日本もどんどん右翼化し、強権的に国民支配を強めつつあります。国民総背番号制が始まり、国民の資産は国の監視下に置かれ、増税と福祉の切り捨てによって、生かさぬように殺さぬように経済的に管理し、危機感を煽って「この道しかない」と破滅の戦争を最後の希望に持つように若者を誘導しようとしているように見えます。政財官のトップでは戦争は既定路線という話も聞いたことがあります。扇動はナチに見習い、戦争の誘発はルーズベルトに見習えということでしょうか。
ま、茶番の都知事選も終わり、立候補の際の自民党都連との対立を利用し、散々、自民党ではないワタシを演出したり、都議会を冒頭解散するとかできもしないハッタリを言って都民を扇動して当選した新都知事、当選するや否や、都議会、自民党への態度をコロっと変えて、仲良くやりましょうでは、そりゃ自民党都連、都議会は怒るでしょう。ま、都議会や政権与党と対立しては何もできないのは当たり前、でも選挙前の話と随分違いますな。選挙前と選挙後で言うことが全く逆になるのは、これは政治家のお家芸ですね。「TPP絶対反対、自民党ウソつかない」というポスターを貼りまくって、選挙に勝ったとたん「アレはウソでした」とTPP前のめり。シロアリ官僚を退治して消費税増税はしない、といったドジョウ、すっかりシロアリに丸め込まれて、消費税増税を決定しました。ウソがないところがあるとすれば、それは彼らは「真性のウソつきである」という一点に尽きると言えるでしょう。私、誠実さのない行為、ウソをつくという行為に、なぜかもっとも怒りを覚えるのです。モーゼの十戒の中にも、殺してはならない、姦淫してはならない、盗んではならない、隣人を貪ってはならない、と並んでウソをついてはならない、とあります。大昔から、ウソをつかないことは、人間としてのdecencyに必要な資質の一つなのです。ウソをつく人、特に自己利益のためにウソをつく人は、醜い、汚いと思ってしまいます。
それで、汚いものは嫌だなあと思いながら、今朝、自分の顔を洗おうとして鏡を見ると、自分の顔が汚いないのが気になってしまいました。シワやシミが増え、肌にもハリがありません。白髪もチラホラ混じった髪の毛もみっともないです。汚いのは顔だけではありませんでした。筋肉は落ち、皮膚はたるみだしています。それと同時に、この肉体と死ぬまで付き合わなければならないし、これからこの肉体に色々と苦しまされることにもなるのだろうな、と思いました。
ならば、汚いものの存在を否定し続けるわけにはいきません。それが自分の身なのであれば死ぬまでの付き合いです。汚くても、だましだまし、良い点を探しながら、折り合いをつけていかなければ、今度は心がやられてしまいます。
政治家が嘘をつくのは、仕方がない、汚いものしか政治はできないのだ、とまずは広い気持ちを持って、理解する。その上で、彼らと敵対するのではなく、我々の権利を如何にして守っていくかを考えるというやり方をしないといけないのでしょうね。顔のシミやシワが気に入らずに、フェイスリフトをしたりレーザーをやったりしても、それは一時的なものに過ぎないのと同様、クーデターや政権交代みたいなものを通じて一気に改革をしようとしてもやはりうまくいきません。トップダウンで改革を望むのではなく、われわれ自身が自分の身を自分で守り、政府とはそれなりに付き合いながらもその政策に大きく影響されなくてすむような力をつけていくしかないような気がします。残念ながら、他人を変えることができないように、この国の支配は役人が中心となっており、いくら政治家を変えてもその中枢を変えることはできないですし。
ま、茶番の都知事選も終わり、立候補の際の自民党都連との対立を利用し、散々、自民党ではないワタシを演出したり、都議会を冒頭解散するとかできもしないハッタリを言って都民を扇動して当選した新都知事、当選するや否や、都議会、自民党への態度をコロっと変えて、仲良くやりましょうでは、そりゃ自民党都連、都議会は怒るでしょう。ま、都議会や政権与党と対立しては何もできないのは当たり前、でも選挙前の話と随分違いますな。選挙前と選挙後で言うことが全く逆になるのは、これは政治家のお家芸ですね。「TPP絶対反対、自民党ウソつかない」というポスターを貼りまくって、選挙に勝ったとたん「アレはウソでした」とTPP前のめり。シロアリ官僚を退治して消費税増税はしない、といったドジョウ、すっかりシロアリに丸め込まれて、消費税増税を決定しました。ウソがないところがあるとすれば、それは彼らは「真性のウソつきである」という一点に尽きると言えるでしょう。私、誠実さのない行為、ウソをつくという行為に、なぜかもっとも怒りを覚えるのです。モーゼの十戒の中にも、殺してはならない、姦淫してはならない、盗んではならない、隣人を貪ってはならない、と並んでウソをついてはならない、とあります。大昔から、ウソをつかないことは、人間としてのdecencyに必要な資質の一つなのです。ウソをつく人、特に自己利益のためにウソをつく人は、醜い、汚いと思ってしまいます。
それで、汚いものは嫌だなあと思いながら、今朝、自分の顔を洗おうとして鏡を見ると、自分の顔が汚いないのが気になってしまいました。シワやシミが増え、肌にもハリがありません。白髪もチラホラ混じった髪の毛もみっともないです。汚いのは顔だけではありませんでした。筋肉は落ち、皮膚はたるみだしています。それと同時に、この肉体と死ぬまで付き合わなければならないし、これからこの肉体に色々と苦しまされることにもなるのだろうな、と思いました。
ならば、汚いものの存在を否定し続けるわけにはいきません。それが自分の身なのであれば死ぬまでの付き合いです。汚くても、だましだまし、良い点を探しながら、折り合いをつけていかなければ、今度は心がやられてしまいます。
政治家が嘘をつくのは、仕方がない、汚いものしか政治はできないのだ、とまずは広い気持ちを持って、理解する。その上で、彼らと敵対するのではなく、我々の権利を如何にして守っていくかを考えるというやり方をしないといけないのでしょうね。顔のシミやシワが気に入らずに、フェイスリフトをしたりレーザーをやったりしても、それは一時的なものに過ぎないのと同様、クーデターや政権交代みたいなものを通じて一気に改革をしようとしてもやはりうまくいきません。トップダウンで改革を望むのではなく、われわれ自身が自分の身を自分で守り、政府とはそれなりに付き合いながらもその政策に大きく影響されなくてすむような力をつけていくしかないような気がします。残念ながら、他人を変えることができないように、この国の支配は役人が中心となっており、いくら政治家を変えてもその中枢を変えることはできないですし。