年を取って、体力と気力が衰え、視力、聴力、思考力と記憶力に不便を感じるようになりました。いまや、研究業界で生き残っていくための唯一と言って良い武器は経験ぐらいのものです。しかし、経験といっても小手先の論文やグラントの書き方の技術ぐらいのもので、武器とは言えるようなものかどうか疑問です。
研究において実験が成立するために必要なものは3つと言います。ポジティブコントロール、ネガティブコントロール、と実験意義です。これを標語にして机にでも貼っておけば、研究1年目でもそれなりに意味のある実験ができると思います。結局、経験というものは、研究の本質的な部分ではなく、研究という「ゲーム」の進め方、むしろ枝葉末節的なところぐらいにしか使い道はないのかもしれません。
とはいえ資本主義の世の中です。現実の研究は、結局は限りある研究資金と限りあるそれなりのジャーナルの紙面を争う生き残りをかけた戦いですので、そうやすやすと負けるというわけにはいきません。衰える体力や脳力を振り絞り、なんとか切れ味のよい新たな武器を身につける必要を常々感じております。
しかし「新たな武器」とはどういうものか、実は、それが問題です。多分、そのような武器は、研究計画申請書での「研究の革新性(Innovation)」の欄に自信を持って書けるようなものであるはずです。
近年、研究計画に関しては、とりわけ「Innovation」という言葉がもてはやされ、「Innovativeでない」は、かつての論文での「記述的でメカニズムが足りない」と同じぐらいに頻繁に見られる批判の言葉となりました。
しかるに、生物学研究における「Innovation」とは何ぞや、と問われると、その定義は非常に曖昧です。
Innovationを示すのに、一番、手っ取り早いのは、新しい研究技術を使うことでしょう。人々は機能にそう大差はなくても、新しいiPhoneが出たら、とにかく触ってみたいと思うのと同じだと思います。一方、技術的なInnovationに対し、概念的なInnovationを評価してもらうのは、はるかに難しいです。結果、研究者は、必然性がなくても何か目新しい技術に手を出さざるを得ないというような本末転倒ぎみのことが起こり得ます。
とある有名研究室では、免疫染色は蛍光抗体を使わねばならないと指導されているそうです。従来の色素を使った写真は"pretty"でないからという理由。つまり技術的に古い(即ちinnovativeでない)ものはできるだけ使わないようにせよ、ということのようです。実際に実験している者にとっては従来の色素を使った染色の方がはるかに情報量が多くて、蛍光染色は多分子の同時染色をしたりコンフォーカルを使ったりするとき以外にあまりメリットはないように思うのですが。論文も研究も見た目も大切とは思いますが、中身よりも見た目、生物学的意義よりも新しいテクノロジー、だんだん、そんな本末転倒的傾向が強くなってきているように感じます。
現実には、資本主義の世の中で、売れたものの勝ちです。見た目やハッタリ、ブランド化なども大事です。それはわかるのですけど、最近、自分のやっていることがインチキ教材の訪問販売と変わらないのではないかなどと思ったりすることもあります。
そんなシニカルな午後。
研究において実験が成立するために必要なものは3つと言います。ポジティブコントロール、ネガティブコントロール、と実験意義です。これを標語にして机にでも貼っておけば、研究1年目でもそれなりに意味のある実験ができると思います。結局、経験というものは、研究の本質的な部分ではなく、研究という「ゲーム」の進め方、むしろ枝葉末節的なところぐらいにしか使い道はないのかもしれません。
とはいえ資本主義の世の中です。現実の研究は、結局は限りある研究資金と限りあるそれなりのジャーナルの紙面を争う生き残りをかけた戦いですので、そうやすやすと負けるというわけにはいきません。衰える体力や脳力を振り絞り、なんとか切れ味のよい新たな武器を身につける必要を常々感じております。
しかし「新たな武器」とはどういうものか、実は、それが問題です。多分、そのような武器は、研究計画申請書での「研究の革新性(Innovation)」の欄に自信を持って書けるようなものであるはずです。
近年、研究計画に関しては、とりわけ「Innovation」という言葉がもてはやされ、「Innovativeでない」は、かつての論文での「記述的でメカニズムが足りない」と同じぐらいに頻繁に見られる批判の言葉となりました。
しかるに、生物学研究における「Innovation」とは何ぞや、と問われると、その定義は非常に曖昧です。
Innovationを示すのに、一番、手っ取り早いのは、新しい研究技術を使うことでしょう。人々は機能にそう大差はなくても、新しいiPhoneが出たら、とにかく触ってみたいと思うのと同じだと思います。一方、技術的なInnovationに対し、概念的なInnovationを評価してもらうのは、はるかに難しいです。結果、研究者は、必然性がなくても何か目新しい技術に手を出さざるを得ないというような本末転倒ぎみのことが起こり得ます。
とある有名研究室では、免疫染色は蛍光抗体を使わねばならないと指導されているそうです。従来の色素を使った写真は"pretty"でないからという理由。つまり技術的に古い(即ちinnovativeでない)ものはできるだけ使わないようにせよ、ということのようです。実際に実験している者にとっては従来の色素を使った染色の方がはるかに情報量が多くて、蛍光染色は多分子の同時染色をしたりコンフォーカルを使ったりするとき以外にあまりメリットはないように思うのですが。論文も研究も見た目も大切とは思いますが、中身よりも見た目、生物学的意義よりも新しいテクノロジー、だんだん、そんな本末転倒的傾向が強くなってきているように感じます。
現実には、資本主義の世の中で、売れたものの勝ちです。見た目やハッタリ、ブランド化なども大事です。それはわかるのですけど、最近、自分のやっていることがインチキ教材の訪問販売と変わらないのではないかなどと思ったりすることもあります。
そんなシニカルな午後。