味わったものとして、パレスティナを招きイスラエルを拒絶することで、「人間性」への支援と連帯の意思を示しました。「人間の生命と尊厳」に対する邪悪な攻撃が、大国アメリカの後ろ盾でイスラエルというカルト国家によって、堂々と行われ続けています。これは、当事者だけでなく、世界の全人類に関わる問題であり、日本人の一人一人の問題でもあります。

ガザにおいて、力を持つものが、立場の弱い人間の尊厳と権利と生命を力ずくで奪い取るということが当たり前のように行われている現実が、自分のこととして実感できない人は是非、自民党の改憲案を見てください。われわれの権利もアメリカの植民地現地管理人の自民党によって、次々と奪われて行っていきます。

基本的人権の保障を述べた憲法97条は、自民党案では11条と重複するという理由で、丸々削除されています。そもそも基本的人権が二つの条項にわざわざ書いてあるには理由があります。11条は「国民の権利・義務」としての記載ですが、97条は国家権力側の義務として書かれているのです。97条の削除は、極論すれば、国民の基本的人権は保障されるべきだが、国家は必ずしもその保護に責任を持たない、と言っているようなものです。つまり、自民党は基本的人権が蹂躙される事態が起こりうることをすでに想定しており、それに対して責任を取る気がないということです。そして、自衛隊が軍隊と明記され、ナチスや今のウクライナと同じように、内閣が独裁政権を維持し法律を自在に変えることができるような「緊急事態条項」を潜り込ませようとしています。これを見れば明かでしょう。つまり、今後、日本は、表立ってアメリカや日本の軍産の戦争ビジネスのコマに使われ、国民は独裁政権によって否応なく徴兵されて、自国と無関係な戦地に送り込まれ、物資や食糧の輸入が途絶えて、あらゆる困窮のもとに置かれても、抵抗する権利もない状況に置かれる可能が正式に開かれるということです。

アメリカが反露政権に変え、ロシアを挑発してきた結果、西側の操り人形となったゼレンスキーが突っ走ってロシアと戦争となり、多大な人的、領土的、経済的困難を被り、焼け野原となったあと、国富をBlackRockにのっとられようとしているウクライナを見てください。プーチンは我慢の限界が近づいているようで、このままゼレンスキーが引かないようなら、ウクライナは消失するでしょう。それが将来の日本となりかねません。

私がガザの話を昨年の10月以来、綴り続けているのは、それが直接に自分自身の問題であるからであります。遠い中東の話ではありません。アメリカは第二次対戦後も世界各地で、他国政府の転覆を図り、テロを支援し、戦争を連綿と継続し続けてきました。今年になってだけでも、自国に都合の悪い政権は、反政府勢力を支援し、ボリビア、ベネズエラ、バングラデシュで政権の転覆を図り、先日は、米軍基地を拒否したバングラディシュでは実際に政権転覆がおきました。

敗戦後の日本は、面従腹背でアメリカに従順な顔をしながらも経済発展を目指し国益を追求してきましたが、戦後生まれで保身第一の世襲議員が総理をやるようになって、面従腹従、アメリカの単なる傀儡と成り果てました。このままアメリカとその植民地管理代理人である自民党政権に任せておいては、私自身や若い世代の人々の基本的人権がなくなり、独裁政権に意に沿わぬことを強制されて、殺されかねないし、そもそも、そうなる前に、今の政権では、経済、食料を貿易に頼っている日本は困窮して食い詰めることにもなりかねません。

そして何より、ガザで起こっていることやアメリカやイスラエルのテロ行為は、私が信じるところの「あらゆる人間は等しく尊い命と意志を持っており、それらは等しく尊重されなければならない」という信念に反しているからであります。それらが脅かされる時、知恵ある人々は話し合いで解決しようとしますが、愚か者は力でねじ伏せようとするのです。
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