百醜千拙草

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ピア レビューの崩壊 (2)

2022-01-21 | Weblog
前の話の続きのピアレビューの問題の話を書こうとしたら、ちょうどとある中流雑誌からリバイス論文のレビューの依頼がきました。しばらく前、リジェクトが妥当と返事をした論文でした。リバイスで出版すべきレベルに達する可能性があると思われる論文には私はリジェクトの評価は基本的にしませんので、この論文は私的には救済の余地なしと思ったのに、編集者はリバイスが妥当との判断をしたということです。不思議に思ってもう一人のレビューアの評価を見てみましたが、私とほぼ同様の評価でした。
リジェクトが妥当と評価した論文が返ってくるということはこれまでも何度か経験があります。エディターが論文著者のかつてのメントアであったということがありましたし、また三流雑誌で明らかに論文掲載のノルマがあると思われる場合もありました。一定数を出版しないと、雑誌社は運営していけませんからね。しかし、これらの例では、雑誌社の商業的理由や縁故主義でピア レビュー システムが歪められているということになります。しかもレビューという作業はボランティアですから、ボランティアの善意を踏み躙る行為であるとも思います。とりあえず、今回は、すでにリバイスで改善の見込みなしと評価した論文なわけで、そのリバイス原稿を私が再び評価するのは適切ではない、と言って断りました。こういうことが続くとレビュー活動の無意味さを感じざるを得ないです。

そんなこんなで、レビューのような奉仕活動が時間と労力のムダだと思う人が増えたということにことに加えて、絶対的なレビューア数の不足が状況を更に悪くしています。とくに中国からの凄まじい量の論文が欧米にベースを置く雑誌に投稿されることによって、これらの雑誌のピアレビュー プロセスが目詰まりを起こしています。これらの雑誌の編集者は多くは中国人ではない関係で、中国からの論文は、自然と欧米や日本のレビューア中心に回され、結果、中国人研究者がレビュープロセスに寄与する機会が少ないことがレビューアと投稿者の不均衡を産んでいると思います。

中国人研究者がレビュープロセスに十分寄与していないことには、複数の理由もあると思いますが、私の経験から思う一つは、中国人の名前の問題です。中国人には同音異語となる名前が多過ぎて、英文表記だと多くの異なる研究者の区別がつきません。中国人研究者が有名ジャーナルに掲載されるような仕事をした場合でも、それが誰の仕事なのかは名前だけでは覚えにくく、検索もしにくい、ということで、欧米のEditorや編集部が、レビューアやエディターを中国人の中から選ぶのが単純に難しいという状況があるのでは、と思います。レビューアやエディターを選ぶ時の業績などは名前ではなくORCIDなどの共通の研究者IDを使って管理していくのは一つの解決策だと思います。

総じて、中国からの投稿が問題の大きな原因であるのは間違いないと思うのですけど、これはそもそも、科学研究というものが西洋のものであって、日本や中国の後発国の参入は本来、想定されたものでなかったわけで、仕方がない面があります。かつて、日本が西洋型の科学研究スタイルを取り入れて、積極的に英語で科学研究コミュニケーションをするようになったのは、戦後の経済成長と同期していると思います。それまで、日本の研究はもっとローカルで日本人は日本語で日本人に向けて必要な研究情報を発表していました。思うに中国も最近まで同じようだったでしょう。それが、中国の急激な経済成長に伴って日本の十倍以上の人口を持つ中国が、西洋型研究を自国に取り入れて西洋型スタイルで発表しだしたのですから、半世紀前に日本が英文論文を量産しはじめたころとは桁違いのインパクトを及ぼしているのは想像に難くないです。

また長くなりそうなので、残りは今度にします。
コメント
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