百醜千拙草

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イスラエルの理屈

2023-10-10 | Weblog
ハマスがイスラエルを攻撃したことで、極右ネタニエフのイスラエルも報復。正式に対パレスティナ戦争への突入が宣言されたようです。イスラエルはガザのエジプトサイドを閉鎖、物理的攻撃に加えてガザを兵糧攻めにしようとしているようです。ツイッターでは、主にイスラエルサイドの逸話的な投稿を多く目にします。イスラエルの民間人がハマスの急襲でガザに連れ去られ捕虜にされたとか殺されたとかいう話。一方でアラブ世界以外でもイスラエル建国を後押しした英米で、ユダヤがドイツやその他のヨーロッパ地域で受けたと同じ仕打ちを、今度はイスラエルがパレスティナに対して続けてきた結果だとパレスティナに味方する人々のデモがあったことも流れてきています。

この根が深いパレスティナ問題、簡単に総括できる人は少ないと思いますが、イスラエル建国以来、イスラエルが四度の中東戦争を経て先住民であったパレスティナ人の土地を収奪し、アグレッシブに領土を拡大し入植者を増やしてきており、国連も再再度にわたってイスラエルのこの行動を非難してきたという経緯を鑑みると、判官贔屓の日本人ならずとも、現在のようにガザやその他の居住区に追いやられて、苦難の日々を送っているパレスティナに同情してしまうのが人情というものでしょうか。ちょうど、アメリカ大陸に移住してきたヨーロッパ人がアメリカ原住民を保護区に追いやって、土地を我がものにしたような状況に似ているようでもあります。

今回、ハマスが警告なしにロケット弾をイスラエルに打ち込み、民間人を殺傷、捕縛したことをイスラエルは強く批判しているわけですが、まさにそれと類似のことをパレスティナ人に対して行って、勝手に土地を奪い取り、無理やり入植を進め領土を拡大してきたという過去がイスラエルにはありますから、ハマスにとってみれば、たとえ一般人であっても本来「自分たち」の土地に勝手に入って住み着いたイスラエル人は、等しく自分たちを害する敵なのでしょう。

しかしながら、イスラエルにはイスラエルの言い分があります。もともとイスラエル人は神がモーゼに約束した聖なる土地であるパレスティナに古代から住んでいたが、2千年前にローマ帝国に支配されてパレスティナから出て行かざるを得なかったという古い歴史があります。とすると、イスラエル人はパレスティナはもともと神によって示された自分たちの土地であった、故にそこに自分たちが国を作るのは正当であると強弁するのも可能でしょう。しかし、そんな言い分が通るなら、ユダヤ人が住み着く前はその土地は誰のものでもなかったのだから、それは屁理屈であると反論もできます。理屈はどうあれ、イスラエルはパレスティナの土地を力づくでパレスティナ人から奪ってきたというのは事実です。とはいえ、ユダヤがイスラエルをパレスティナに建国したのはその宗教に基づいているわけですから簡単にはいきません。信仰と洗脳は紙一重で、彼らはパレスティナは「イスラエルの神が約束した土地」であると信じているわけですから。オウムの信者が一般人を無差別に「ポア」するのも、統一教会の信者が全財産を寄付するのも、信者はそれが正しいと信じていたからでしょうし。

最近、旧約聖書を少しずつ読んでいますが、ユダヤ教のトーラーは旧約聖書の最初の5章、モーゼ五書に基づいております。モーゼ五書のうちの4つをとりあえず読んで思ったのは、イスラエルの「神」とは「砂漠の自然」のことではないかということです。母なる自然は人間を含む全ての生き物を作り出し、養っていますが、人間ににとってみれば、「自然」とは、丸裸で一人で放り出されたら、数日と生きていけないような厳しいもので、恐れの対象に他なりません。モーゼ五書はその厳しい弱肉強食の「自然の法則」の中で、人間が生き延びる知恵について書かれているのではないかと私は解釈しております。自然の中では、自分より強いものから身を守り、自分より弱いものを食糧として犠牲にしないと生きていけず、物質的にみれば、それは恐怖に満ちた殺し殺される世界です。ユダヤの神とは擬人化された厳しい自然のことであり、その厳しい現実の世界を受け入れた上で、イスラエル人が生き残り繁栄を達成することがこの宗教における第一目的なのだと私は感じました。つまり、彼らにとって、自分の身を守り、自分と仲間のユダヤ人が生き残って利益を得るためには、邪魔なものを排除し、殺し、犠牲にしていくのは、正しいこと(少なくとも十分に正当化できる事柄)であると考えているのではないかと想像するのです。彼らにとってパレスティナの土地はそもそもが神がイスラエルの民に約束した土地であり、よって領土を彼らの自身の繁栄のために拡大するのは神の意に叶う正しいことであり、そのためにパレスティナ人が土地を失い、仕事を失い、家族を失っても、それは我々が他の動物を殺してその肉を食べるのと同じように、止むを得ない犠牲であると思っていると考えているのではないでしょうか。パレスティナ人にとってもエルサレムは聖地であり彼らが長年住んできた土地は彼らのものだと思っているでしょう。

ローマ帝国に支配されて以来、ヨーロッパに散り散りになって、差別され迫害されてきたユダヤ人が、同じことをパレスティナ人に対して行ってきたという矛盾をユダヤ人はトーラーによって正当化してきたのだと思います。これを中東のアラブ世界がジェノサイドと捉えれば、アラブ世界とイスラエルとその背後にいる米英との対立はさらに深まり、武力で劣るアラブはテロによる抗議を激化させることになりかねないのではと想像したりします。

今後、イスラエルとパレスティナがどうなっていくのか、私には予測はつきませんが、圧倒的武力差があり、ガザが完全制圧されるのは時間の問題だろうとは感じます。あるいは、一日でキエフは制圧されるだろうとの予測と裏腹に泥沼化したロシアーウクライナ戦争のような帰趨をとる可能性もあります。アラブ世界がどう反応するか、米英がこれまで通りイスラエルを支援するのか、そのあたりも大いに影響するでしょう。どんな結果になっても、「恨み」と「憎しみ」は増大し、長く残るでしょう。人間の感情の中でなかなか消えることがないのがこれらですし。

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