百醜千拙草

何とかやっています

カネから社会、社会から人へ

2020-04-07 | Weblog
今回のコロナ パンデミックが世界に与える影響は測り知れません。
日本も今はもちろんそうですが、アメリカは資本主義の国であり、全てのことをカネの単位で考える傾向があります。例えば、研究資金の申請書の最初には、「この病気が社会に与える経済的損失はxxx億ドルと見積もられており、研究は重要だ」みたいな、文句が並べられます。何でもカネに換算されて、その損得勘定が判断の重要な基準となっています。結果、一部の金持ちは資金をレバレッジにどんどん金持ちとなり、持たざるものは貧乏社会に釘付けにされる二極化が極端に進み、ミドルクラスが消失するという現象が起こっています。

この行き過ぎた資本主義の結果起こっている人間性の喪失が人類全体にとって大きなマイナスであることは論を待ちません。現代社会では人々は生きていく上でカネは必要なものです。そうであるがゆえに、また蓄積が可能であるがゆえに、カネは力でもあります。資本主義は、カネが力であるが故に、その増大を指向し、その結果、望ましくないことが数々と起こってきました。人間のレベルだけでなく、地球全体に大きな害を与えつづけ、急激に動物や人間が住めない環境にしてきました。地球温暖化、原発事故、数々の公害などなどはカネ儲け主義、資本主義活動の結果といえると思います。

疾病で大勢の死亡者も出ている中で、あえて不謹慎を承知で言わせてもらうならば、今回のコロナは、これが長引けば長引くほど、この行き過ぎた資本主義を考え直す重要な機会になるのではないかと思います。

欧米のロックダウンでおきたことは、急激な人々の活動の低下、そのほとんどはカネに結びついているわけですから、経済活動の低下、です。その結果、生活に必要なカネが人々に入らないために、欧米諸国が取ったのは、休業補償です。カネは都市生活者が生活必需品を揃えるのに必要なものですから、一律にカネをばらまいて、働けない人々の生活を支えることになったわけですが、その結果、大勢の人は働くことなく喰っていくことができるという状態が一時的に作り出されました。(もちろん、生活必需品を生産するところは稼働している必要があるわけですが。)

そのカネはどこから出ているのかを、とことん突き詰めて考えれば、カネとは中央銀行が作り出した幻にすぎないということになるわけで、これを機に政府が通貨発行権を握り、一定量のカネを国民に給付すれば(ベーシックインカム)大きな経済活動なしに、(すなわち地球の環境破壊をせずに)現代社会が成り立つ可能性の証拠を図らずも示したことになっているように思います。

現在の日本では、増税と貧しい生活を強いられる一般国民の一方で、大企業は歴史的な内部留保を積み上げていますが、それは消費活動、経済活動の低下を引き金にした負のスパイラルに落ち込んでいる証左でしょう。つまり、当の資本家が資本主義が破滅寸前になっていると実感しているがためにカネを溜め込むという行動にでているのだと思います。

今後、多くの仕事がAIなどの発達で消えていきます。このことは、本来なら人間がこれまでのように働かなくても、社会の機能は保たれるということを意味しています。生活必需品や食糧の生産を考えても、数々の効率化、機械化によって昔は100人必要だった仕事が今は一人でできるようになったものも沢山あるわけで、本来なら、その99人は遊んで暮らせるはずです。が、そうはなっていません。それはカネが蓄積可能な力であるがゆえでしょう。つまり、富が分散されずに一部の人がその力を独占しているからです。その富は本来、政府が再分配する役割を負うわけですけど、現在の日本を見れば分かる通り、政府と資本家はグルになっていますから、消費税で一般国民からカネを巻き上げる一方で、そのカネを企業の減税に使うという全くアベコベのことをやっています。

話をもとに戻しますと、この緊急事態によって、政府は(少なくとも欧米では)大きく介入せざるえなくなった結果、一般国民にカネを分配することによって、働かないと喰っていけない、カネを稼がないと生きていけない、借金苦のために生命保険をかけて首を吊らなくてよい世の中が(一時的に)出現しているともいえるでしょう。社会を守るために、個人の自由な経済活動にまかせていた資本主義国家が、社会主義国家として振舞わざるをえなくなったということです。

この状況が続けば、ベーシックインカムがあれば、人々はあくせくと働かなくても生きていけるのではないか、と思い始めるでしょう。そのためには、働きたい人が好きなように働く世の中で、生活必需品や食糧やインフラの供給をどう維持していけばよいか、その方法を考えはじめるでしょう。それが大多数になれば、カネの力で人々をコントロールしてきた一部の資本家による支配構造が崩れるかも知れません。ならば、原発もやめれるようになるかも知れませんし、戦争もやらなくてすむようになるかも知れませんし、米軍も沖縄からでていき、無能な世襲議員の大臣が国民を搾取することもなくなるかも知れません。

資本主義のパラダイムの中で生まれてからずっと育ってきた我々に、社会の別のありかたを想像するのは困難かもしれません。(共産党の支持率が低いのもそういうことでしょう)。二宮金次郎の像が大抵の小学校にあって、働かざるもの食うべからず、という言葉を聞かされて育ち、「労働の尊さ」を口実にブラック企業に搾取されてきたわれわれが、「働いて稼がなければ喰っていけない」という強迫観念から自由になって新しい社会の形を考えるためには、ショック療法が必要なのかも知れません。

今回のコロナによるロックダウンがそのショック療法になるかも知れません。イデオロギーに先導された社会改革ではなく、ボトムアップで人々の意識が変化し共有されて社会が変わるのであれば、やはりマルクスの予測に沿って、資本主義社会は、共同体や人を第一に考える社会へと進化していくのではないでしょうか。
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