tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

二十軒起夫さんが、古事記ゆかりの田原本町を盛り上げています!

2011年06月04日 | 記紀・万葉
毎日新聞奈良版(5/21付)「やまと人模様」に、旧知の二十軒起夫(にじゅっけん・たちお)さんが紹介されていた。見出しは「古事記1300年で町おこし」。二十軒さんは《1947年、大阪府池田市生まれ。京大工学部卒業後に近鉄で勤務。76年から田原本町に在住。09年7月から田原本町観光協会事務局長。奈良まちづくりセンター副理事長も務める》という人だ。

記事を紹介する。《古事記完成から1300年の2012年に向け、編さん者の太安万侶(おおのやすまろ)ゆかりの田原本町では、町おこしにつなげようと多くの記念事業が企画され、観光協会事務局長として準備に奔走している》。

多(おお)神社(田原本町多)は、太安萬侶など多氏の祖神をお祀りする神社である。鏡作(かがみつくり)神社(田原本町八尾)は、天照大神の岩戸隠れのときに鏡を作った石凝姥命(いしこりどめのみこと)などをお祀りし、神宝は三神二獣鏡である。村屋坐弥冨都比売(むらやにますみふつひめ)神社(田原本町蔵堂 通称:森屋明神)の祭神は、高皇産霊命(たかむすびのみこと)の娘である三穂津姫命(みほつひめのこみと=弥冨都比売神)。大物主が国譲りをしたとき、その功に報い、また大物主の二心がないようにという願いから、高皇産霊命が娘を大物主に贈ったと日本書紀に記されている。

《鉄道好きが高じて大学で交通土木工学を学んで、近鉄に入社。専門の線路建設だけでなく、奈良市・奈良町の町並み保全や、沿線のイベントの企画に携わり、まちづくりに興味を持つようになった。07年に退職後、龍谷大大学院でまちづくりなどを2年間学び、09年に公募で観光協会事務局長に就任した》。

鉄ちゃんだったとは存じ上げなかったが、日本土木史研究発表会の論文集に「関西地方における寺社参詣鉄道の成立と発展について」(1988年)という論文(3人の共同執筆)が掲載されていた。田原本町観光協会事務局長には、公募で就任されていたのだ。先日は奈良市観光協会も事務局次長を全国公募していたが、こんな良い人が見つかれば良いのだが…。

《同町には「唐古・鍵遺跡」をはじめ、太安万侶ゆかりの多(おお)神社など記紀にかかわる寺社も多い。寺内町の面影が残り観光資源は豊富だが、観光客誘致にうまく結びついていない。「古事記1300年の機会を逃す訳にはいかない」と、フォーラムやウオーキングイベント、歴史講座を企画。「町民が町の歴史や文化を知らないといけない」と考え、町史が学べる「ふるさとかるた」も作った。観光客誘致とともに、古事記1300年を機に「町の魅力に住民自身が気づき、誇りが持てるきっかけにしたい」と願っている》。

月森砂名さんのブログ(3/11付)に、二十軒さんのお話の要約が載っているので紹介する。

田原本町観光協会を訪ねました。事務局長の二十軒起夫さんに田原本町の歴史についてお話をお伺いした際、その謎について尋ねてみると…。田原本町の郷土史を出して来られて、説明してくださいました。

要約すると、奈良はこれといって強い領主が現れず、複数の統治者によって細かく分割して治められていたというのです。郷土史を拝見すると、分割領土、天領(幕府が治める)、「府領」というのも散見されます。歴史上有名な郡山城の「筒井順慶」、高取城、田原本は羽柴(豊臣)秀吉と柴田勝家が戦った、賤ヶ岳の戦いで功を成した七本槍(しちほんやり)=福島正則、加藤清正、加藤嘉明、脇坂安治、糟屋武則、片桐且元の一人、平野長泰権平が統治していました。ちょうどあさっての日曜日、大河ドラマ「江」で、賤ヶ岳の戦いをやりますね!

城下町だけでなく、個々のムラが、経済と文化を支えていたようです。おそらく寺領の存在も大きかったのではないかと推測されます。つまり、今の奈良県エリア、枠組みでは捉えられないのですね。

明治時代になってからも奈良は、大阪「堺」県の一部として統合されていました。「そこから独立して、現在の「奈良県」にするまでに、たいへんな苦労があったんですよ」と二十軒さん。今度お時間のあるときにでもぜひ、ゆっくりと、そのお話をお伺いしたいと思います。

なぜ平城京から今日までの奈良の歴史が判然としないのか、学校で教えてくれないのか、つねづね疑問に思っていたのですが、謎が解けた気がします。今の「奈良」という枠組みでは捉えられないので、教育機関としては統括した「奈良史」として教えられないのではないでしょうか。

そこで田原本町では地元小学校で、町の郷土史や史跡について子どもたちに学んでもらえるよう、学校の先生から教育していったそうです。小学校のカリキュラムは、市町村レベルで関与できるようで、県内でもよその土地から新任教諭がやってくると、まずは田原本町について学んでもらうそうです。

その一つが桃太郎伝説(桃太郎は田原本が発祥。七代目考霊天皇の皇子がモデルと言われています)。桃太郎の物語を、最後は助け出したお姫様と結婚するというハッピーエンドで締めくくった絵本「ももたろう 完結版」を発行しています。

絵本『ももたろう─完結版』
監修:野村純一(日本口承文芸学会長)
画:守屋裕史
発行:田原本町観光協会
お求めは田原本町観光協会へ(450円)


Wikipedia「桃太郎」には、岡山県など桃太郎ゆかりの地を4か所紹介していて、田原本町もその一つとして登場する。町内のゆかりの史跡は《廬戸神社(孝霊神社)、法楽寺、初瀬川、黒田廬戸宮(孝霊天皇の宮比定地)》だそうだ。
※トップ画像は絵本『ももたろう─完結版』。田原本町観光協会のサイトから拝借した

二十軒さんは、社団法人奈良町づくりセンターの副理事長も務めておられる。同センターのHPには《私たちのアイデンティティーを見つけ出したいとの思いから歴史的町並み保全活動に参加。町並みや、活動を通じて知り合った多くの方々から非常に多くのことを教わってきました。大学では都市交通計画を専攻し、鉄道技術者として鉄道インフラ整備を担当していました。その後、駅前再開発や商業開発、観光開発にたずさわっていく中で、まちづくりの面白さを知り、まちづくり活動に参加させてもらうことになりました。センターの管理・運営など事務方を担当しています》。 

大学で交通土木工学を学び、その後、お仕事でまちづくりに携わり、さらに退職後も大学院でまちづくりを学んだとは、ものすごいキャリアである。その人が来年の古事記完成1300年に向け、着々と町おこし・観光まちづくりに動いておられるとは、実に頼もしい。

私の見るところ、県の記紀・万葉プロジェクトは、昨年の平城遷都1300年祭が「県北部に偏っている」「潤ったのは奈良市だけ」という批判に応えるため、県下各地に散在する記紀・万葉ゆかりの地や伝承を掘り起こそう、という意図があるのだろう。

私は今、古事記の書き下し文(岩波文庫版『古事記』)を読もうとしているところだが、読みながら、県下各地の「古事記ゆかりの地」をピックアップして訪ねてみようと思っている。

二十軒さん、古事記ゆかりの地・田原本町をどんどん売り込んでください。きっと他の市町村も、負けじと頑張ることでしょう。そうやって全県下で、古事記完成1300年プロジェクトを大いに盛り上げましょう!
コメント (2)
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