百醜千拙草

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報復の理

2023-10-31 | Weblog
イスラエル建国時から連綿と続く八十年近くに及ぶパレスティナ紛争、俯瞰してみれば、シオニストユダヤが、国土の拡大のために、先住のアラブ系パレスティナ人から土地を奪い、数多くのパレスティナ難民を生み出し、行き場を失った200万人以上のパレスティナ人を、外部の交通からほぼ遮断された天井のない牢獄と呼ばれる狭いガザに閉じこめてきた、民族弾圧の歴史であると総括できるかも知れません。

イスラエルが、ガザのハマスをテロリストと呼び、ハマス撲滅という名目で、ガザの子供たちを含む大勢の一般市民の大量殺人を行ったことは、Genocide以外の何物でもなく、パレスティナのアラブ民族を殲滅し、それによってエルサレムを含むヨルダン西岸とシナイ半島までの領域を完全にイスラエル国家のものとする目論見に向けて意図したものだと私の目には映ります。このガザへの攻撃は、9-11のあと、ジョージ ブッシュ(子)が、突然、イラクが大量殺人兵器を持っていると言いがかりをつけて、「テロとの戦い」と称してイラクに侵攻し、20万人の民間人犠牲者を出した事件を思い出させます。今回、この三週間でパレスティナ8000人以上、イスラエル1400人以上の犠牲者が出ており、イスラエルは空爆を激化させ地上侵攻の準備もしているようですから、パレスティナの一般人犠牲者はさらに増加するのではないかと思われます。

国連では、従来からのイスラエル支持のアメリカをはじめとする西側が、人道的見地から即時停戦を求めるロシア、ブラジルなどの提案を拒否してきましたが、流石に大多数の国はイスラエルのガザへの攻撃をイスラエルの自衛のためのハマスとの「テロ」との戦いであると強弁するのは無理があり、ジェノサイドであると見做しているようで、各国でガザ空爆に抗議し、パレスティナに連帯する大規模なデモの高まりを受けて、先日、121カ国の賛成を得、国連はようやく即時停戦を決議。イスラエルの後ろ盾、アメリカは決議に反対、アメリカの金魚の糞、増税クソメガネ政権は、アメリカの顔色を窺って棄権。忖度は日本のお家芸とはいえ、ヒロシマ、ナガサキの無差別大虐殺を被った国が、ガザ空爆による多数のパレスティナ市民の犠牲を止めるための停戦決議に自ら主張もできないとは情けない。

さて、前回、前々回とこのイスラエルのシオニストユダヤの心理を、旧約聖書の中から私なりに解釈しようとしてみました。一方でイスラムのアラブ パレスティナ側の抵抗運動を支えてきたものは何かということも考えてみたいと思いました。シオニストユダヤによって土地を奪われ、迫害されてきた人々が、イスラエルにどういう感情を抱いているか想像するのは簡単です。しかし、力で押さえつけられて、真正面から戦争しては勝ち目がない相手に対して、どう対処していくかという困難な決断にパレスティナ人は何を拠り所にしてきたのでしょう。パレスティナ解放機構内部にも強硬派と穏健派がおり、そのどちらにもその根底にはやはり信仰があったのではないかと私は想像します。

旧約聖書から読み取れるユダヤ教の底にあるのは、選民思想と強者の理論であり、目には目を、歯には歯をもって償わせるという復讐の連鎖を肯定するかのような考え方ではないかと私は感じました。それは、後で述べるように新約聖書でのキリスト教の考えと一致しないように思います。

アラブ系パレスティナ人の多くはイスラム教徒だと思われます。聖書の時代から随分経った紀元7世紀、人々が聖書の神の言葉を軽んじるようになったとして、改めて神が預言者マホメットを通じて伝えられたのがコラーンにある言葉ということになっています。故に、ここでのイスラムの神、アッラーはユダヤの神と同一であると考えられます。新約聖書では人の子、イエス キリストの言葉を伝えますが、キリスト教ではイエスは精霊とともに神の現れであるとする三位一体説によって、イエスの言葉はそのまま神の言葉となります。一方、イスラム教においては、イエス キリストはイーサーと呼ばれ、イエスはあくまで預言者にすぎず、キリスト教のような三位一体の立場はとりません。イスラム教ではイエスはあくまでモーゼと同じ人間であり、原罪を背負って死ぬこともありませんでした。そこから想像するに、イスラム教とは、ユダヤ同様、唯一の絶体神であるアッラー、すなわちヤハウェに帰依する信仰であり、ゆえに、これら3宗教は同根ではありますが、イスラム教はキリスト教よりは、よりユダヤ教に近いように感じられます。

そのイスラム教では、罪に対する罰には三つの与え方があり、うち、同害報復、すなわち「目には目を」的報復が認められております。またイスラムの罰則は社会の安寧を乱す犯罪に対しては特に厳しく定められているようです。ということは、イスラムの民が彼らの民族を守ろうとするためにイスラエルに抵抗し、イスラエルにやられたことをやり返すのは宗教的にも正しいことであると考えているのかもしれません。また、イスラムでは異教徒との戦い、即ち聖戦(ジハード)は義務であり、ジハードで死ぬと天国に行くと信じられているそうです。今回のハマスのイスラエルへの奇襲は武力で圧倒的に劣るガザ パレスティナの宗教的義務に基づくジハードであるとハマス支持のパレスティナ人が考えているとすると彼らの自滅覚悟のこの攻撃も納得できるように思います。そして、選民思想をもち、パレスティナは神が約束した土地であり、そこに住む原住民を殲滅するのも神の意図だとシオニスト ユダヤが考えているとすると、これだけの国際非難を浴びながらもガザ侵攻を止めないイスラエルの行動も理解できるような気がします。

その二つの宗教的民族が、預言者は違えど同じ神を信じており、その神から下された言葉によってお互いに戦い続けているのがイスラエル-パレスティナ紛争であると言えるのかも知れません。とすると、これがこの紛争の救いのないところではないかと私は思います。 

さて、イエス キリストを三位一体として神の現れとするキリスト教では、上の「目には目を」の精神とは、多少異なる言葉が見られます。最も有名なのは、新約聖書の「ローマ人への手紙」の中の「汝、復讐するなかれ、、、復讐するは我にあり」という言葉でしょう。「害をなす者に復讐してはならない、復讐は神の仕事である」という教えは「目には目を」という旧約での神の言葉と対照的なように思います。イスラム教のコラーンでは、上に述べたように同害報復が述べられていますが、一方で、次のような言葉も見られます。 

、、、傷害には(同様の)報復を、、、しかしその報復を控えて許すならば、それは自分の罪の償いとなる。(5:45)

 つまり、同害報復を認めると同時に、報復を控えることの徳も述べています。これは、あるいは、新約聖書の時代から数百年のあと、新たな預言者によって生まれたイスラム教という宗教がユダヤ教とキリスト教という宗教の両方を踏まえた上で成立した宗教であるからではないか、と考えられます。 とすると、パレスティナ人の中にも同害報復を求めるハマスのような勢力と、報復を良しとせず害をなすものを赦そうとする勢力もあるのだろうと想像します。

しかるに、想像するに、ユダヤでは、害を為すものを許し、右の頬を打たれて左を差しだすような行為は、教えに合わないものとされているのではないでしょうか。それゆえにイスラエルはハマスの攻撃に対して徹底的に報復しようとしているのではないのだろうかとも思います。たとえ、それによって、劣悪なガザという牢獄に閉じ込められ武器ももたない子供や市民の命が、何千、何万と失われようとも。
コメント (1)
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