百醜千拙草

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高市事件の影響

2023-03-14 | Weblog
今回の高市事件を職場の人と雑談していて思ったのは、当然のことではありますが、支持する政治家や政党が人によって異なるのは、個人がそこに何を求めるかによるということです。十分に知的で教養も経験もある人が自民党を支持する理由は、自民党の政権与党としての経験と政策を評価しているか、自民党支持が自らの利益に直結している場合が多いようです。一方で自民党を支持しない人々は、それとは逆の理由に加え、大きいのは、特にこの20年ほど、戦後民主主義の原則を踏み躙ってきたからだと思います。

例えば医学研究であれば、いくら理屈や整合性のあるデータであっても、正しいプロセスを経て得られたものでなければ、それには意味がありません。一方で臨床診療などでは、一応、科学的根拠と論理に基づいて診療を行いますけれども、個々のケースにおいては、結果がよければOKです。逆に医学的には成功したが患者さんは亡くなったというケースは失敗ですから、プロセスの厳密さは科学研究ほど優先されません。政治においても同様の考え方の違いがあると思います。プロセスが正しくなければ意味がないと考える科学的アプローチ(これは西洋的価値観とも言えるでしょう)と、結果が良ければいいという東洋的実利主義的価値観のいずれに親和性があるかによって、自民党への支持、不支持はわかれるのかも知れません。自民党政治は腐敗しているけれども国民がそれなりに幸福ならばOKと思う人と、腐敗を放置しては将来の社会の健全さが損なわれると思う人との意見が異なるのは然るべしです。

しかし、実利主義の悪いところは刹那的であるということです。基本的に目先の問題を解決することが目標であり、将来のことも考えてより優れた社会を作っていこうとする時間軸を考慮した考えがしばしば欠けています。科学的厳密さとプロセスの正しさを重視するアプローチは即効性にかけ、目先の問題をすぐに解決はできないかもしれないが、知識や経験を体系だてて積み上げることで長期的にはより発展が見込める可能性が高いと思われます。

あいにく東洋の島国である日本の政治は常に実利的な方法を選んできました。自民党政治家は、ウソをつき文書を改竄しても権力が維持できて望み通りの政策が実現できればそれでよいという態度でやってきました。不正なプロセスでそれを達成し、社会システムを破壊してでも、とりあえず目先の目標を達成する方が大事だと考えてきたようです。賄賂を使い、利権業者を優遇するために不正な審査や制度改変を行うのも正式なプロセスを踏んでいたのでは彼らの望みが達成できないのだから、止むを得ないとでも思っているようです。しかしながら、それでは目先のことは捌けても長期的に対処が必要な問題に対しては、ただ問題を見て見ぬフリで、先送りして、結局、事態を悪くするだけでしょう。

そんな「今だけ、金だけ、自分だけ」の自民党の態度が、福島原発事故後12年たってもただの1グラムの燃料デブリを福島原発から取り出すことさえできず、汚染水はまったく処理方法さえ開発できずに海洋放出、挙句に原発事故が起きたらお手上げのこの状態で目先の利権で原発の寿命を延ばし、新規原発の建設まで口にするという自民党政権の原発政策に典型的に現れています。これを短くいうと、「無能」で「不誠実」となるわけですが、原発利権業者やとりあえずの電力需要をなんとかしたい人々にとっては、彼らの刹那的な利益には合致しており、ゆえに彼らの評価は逆転するのでしょう。

私は、科学研究者でしたから、自民党の、刹那的利益のためにウソをつきその場その場をやり過ごすことしか考えず、本質的な問題はやってるフリで先送りにするという態度は、将来に大きなツケになって国を滅ぼすと確信しています。

さて、政治をここまで腐敗させたのはアベ政権であり、その後ろ盾で大臣ポストを手に入れたのが高市氏。その腐敗の証拠を掴まれて、ギャグとしか思えない無理すぎる言い訳を繰り広げておりますが、単に、見苦しいだけではなく、この悪あがきが及ぼす影響は極めて大きいかも知れません。

鮫島タイムスから。
、、、担当閣僚が自らの役所の文書を「行政文書だけれども事実かどうかわからない」と明言したことは、行政文書そのものの信憑性を自ら毀損する行為だ。捏造の可能性を含めて内容が不正確な行政文書が存在することを現職閣僚が公式に表明したのだから、もはや行政文書を鵜呑みにすることはできない。行政への信頼を自ら打ち消す自殺行為である。
これまでも財務省は公文書を改竄するし、厚労省は統計を捻じ曲げるし、行政文書への信頼は大きく低下していた。官僚のモラル崩壊は目に余るところであったが、今回の問題は行政への信頼を地に落とす決定打となるのではないか。
、、、安倍長期政権下でガバナンスが崩壊した日本政府がそれでもなんとか機能しているのは、この国で暮らす人々が法治国家の大前提を理解し、たとえ不満はあってもとりあえずは行政文書を「信用に足るもの」として受け入れているからだ。
 その行政文書に対する信用を、なんと政府自身が打ち消してしまった。、、、これから先、私たち国民は役所からいかなる行政文書を突きつけられても「正確性を精査する必要がある」と時間稼ぎすることができるだろう。
、、、魚は頭から腐る。すべては政治指導者たちの責任である。自分たちの手で法治国家の大前提をぶち壊したのだ。もはや法治国家の体をなしていないのである。
コメント
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