人々を分断し、憎悪と対立を煽り、戦争を誘導して、そこから利益を得る、世界の支配者階級がやってきた「カネもうけ」の手口です。ブッシュの「テロとの戦争」は全くの言いがかりの虚構であり、その手口は、現在、逆にイスラム過激派テロ組織に使われています。東京新聞のコラム、筆洗から。
相手を憎むためには、自分と他人との分裂が必要です。自分は自分であって他人ではないという意識があるから、所有という概念が生まれます。自分を他人と比べます。そうしては不公平感を感じて不愉快になるのです。誰かがカネもちだと妬みます。誰かが親切でないと不愉快に思います。全ては「自我意識」ゆえの「失うことへの恐怖」から来ています。憎む人、怒る人、妬む人はそんな恐怖に捕われており、失う恐怖とは、自分というものが他者と分断して存在するという思い込みに由来していると思います。
しかし、実のところ、われわれは何も持たず、裸で生まれてきて、何も持って行くこともできずに裸で死んでいくのです。自分の体でさえ真に自分のものではありません。われわれはそれぞれにユニークな一生を、われわれの意思で生きるために、この地上に一瞬だけ存在しているのです。失うものなど最初から何もないのです。
人種や宗教や行動様式など、さまざまな理由で、人は他人を憎んだり、妬んだりします。世の中には、マナーの悪い人、分別の悪い人、性格の悪い人、悪意のある人、さまざまな人が居て、いろいろ迷惑に思うことも多いです。しかし、迷惑に思うということ自体が、エゴゆえの感情であり、自分と他人との分断ゆえです。他人は変えることはできません。われわれは彼らが彼らであることを認めることしかできません。認めることができずに困るのはそのようなネガティブな感情に振り回される自分自身です。
他者を許容することは子どもは比較的簡単にできるようです。大人になればなるほど、人はより狭量となり、不平と不満を抱いて、他人を変えようとして、挙げ句に戦争を起こします。大人はバカです。そして、過去を反省して、よりよい世界を望んだはずの日本人も他の国も、最近はどんどんバカになっていっているような気がします。
週末は、ぐるりと国会を囲んで、女性による「戦争反対」のデモ。人間の持つエゴを利用して、人々の憎悪を煽り、人種主義、国家主義を刷り込んで、戦争へと誘導するのは、連中の手口、しかし、大勢の日本人は、その手口に安易にのせられるほどバカではないと思いたいです。政府に首をつかまれている大手マスコミは国会前デモを報道することはありませんが、少しでもこうした人々の運動が広がっていけば、アベ内閣の暴走を止めることができるのではないかと思います。
世界は一つで人類はみな兄弟であることは真理です。同じ家の中で兄弟喧嘩しても結局、誰も得をしません。余計にその家で生活するのが不便になるだけです。世界の国同士で、まして狭いアジアの隣同士でケンカするのも同じことです。原爆を落とせば、放射能は回り回って自分に返ってくるのです。
折々の感情に際して、自我、エゴ、所有、というものを意識してみようとしています。われわれを毒する黒い感情は、それらをじっと見てやることで消えていくように思います。自分も他人もないというレベルにはなかなか行きませんけど、私がシャルリならば、同時に私はモスリムであり、ユダヤであり、テロリストであり、アベである、そして私はあなたの兄弟だ、というあたりから始めて見ればどうかと思います。
1985年のIsley Brothersのヒット「Caravan of Love」を貼付けておきたいと思います。
今、子どもならわかる、よりよい生き方があることを。
人間が生まれた所はすっかり忘れ去られてバラバラになってしまった。
私はあなたの兄弟、わかっているでしょう。
「テロとの戦争がテロの温床を増やしてきたこの間の歴史に学ぶべきだ」とドビルパン元仏首相は警告する▼「私はシャルリだ」と連帯の念を示すのは大切だ。ただ、「私は戦争で多くを奪われたイラク人だ」「私は何の希望も持てぬ移民の子だ」と想像してみることも、大切だろう。
相手を憎むためには、自分と他人との分裂が必要です。自分は自分であって他人ではないという意識があるから、所有という概念が生まれます。自分を他人と比べます。そうしては不公平感を感じて不愉快になるのです。誰かがカネもちだと妬みます。誰かが親切でないと不愉快に思います。全ては「自我意識」ゆえの「失うことへの恐怖」から来ています。憎む人、怒る人、妬む人はそんな恐怖に捕われており、失う恐怖とは、自分というものが他者と分断して存在するという思い込みに由来していると思います。
しかし、実のところ、われわれは何も持たず、裸で生まれてきて、何も持って行くこともできずに裸で死んでいくのです。自分の体でさえ真に自分のものではありません。われわれはそれぞれにユニークな一生を、われわれの意思で生きるために、この地上に一瞬だけ存在しているのです。失うものなど最初から何もないのです。
人種や宗教や行動様式など、さまざまな理由で、人は他人を憎んだり、妬んだりします。世の中には、マナーの悪い人、分別の悪い人、性格の悪い人、悪意のある人、さまざまな人が居て、いろいろ迷惑に思うことも多いです。しかし、迷惑に思うということ自体が、エゴゆえの感情であり、自分と他人との分断ゆえです。他人は変えることはできません。われわれは彼らが彼らであることを認めることしかできません。認めることができずに困るのはそのようなネガティブな感情に振り回される自分自身です。
他者を許容することは子どもは比較的簡単にできるようです。大人になればなるほど、人はより狭量となり、不平と不満を抱いて、他人を変えようとして、挙げ句に戦争を起こします。大人はバカです。そして、過去を反省して、よりよい世界を望んだはずの日本人も他の国も、最近はどんどんバカになっていっているような気がします。
週末は、ぐるりと国会を囲んで、女性による「戦争反対」のデモ。人間の持つエゴを利用して、人々の憎悪を煽り、人種主義、国家主義を刷り込んで、戦争へと誘導するのは、連中の手口、しかし、大勢の日本人は、その手口に安易にのせられるほどバカではないと思いたいです。政府に首をつかまれている大手マスコミは国会前デモを報道することはありませんが、少しでもこうした人々の運動が広がっていけば、アベ内閣の暴走を止めることができるのではないかと思います。
世界は一つで人類はみな兄弟であることは真理です。同じ家の中で兄弟喧嘩しても結局、誰も得をしません。余計にその家で生活するのが不便になるだけです。世界の国同士で、まして狭いアジアの隣同士でケンカするのも同じことです。原爆を落とせば、放射能は回り回って自分に返ってくるのです。
折々の感情に際して、自我、エゴ、所有、というものを意識してみようとしています。われわれを毒する黒い感情は、それらをじっと見てやることで消えていくように思います。自分も他人もないというレベルにはなかなか行きませんけど、私がシャルリならば、同時に私はモスリムであり、ユダヤであり、テロリストであり、アベである、そして私はあなたの兄弟だ、というあたりから始めて見ればどうかと思います。
1985年のIsley Brothersのヒット「Caravan of Love」を貼付けておきたいと思います。
今、子どもならわかる、よりよい生き方があることを。
人間が生まれた所はすっかり忘れ去られてバラバラになってしまった。
私はあなたの兄弟、わかっているでしょう。