先日投稿したところから、セミ アクセプトのお知らせ。エディターが一人のレビューアの無理筋の要求を上書きしてくれました。そのメールには、既に編集室の人が朱筆を入れた原稿が添付されていて、その手回しの良さに驚きました。流石に高い掲載料を取るだけのことはあります。
もう一本の論文は、投稿してから2ヶ月余り、放置の刑になっています。編集室に問い合わせたところ、一人のレビューアーがバックれたという話。よくある話です。レビューのような仕事は週末に回されるわけで、きっとこのレビューアも、最初は週末にやるつもりだったのでしょうが、気分が乗らないとか用事ができたとかの事情で一週間が経ち、二週間が経ち、三週間経ったところで多少の罪悪感に駆られはじめるも、どうしてもやる気にならず、もうこれはなかったことにしよう、編集室からの催促のメールも見なかったことにして、ひたすら貝になっていれば、相手もそのうち、あきらめるだろう、というパターンに陥ったに違いありません。気持ちはわからんではないですけどね。しかし、放置に生きるものは放置に死す、因果はめぐり、天網恢々、復讐するは我にあり、きっとアナタの論文も放置の刑に処されるであろう、と密かに思ったのでした。
論文のレビューと言えば、先月、引き受けた数本は、すべて某国の人が著者でした。一本はアメリカからで、それは余りストレスなく読めました。しかし、残りの本土からのは、一言でいうと、なってません。英語がおかしいのは目をつぶりましょう、科学的にどうよ、という点も議論はできます。味噌ラーメンと塩ラーメンを間違えるということもたまにはあるでしょう。しかし、ラーメン屋でラーメンを頼んだのにスパゲティーが出てきたりすると、流石にオイオイです。
こちらは提示されているデータから、その整合性をチェックした上で、論文に書かれているような結論を論理的に導き出せすことが可能かどうかを検討するだけのことですから、データそのものの適切性や誤りなどを評価することはまずできません。論文に書いてあることを信じるしかないわけですが、ラーメン鉢にあきらかにスパゲッティーが盛ってあったり、逆にラーメンがパスタ皿に乗せられていたり、ひどい場合は、出された物体の正体さえ定かでなかったりしたら、一体、何を信じていいのか、という気分になります。どうみてもスパゲッティーなのに太めのラーメンだと強弁するツワモノも稀におります。
時折見かける石のように融通の利かない西洋人も困りますが、ラーメンでもスパゲティーでも大した差はないじゃないの、とでも言わんばかりのこの国の研究者のテキトーさには、流石に真面目な日本人の私はムッとします。
人は人に優しくするために生きているのだ、とよく言われます。私も、厳しさよりも優しさ、狭量厳格であるより寛容であることの方が大切だと常々思っておりますが、私もメシの種にしている研究ですから、礼儀作法はそれなりに守ってもらいたい、と思うわけです。ま、しかし投稿してくる著者の方は、なんとも思っていないのでしょうね。そう思うと、勝手にムッとしている私がバカです。
そんな時に効くビデオ。この歌やその後の「モスクワ」が流行った大昔は、インターネットなどない時代で、曲はラジオでしか知りませんでした。最近、Youtubeで映像つきで再発見して、そのシュールさに感動しました。世界の色々な民族音楽を取り入れたディスコ調サウンドですね。どこの組織でも、しばしば、ろくに仕事もせずに踊っていたりするヤツがもっとも目立っていたりするものですね。
融通が利かない、真面目という印象の強いドイツですけど、これは強烈に効きます。楽しそうに歌って踊っているのがいいです。
敵がラーメンでくるなら、こちらはジンギスカンです。
もう一本の論文は、投稿してから2ヶ月余り、放置の刑になっています。編集室に問い合わせたところ、一人のレビューアーがバックれたという話。よくある話です。レビューのような仕事は週末に回されるわけで、きっとこのレビューアも、最初は週末にやるつもりだったのでしょうが、気分が乗らないとか用事ができたとかの事情で一週間が経ち、二週間が経ち、三週間経ったところで多少の罪悪感に駆られはじめるも、どうしてもやる気にならず、もうこれはなかったことにしよう、編集室からの催促のメールも見なかったことにして、ひたすら貝になっていれば、相手もそのうち、あきらめるだろう、というパターンに陥ったに違いありません。気持ちはわからんではないですけどね。しかし、放置に生きるものは放置に死す、因果はめぐり、天網恢々、復讐するは我にあり、きっとアナタの論文も放置の刑に処されるであろう、と密かに思ったのでした。
論文のレビューと言えば、先月、引き受けた数本は、すべて某国の人が著者でした。一本はアメリカからで、それは余りストレスなく読めました。しかし、残りの本土からのは、一言でいうと、なってません。英語がおかしいのは目をつぶりましょう、科学的にどうよ、という点も議論はできます。味噌ラーメンと塩ラーメンを間違えるということもたまにはあるでしょう。しかし、ラーメン屋でラーメンを頼んだのにスパゲティーが出てきたりすると、流石にオイオイです。
こちらは提示されているデータから、その整合性をチェックした上で、論文に書かれているような結論を論理的に導き出せすことが可能かどうかを検討するだけのことですから、データそのものの適切性や誤りなどを評価することはまずできません。論文に書いてあることを信じるしかないわけですが、ラーメン鉢にあきらかにスパゲッティーが盛ってあったり、逆にラーメンがパスタ皿に乗せられていたり、ひどい場合は、出された物体の正体さえ定かでなかったりしたら、一体、何を信じていいのか、という気分になります。どうみてもスパゲッティーなのに太めのラーメンだと強弁するツワモノも稀におります。
時折見かける石のように融通の利かない西洋人も困りますが、ラーメンでもスパゲティーでも大した差はないじゃないの、とでも言わんばかりのこの国の研究者のテキトーさには、流石に真面目な日本人の私はムッとします。
人は人に優しくするために生きているのだ、とよく言われます。私も、厳しさよりも優しさ、狭量厳格であるより寛容であることの方が大切だと常々思っておりますが、私もメシの種にしている研究ですから、礼儀作法はそれなりに守ってもらいたい、と思うわけです。ま、しかし投稿してくる著者の方は、なんとも思っていないのでしょうね。そう思うと、勝手にムッとしている私がバカです。
そんな時に効くビデオ。この歌やその後の「モスクワ」が流行った大昔は、インターネットなどない時代で、曲はラジオでしか知りませんでした。最近、Youtubeで映像つきで再発見して、そのシュールさに感動しました。世界の色々な民族音楽を取り入れたディスコ調サウンドですね。どこの組織でも、しばしば、ろくに仕事もせずに踊っていたりするヤツがもっとも目立っていたりするものですね。
融通が利かない、真面目という印象の強いドイツですけど、これは強烈に効きます。楽しそうに歌って踊っているのがいいです。
敵がラーメンでくるなら、こちらはジンギスカンです。