てなワケで、イギリスのEU離脱の交渉はこれから多分、年単位で始まる訳ですが、ドイツが早速「いいとこ取り」は許さない、みたいなことを言っています。ドイツではなく、ギリシャぐらいが言ってくれると面白いのになあなどと不謹慎なことを思ってしまいました。
ドイツの気持ちはよくわかります。とくにメルケル首相としては、キャメロンの馬鹿げた政治的バクチの失敗の煽りを食らったようなものですからね。キャメロンの政治生命がどうなろうと知ったことではないが、EUを道連れにして、ドイツにその尻拭いを押し付けるのでは、いい迷惑だと思っているでしょう。
EUという共同体のメンバーの権利を享受するには義務が伴う、当たり前だと思います。
そこには「フェア」であることを望む人間の心理があります。しかし、フェアであることを望むとは、嫌らしい見方をすれば、自分は他人に比べて「損」したくない、負けたくないという心理と同根ではないでしょうか。イギリスは外国移民の受け入れを制限するくせに、EUの市場には自由にアクセスしたいというのなら、ドイツやフランスがその移民の受け皿となって自分たちが「損」をすることになる、「フェア」でない、という言い分でしょう。もっともですが、では、より貧しいEU諸国の国民にとってはどうでしょう。同じ人間として同じヨーロッパに生まれたというのに、コチラは生きていくのに精一杯だ、豊かなライフスタイルを満喫しているイギリスやドイツの国民はアンフェアに地球のリソースを使いすぎている、ちょっとぐらいコチラに回してもバチは当たらんだろう、ぐらいのことは思っているでしょう。
つまり、フェアであることの基準など非常に恣意的で自分勝手なものです。思うに、フェアとかアンフェアという考え方も、各々の自己保存能の一部として社会生活を営む人間のエゴに対処するために生み出された概念ではないでしょうか。この辺りが、人間の社会の難しいところです。大勢のレベルの違う人間が集まって暮らすのですから、お互いのエゴがぶつかり合わないように調整するのは簡単ではありません。それで「フェアネス」という概念を発明せざるを得なかったのではないかと思います。
そして、フェアというものが概念で恣意的なものである以上、現実の世の中は「フェア」であるものなど何一つないわけで、要は、人々が納得できるかどうか、です。「いいとこ取りは許さない」とか「ただ乗りは許さない」と筋の通った発言をすれば、国民を納得させやすい。然るに、実際には「辞めたいという国をやめさせないことはできないのだから放っておく、引き続いてEU市場をイギリスに開放するかどうかはどちらがEU諸国にとってプラスになるかを考えてから決めればいい」と考えた方が「得」な結果になりそうです。しかし、それでは残った国の国民の「気持ち」が収まらんのですな。
キャメロンにしてもメルケルにしても、政治家であり、その主要アジェンダは、平たく言えば、国民をうまく操ることです。彼らにとって、国民は自分たちに権力を与えてくれるお客様であり、お客様は常に正しいのですから、彼らの機嫌を損ねないようにすることが第一の仕事です。今回、その国民を操るためにキャメロンは丁半バクチを打ち、その危険な賭けに負けました。そして、EU崩壊へのドミノ倒しを防ぐべく、メルケル首相もEU諸国の国民を納得させる声明を出す必要がありました。
外から見ていると、まるでドタバタ喜劇です。
いずれにしても、人生も世界も、コントロールのない実験のようなものです。コントロールがないから結果の解釈ができません。解釈ができないということは、自由に解釈してもよいということだとも言えます。これからEUを見て、成功したと解釈するするのも、失敗だったと解釈するのも自由です。
というわけでイギリスのEU脱退については、私は是非を云々せずに、興味深い実験と思って、その成り行きを楽しみたいと思います。
ドイツの気持ちはよくわかります。とくにメルケル首相としては、キャメロンの馬鹿げた政治的バクチの失敗の煽りを食らったようなものですからね。キャメロンの政治生命がどうなろうと知ったことではないが、EUを道連れにして、ドイツにその尻拭いを押し付けるのでは、いい迷惑だと思っているでしょう。
EUという共同体のメンバーの権利を享受するには義務が伴う、当たり前だと思います。
そこには「フェア」であることを望む人間の心理があります。しかし、フェアであることを望むとは、嫌らしい見方をすれば、自分は他人に比べて「損」したくない、負けたくないという心理と同根ではないでしょうか。イギリスは外国移民の受け入れを制限するくせに、EUの市場には自由にアクセスしたいというのなら、ドイツやフランスがその移民の受け皿となって自分たちが「損」をすることになる、「フェア」でない、という言い分でしょう。もっともですが、では、より貧しいEU諸国の国民にとってはどうでしょう。同じ人間として同じヨーロッパに生まれたというのに、コチラは生きていくのに精一杯だ、豊かなライフスタイルを満喫しているイギリスやドイツの国民はアンフェアに地球のリソースを使いすぎている、ちょっとぐらいコチラに回してもバチは当たらんだろう、ぐらいのことは思っているでしょう。
つまり、フェアであることの基準など非常に恣意的で自分勝手なものです。思うに、フェアとかアンフェアという考え方も、各々の自己保存能の一部として社会生活を営む人間のエゴに対処するために生み出された概念ではないでしょうか。この辺りが、人間の社会の難しいところです。大勢のレベルの違う人間が集まって暮らすのですから、お互いのエゴがぶつかり合わないように調整するのは簡単ではありません。それで「フェアネス」という概念を発明せざるを得なかったのではないかと思います。
そして、フェアというものが概念で恣意的なものである以上、現実の世の中は「フェア」であるものなど何一つないわけで、要は、人々が納得できるかどうか、です。「いいとこ取りは許さない」とか「ただ乗りは許さない」と筋の通った発言をすれば、国民を納得させやすい。然るに、実際には「辞めたいという国をやめさせないことはできないのだから放っておく、引き続いてEU市場をイギリスに開放するかどうかはどちらがEU諸国にとってプラスになるかを考えてから決めればいい」と考えた方が「得」な結果になりそうです。しかし、それでは残った国の国民の「気持ち」が収まらんのですな。
キャメロンにしてもメルケルにしても、政治家であり、その主要アジェンダは、平たく言えば、国民をうまく操ることです。彼らにとって、国民は自分たちに権力を与えてくれるお客様であり、お客様は常に正しいのですから、彼らの機嫌を損ねないようにすることが第一の仕事です。今回、その国民を操るためにキャメロンは丁半バクチを打ち、その危険な賭けに負けました。そして、EU崩壊へのドミノ倒しを防ぐべく、メルケル首相もEU諸国の国民を納得させる声明を出す必要がありました。
外から見ていると、まるでドタバタ喜劇です。
いずれにしても、人生も世界も、コントロールのない実験のようなものです。コントロールがないから結果の解釈ができません。解釈ができないということは、自由に解釈してもよいということだとも言えます。これからEUを見て、成功したと解釈するするのも、失敗だったと解釈するのも自由です。
というわけでイギリスのEU脱退については、私は是非を云々せずに、興味深い実験と思って、その成り行きを楽しみたいと思います。