百醜千拙草

何とかやっています

なんでこんなことをやっているのだろう

2022-01-07 | Weblog
小さな論文のリバイス投稿しました。小さな論文とはいえ、この実験のために4つの新しい遺伝子変異マウスを作って解析し、ちょっと特殊なRNA-seq解析のためにパイソン プログラマーを探し、それなりに時間と労力はかけたので、形にはなって欲しいと思っています。臓器別での専門分野のジャーナルに出すとウケが悪いのはわかっているので分子別での専門分野のジャーナルに出したものです。

それにしても、狭い分野で自分の陣地を守ってきた専門家のコメントというのは鷹揚さがなくて剣呑ですな。この論文もそんなマニアックなレビューアに回ったようで、難易度は高くはないものの三人から沢山の細かい点を突っ込まれて、そこそこの量の実験を要求をされました。

マニアックレビューアが彼らの興味で実験を要求するのは、「通してやるから、それなりの誠意を見せろ」みたいな、不良グループの儀式的性質に近いもので、今回、要求された実験も、多くは論文の結論をサポートするのに不可欠とはいえないものでした。しかし、いくら立派な理由があっても、レビューアに口応えするのは、「忙しい中を時間を割いて原稿を読んだ上で、専門家の見地から論文の改善点を指摘した」レビューア様のエゴを傷つけ、さらなるリバイスか、悪ければリジェクトという結果に陥る高いリスクを伴うので、言われたことは基本的にやるしかありません。

このプロセスは多くの人がバカバカしいと思っていると思いますけど、私は、ピア レビューで論文を出版するという活動自体が、バカバカしいと感じるようになってしまいました。これだけ、再現性のない論文が一流誌に出るということ自体、現代の資本主義的、自由競争的側面が激化するこの業界では、従来の論文出版のシステムが破綻しつつあるという証左ではないでしょうか。ま、しかし、一歩下がってみれば、研究活動に限らず人間の活動というのは本来、やっている本人以外はバカバカしいと思うようなものがほとんどであるとも言えるわけですが。

論文の結論をサポートするのに必ずしも必要でない実験がリバイスでしばしば要求される問題は広く認識されており、論文出版のための通過儀礼に過ぎず、時間と金と労力の無駄であると、多くの関係者が感じつつも、長らく看過されてきました。しかし、近年、ようやくこの問題がまともに議論されるようになってきました。最近レビューを引き受けたある中流雑誌は、レビューアへの注意点として、結論をサポートするのに絶対的に必要でない実験は要求しないこと、実験が必要な場合でも三点までに限定するように、という但し書きがありました。

私の場合、この研究プロジェクトが論文になったところで、よくて自己満足以上のものは得られません。リバイスの原稿を直しながら、つい、なんでこんなことをやっているのだろうなあ、とつぶやいていました。

しかし、研究をしたり論文を書いたりするということは、私にとっては、多分、ラジオ体操のようなものだと思いあたりました。毎日、なにがしらかの作業をして時間を過ごすことそのものが目的なのだと思います。何もしないでいると人間は生死の問題の直面して精神が耐えれないので、日々の作業と気晴らしや暇つぶしが必要なのでしょう。
コメント
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