学会はいまいち盛り上がりに欠けたものになりました。参加者も減っており(多分)、面白いと思う演題でも、反応は悪く、全体的に活気がありません。製薬会社の参加はかつての2-3割は減っているでしょう。この分野に関連する疾患群において、治療可能なものに対しては既にそこそこの薬が出揃い、治療の難しいものに関しては投資を控えつつある企業の傾向を反映しているのであろうと思います。早い話がカネになる分野ではなくなってきたということです。ウワサに聞くと、心臓関係の学会もかなり縮小しているという話です。同様の理由でしょう。おそらく、脳神経科学系もそういう傾向なのではないだろうかと想像します。
遠いところまで行って、いまいち、盛り上がらない学会で、学会でしか会わないような人々と直接話をしたり、食事をしたりという部分がなければ、行かないで、実験でもしていた方が余程プロダクティブではないだろうかと思ったぐらいです。ちょっと肉体的にも精神的にも疲れました。
思えば、製薬、医学、などの分野が非常に盛んになったのは、そう大昔ではありませんでした。科学そのものの歴史でさえ数百年にしか過ぎません。現在、生活に不可欠だと思っている、電気、車、通信、流通システム、医療技術、などなど、思えば、いずれも過去100年以内ほどにできたもので、人類の歴史からみると、ごく最近のものです。生命科学研究という活動も同じです。かつては趣味のような形で行われてきた生物学研究が生化学的手法、分子生物学、分子遺伝学的手法の開発などで、急激に発展し、その間におびただしい知見が発表されてきています。ゲノム解読も終わり、ほとんどの遺伝子のノックアウトは作られつつあり、従来の視点から見た場合の生命活動が大まかには理解できたという感覚があるのではないかな、と思います。生命を地球に喩えてみれば、人々が黄金の島を信じて、それを見つけに世界を探検した結果、結局、地球はある限りのある質量と体積を持つ小さな星にすぎないということがわかったようなものではないかと思います。これ以上、楽園を探しても、地上に存在する可能性は少ない、という失望感、つまり、これ以上、ある分野の研究をやったところで、カネになりそうにないというモチベーションの低下が、研究分野の盛り下がりに寄与していると思います。栄えれば滅びるのは世の常とはいうものの、数年前までは、右肩上がりで発展していく研究分野の中で、自分の場所を確保しようと努力してきたのに、気がつくと、数年前の有名人は分野を変えたり、研究をやめてしまったりして、櫛の歯がこぼれるように寂れていっているような、取り残されたような気分になり、寂しい気持ちになります。
思うに、この傾向は私の分野だけでなく、生命科学という活動全体に当てはまるのではないだろうかと思います。研究をする人々はますます減っていくだろうと思いますし、製薬会社のDrug discoveryプログラムはどんどん縮小していくだろうと想像します。残念な気もしますが、所詮、人間の活動など死ぬ時までのヒマつぶし、科学が廃れても人間は別のヒマつぶしを見つけることでしょう。嘆くようなことではないのかもしれません。
さて、安保法案が通り、原発再稼働が進み、人々は目の前の生活に追われて、だんだんと危険で住みにくい国になっていくのをなかなか止める術がない、つらい日々です。今回、史上最大の安保闘争デモが行われ、史上最悪の原発事故があったにもかかわらず、権力側にいる利権集団は露ほどの反省を見せることはありませんでした。しかし、われわれは少なくとも、この数々のデタラメを忘れてはいけないと思います。数では圧倒しているのです。長い時間が必要かもしれませんが、人々の意識が日本を良い方向に変えると信じております。
先日の川内原発2号機再稼働に関しての東京新聞社説から
九州電力は、川内原発2号機(鹿児島県)を1号機に続いて再稼働させた。住民の不安や疑問に耳をふさいで、同じタイプの原発の再稼働を急ぐ-。
原子力規制委員会の田中俊一委員長は先月、1号機が営業運転に入るのを前に「ひな型ができたので、審査はスムーズに進む」と話していた。
多くの住民の安全を“ひな型”で判断されてはたまらない。
八月、その1号機が再稼働して、約二年に及ぶ日本の原発ゼロに終止符が打たれたときと、周囲の状況は変わっていない。
規制委は安全の保証はしていない。しかし、紳士協定に基づいて再稼働に同意を与える鹿児島県などは、規制委によって安全性の確保が“確認”されていると言う。
新任の経済産業相は「万が一事故が起きれば、政府の責任は十二分にある」と話した。しかし、どのように責任を取るかは依然、定かでない。
相変わらずの無責任体制は、もう事故など起きないと、高をくくっているようにも見える。
福島の教訓は、いったいどこへ消えたのか。
説明不足も同様だ。、、、
九電は運転開始時から約三十年使っている2号機の蒸気発生器の交換を、三年後に先送りした。、、、地元紙が四月に県内で実施した世論調査では、再稼働に反対、計画に沿った避難は困難との回答が、いずれも約六割に上っている。
原発とその周辺環境は、それぞれ違う。周りの声に耳をふさいで、それを“ひな型”でくくるのは、乱暴だし、危険過ぎないか。
、、、
遠いところまで行って、いまいち、盛り上がらない学会で、学会でしか会わないような人々と直接話をしたり、食事をしたりという部分がなければ、行かないで、実験でもしていた方が余程プロダクティブではないだろうかと思ったぐらいです。ちょっと肉体的にも精神的にも疲れました。
思えば、製薬、医学、などの分野が非常に盛んになったのは、そう大昔ではありませんでした。科学そのものの歴史でさえ数百年にしか過ぎません。現在、生活に不可欠だと思っている、電気、車、通信、流通システム、医療技術、などなど、思えば、いずれも過去100年以内ほどにできたもので、人類の歴史からみると、ごく最近のものです。生命科学研究という活動も同じです。かつては趣味のような形で行われてきた生物学研究が生化学的手法、分子生物学、分子遺伝学的手法の開発などで、急激に発展し、その間におびただしい知見が発表されてきています。ゲノム解読も終わり、ほとんどの遺伝子のノックアウトは作られつつあり、従来の視点から見た場合の生命活動が大まかには理解できたという感覚があるのではないかな、と思います。生命を地球に喩えてみれば、人々が黄金の島を信じて、それを見つけに世界を探検した結果、結局、地球はある限りのある質量と体積を持つ小さな星にすぎないということがわかったようなものではないかと思います。これ以上、楽園を探しても、地上に存在する可能性は少ない、という失望感、つまり、これ以上、ある分野の研究をやったところで、カネになりそうにないというモチベーションの低下が、研究分野の盛り下がりに寄与していると思います。栄えれば滅びるのは世の常とはいうものの、数年前までは、右肩上がりで発展していく研究分野の中で、自分の場所を確保しようと努力してきたのに、気がつくと、数年前の有名人は分野を変えたり、研究をやめてしまったりして、櫛の歯がこぼれるように寂れていっているような、取り残されたような気分になり、寂しい気持ちになります。
思うに、この傾向は私の分野だけでなく、生命科学という活動全体に当てはまるのではないだろうかと思います。研究をする人々はますます減っていくだろうと思いますし、製薬会社のDrug discoveryプログラムはどんどん縮小していくだろうと想像します。残念な気もしますが、所詮、人間の活動など死ぬ時までのヒマつぶし、科学が廃れても人間は別のヒマつぶしを見つけることでしょう。嘆くようなことではないのかもしれません。
さて、安保法案が通り、原発再稼働が進み、人々は目の前の生活に追われて、だんだんと危険で住みにくい国になっていくのをなかなか止める術がない、つらい日々です。今回、史上最大の安保闘争デモが行われ、史上最悪の原発事故があったにもかかわらず、権力側にいる利権集団は露ほどの反省を見せることはありませんでした。しかし、われわれは少なくとも、この数々のデタラメを忘れてはいけないと思います。数では圧倒しているのです。長い時間が必要かもしれませんが、人々の意識が日本を良い方向に変えると信じております。
先日の川内原発2号機再稼働に関しての東京新聞社説から
九州電力は、川内原発2号機(鹿児島県)を1号機に続いて再稼働させた。住民の不安や疑問に耳をふさいで、同じタイプの原発の再稼働を急ぐ-。
原子力規制委員会の田中俊一委員長は先月、1号機が営業運転に入るのを前に「ひな型ができたので、審査はスムーズに進む」と話していた。
多くの住民の安全を“ひな型”で判断されてはたまらない。
八月、その1号機が再稼働して、約二年に及ぶ日本の原発ゼロに終止符が打たれたときと、周囲の状況は変わっていない。
規制委は安全の保証はしていない。しかし、紳士協定に基づいて再稼働に同意を与える鹿児島県などは、規制委によって安全性の確保が“確認”されていると言う。
新任の経済産業相は「万が一事故が起きれば、政府の責任は十二分にある」と話した。しかし、どのように責任を取るかは依然、定かでない。
相変わらずの無責任体制は、もう事故など起きないと、高をくくっているようにも見える。
福島の教訓は、いったいどこへ消えたのか。
説明不足も同様だ。、、、
九電は運転開始時から約三十年使っている2号機の蒸気発生器の交換を、三年後に先送りした。、、、地元紙が四月に県内で実施した世論調査では、再稼働に反対、計画に沿った避難は困難との回答が、いずれも約六割に上っている。
原発とその周辺環境は、それぞれ違う。周りの声に耳をふさいで、それを“ひな型”でくくるのは、乱暴だし、危険過ぎないか。
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