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藻谷浩介さん、経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのでしょうか?

2013年01月07日 | ブック・レビュー
 藻谷浩介さん、経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのでしょうか?
 藻谷浩介 山崎亮
 学芸出版社

学芸出版社刊『藻谷浩介さん、経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのでしょうか?』(1,470円)という長いタイトルの本を読んだ。藻谷浩介と山崎亮の公開対談を活字にしたものである。本書の帯には「そもそも、私たちの目標は何だったのだろう。経済成長と生活の豊かさを問い直す」とある。いわた書店(北海道砂川市)のブログ「本屋のオススメ本」に紹介文が出ていた。

『デフレの正体』の著者、藻谷浩介さんとコミュニティデザイナー(町おこしのコンサルかな?)山崎亮さんとの2時間の対談が一冊の本になりました。「マイナス成長」という言葉の持つ可笑しさから説き起こし、経済指標と実態が乖離しているのではないかという疑問から藻谷さんの話がはじまります。

テレビなどに出る経済評論家という人たちは常によく判らない「お金の話」しかしません。しかしそもそも「経済」という言葉は「お金」だけを意味する言葉ではなかったはずです。経済の元となった「経世済民」という言葉は「世の中をうまく治めて人びとが幸せな生活を送る事ができるようにすること」というほどの意味でありました。つまりお金は幸せに暮すための指標の一つでしかなかったはずです。

ところがいつの頃からか、お金が手に入れば他の指標も満たされて幸せになれるということになってしまったのです。いつしか金銭的な指標の目的達成の為に、他の全てを犠牲にしても走り続けるという事態に至ります。株主配当のために働かされる大企業の社員たちは幸せでしょうか?全国各地の実例を挙げながら、実は豊かな生活を楽しんでいる幸せな人たちがいるのだという事を教えてくれるのです。


 デフレの正体 経済は「人口の波」で動く (角川oneテーマ21)
 藻谷浩介
 角川書店(角川グループパブリッシング)

私がこの本を手に取ったキッカケは、NPO法人スマート観光推進機構(Myまち遊び)の星乃勝さんが、あるメーリングリストに載せられた1通のメールである(ブログ「関西観光応援団」の「藻谷浩介さんと山崎亮さんの著書」にも転載されている)。そこに同書の内容が詳しく紹介されているので、私の意見(黒文字)を交えながら、以下に抜粋(青文字)する。

勤労者1世帯当たり1ヵ月の実収入は、富山県692千円で1位、石川県643千円で2位、栃木県629千円で3位、福井県643千円で4位、秋田県614千円で5位だという。日本で一番所得の高い富山県の人は東京に買物に行き、徳島県の人は高速バスを利用して神戸や大阪に買物に行く。地元で消費せず都会に出て行くという現象が起きている。

経済を表す数字にはフローとストックがある。フローは日銭、ストックは蓄えである。ストックが多い所では日銭が少なくても生きていけるが、ストックが少ないところは日銭に追われる。愛知県は年収が多いように見えて、消費が地元還元されにくく、文化としてストックされにくい土地だ。大阪は戦争で丸焼けになりストックを失ったが、京都は焼けなかったのでストックが多くあり、町の地力が違うという。

これは戦災に遭わなかった奈良県も同じである。毎月発表される経済指標(フローの数値)を見ていると、いつも悪い数字のオンパレードなので、県民の多くは「奈良は貧しい県だ」とカン違いする。しかし奈良県下では市街地でも郡部でも、立派な家をよく見かける。集落まるごと蔵のついた豪邸揃い、というところもある。奈良県の1世帯平均貯蓄額(09年)は全国2位の18,991,000円だから、やはりストックが豊富なのだ(地力が違う)。

だから奈良県民の自殺死亡率(10万人あたり17.4人)は全国で最も低い。ちなみに1世帯平均貯蓄額(09年)が1位の香川県(1,9725,000円)は、自殺死亡率は45位(20.7人)と、低い方から3番目である。

ストックには、お金のストックと、コミュニティのようなソーシャルなストックがある。1960~1970年代のニュータウン建設時も、広場を共有するようなハード建設の『コミュニティデザイン』という考え方はあった。今は、空き家を活用する『コミュニティデザイン』が必要になってきた。人と人とをつなぐ『コミュニティデザイン』である。

個人所得も、1990年代に収入が伸びなくなり、「収入が伸びなくてもよい」という考え方がでてきた。経済学的には「限界効用の逓減」という。「お金もいいけどもっと内面の充実が図れるはずだ」「お金で買えないものが沢山ある」「経済成長は手段であって、目的は一人ひとりの幸せだ」と気付くようになってきた。


藻谷さんは《アダム・スミスが描いたような「いつか経済成長してみんなが豊になり、人類が殺し合うことはなくなる」という世界観から、「成長しろ」ということだけがイデオロギーとして取り出されてしまった》とも書かれている。

平均値で考えると“東京に住むほうがお金を稼いで勉強もできる”のかもしれない、でも、それは平均値であって、実際に勉強しているのか、お金を稼いで豊かに生活しているのかというと、必ずしもそうではない。

藻谷さんはこんな風に説明している。東京に出てくれば豊かになれる、景気が良くなれば売上げが上がる、町に人が集まれば自然と商売がうまくいくと考えるのは、平均点の高いクラスに編入すれば、自分の点数も上がると思いこむことと同じである。実際には、クラスの平均点を下げるだけなのに…。《経済学の語っていることはすべて相関関係であって因果関係ではないので、いつも注意しなくてはなりません》とは、けだし至言である。

バブル期の輸出は41兆円で、2011年は1.5倍の63兆円になった。2011年は震災と円高に見舞われたが、輸出は減っていない。輸入は原発事故の影響で石油やLNG価格が高騰して1割ほど増加しており、通年で貿易赤字に転落している。円安が進めば、省エネをさらに進めなければ赤字が続くかもしれないが、全体として貿易収支の黒字が続く。

外国に投資した金利収入が、バブル期で3兆円。2011年には14兆円ある。この金額は岩手、宮城、福島が受けた震災の損害額に匹敵する。何もしなくても入ってくる14兆円。食料自給率39% といいながら、食料輸入額の5兆円程度と比較しても貿易黒字は大きい。

しっかりした農産物や海産物を作ったり、文化的な工芸品を作って、ブランドを確立すれば、地域の財政も黒字となる。鹿児島の経済成長は焼酎と黒豚から出ている。ストックがあるうちに、地域が豊かになることにストックを使うことが大切だ。フランスやイタリアは高度な消費が文化というストックを生み、その文化が外貨を稼いでいるのだ。

阿倍野の近鉄百貨店にコミュニティスペースを作る動きがある。都市は地縁型のコミュニティでなく、テーマ型のコミュニティだという。テーマを特化して実施するチームをたくさん作り、これをどう組み合わせ、商店街や自治会とどう連携させるかだという。


 経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか (平凡社ライブラリー)
 ダグラス・ラミス
 平凡社

このあと星乃さんは「山崎亮さんのあとがき」というもう1通のメールをくださった(ブログ「関西観光応援団」)。

山崎亮さんがこの本を書くことになったのは、ダグラス・ラミスの『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』にあったという。「経済が成長し続けなければならない」という考え方が、自然を破壊し、資源を搾取し、一部の地域に貧困を生み出し、場合によっては戦争する原因になっている。だとすれば「経済は成長すべきである」という常識自体を変えなければならないのではないかというのがラミス氏の主張である。

そして、『経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのでしょうか?』という疑問を、藻谷さんに直接投げかけようと思ったという。「まちづくりをやっても売上げが上がらなくては意味ないでしょう」という人がいる。また「お金にはならなかったけど楽しかったね」という人もいる。往々にして、前者はまちづくりに挑戦しない人から聞くことが多く、後者は実際に挑戦した人たちから聞くことが多いという。

「儲ける」といえば「お金を儲ける」ということを想起してしまいがちだ。「友を儲ける」「子を儲ける」という意味で「儲ける」という言葉を使うことはほとんど無くなった。コミュニティデザインの仕事をするなかで、多くの友を儲けることになる。仕事が終わった後も情報交換し、たまに遊びに行くといつでも迎えてくれる友達を得る。こうした人たちとのつながりは僕たちにとってかけがえのない財産になると書かれている。

プロジェクトを進めるうちに多くのことを学ぶことになる。いろんな話を聞くことができるし、いろんな場所に連れて行ってもらえることになる。美味しい食べ物も気持ちの良い温泉もある。これらも僕たちにとって大きな儲けだ。

Studio-Lという僕たちの事務所の働き方は、金銭的な利潤を最大化させるためにあくせく働くより、地域のためになる仕事をするなかで信頼関係を少しでも多く手に入れたいと考えているという。営利事業として外部から「頼まれた仕事」の部分と、非営利事業として「頼まれてもいないのに取り組む仕事」の部分がある。

「頼まれた仕事」も委託費の多寡で仕事をすることは無い。「頼まれてもいないのに取り組む仕事」は、勝手に押し掛けていく仕事だから人件費も出ていない。交通費や経費も自分たちで払って関わっているという。こうした非営利事業のなかで試験的方法を試して、うまくいきそうであれば営利事業にも反映するという。「お金がなくてもいい」というようなことは言っていない。生活に必要なお金を得ることも重要だという。

このあたりの感覚は、まちづくりや地域の観光に携わるものに共通する部分があるように思う。「人に喜んでもらいたい」「人と人とのつながりを大切にしたい」との思いだ。この気持ちが“おもてなしの心”を生むのだと思う。私も「お金にはならなかったけど楽しかったね」という人になりたいものだと思う。

コミュニティデザインの時代 - 自分たちで「まち」をつくる (中公新書)
山崎亮
中央公論新社

星乃さんが触れられた「限界効用逓減の法則」のところをもう少し掘り下げた書評がブログ「講演会:少子高齢社会の未来図」に載っているので紹介する。

■100字要旨
経済成長率と現実の幸福感にはズレがある上、経済成長には限界効用逓減の法則が成り立つ。そのため、ある程度豊かになった日本は国家運営の目標を経済成長から幸せな暮らしに移行し、物質と精神的満足の両立を図るべきだ。

■経済成長率と実態には四重のずれが生じる
経済成長率と幸福感には比例関係があると主張する人が多い。しかし、実際に経済成長していない全国の中山間地域に行くと、豊かに楽しそうに生活している人達が大勢いる。このような経済成長率と実態のズレはどうして生じるのだろうか。
第一に、経済成長率の計算は多数の仮定の積み重ねの上に成り立っているので、現実と一致する方が難しい。
第二に、経済成長率の計算が仮に正確にできたとしても、それは平均値の話なので、その構成員である個人個人の富の増加ペースとはずれている。
第三に、経済成長率が本当に高い地域に成長を実感できている人がいたとしても、そこで測っているのはフローであって、過去にその人がどれだけストックを蓄積しているかという話ではない。
第四に、経済的にストックがあってかつ成長していたとしても、その人が人間的に幸せになれるとは限らない。このように、数字と実態の間には四重のずれが生じてしまう。

■いつまでも成長しなければならないわけではない
経済学には限界効用逓減という一般則がある。発展途上でモノが不足している社会では、ある程度までモノが増えていくことが嬉しい。年収が伸びてくることで個人も社会もどんどん豊かになる。しかし、ある程度のポイントを過ぎたら、それ以上年収が伸びても豊かさの実感はさほど伸びなくなる。つまり、踊り場かゴールかは不明だが、ある程度落ち着くところまで日本は行ってしまったと考えられる。

お金の成長だけを続けるよりも、今後は金銭換算できない価値を増やしても良いくらいまでに世の中が成熟してきたんじゃないかとも言える。ある程度全員が食えるところまでお金は貯まったのに、その後もこれまでと同じペースで経済成長していくのが目的だなんてカルト集団に近い。国家運営の目的は経済成長自体ではなく、みんなが幸せに暮らすことであり、この点を忘れたお金だけの成長の議論は、すべて極論になってしまう。

■物欲と精神的満足のミックスが日本の幸せ
一旦物欲まみれというステージをきちんと通り過ぎた後で、やっぱり物欲だけではしょうがないというところに至って初めて、次のステージに行ける。日本は物欲を通り過ぎるところまで来ているので、ブータン等にはできないような幸福度の指標を作成しても良いように思う。だけど、その際には日本人特有の妬み僻みの構造(日本には他人が落ちることによって自分が上がった気になる人が多い)があるので、それを排除する方法を考えないといけない。

ある程度のモノの良さも分かった上で、モノ以外で精神的に満たされることが必要だ。恐らく、何かほどほどのミックスを我々は狙っているのだろう。ある程度赤字だけど、そんなに赤字を垂れ流してはいない海土町みたいな所と、ある程度儲かるけど文化性や幸福度が足りない豊田市のような所と、ほどほどの所をライフステージに応じてそれぞれ選んでいけるということが日本の幸せではないだろうか。

■斬新な点
山奥にカフェが誕生することは、渋谷に一軒カフェができるのと全く異なるインパクトを持つ。「そこにカフェができた」という噂が隣町にまで広まっている。だから、かなり遠い所からも車で乗り付けてきて、お洒落な雑誌も毎号そこで読めるし、自分の家に友達が訪ねてきた時もそこを紹介できる場所になっている。そういう場所で地域の若い人が居合わせると、テレビの話を一通りした後に、「私たちの町はどういう方向に行くんだろう」という話になったりする。

そういう場所でワークショップをすると、一回目と二回目のワークショップの間にカフェでけっこう町の話題が共有されていて、その内容がいきなりすごく高いレベルまで行くことがある。なぜそうなるのかと言えば、カフェに良く集まる人が雑談をすることで、言わば非公式のワークショップが毎日積み重なるからだ。つまり、山奥のカフェはすごく公共性のある施設であると同時に、町の可能性を語る場にもなっている。


 コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる
 山崎亮
 学芸出版社

引用ばかりの記事になってしまったが、本書の主張はお分かりいただけたと思う。「全員が食えるところまでお金は貯まったのに、その後もこれまでと同じペースで経済成長していくのが目的だなんてカルト集団に近い。国家運営の目的は経済成長自体ではなく、みんなが幸せに暮らすこと」というくだりがあった。

2010年、ウチの会社のOBで「ナント・なら応援団」というボランティアガイドのグループを作った。春秋に特別開帳している奈良のお寺などで、仏像やお寺の由緒を解説するのである。謝金は交通費実費と、昼食代実費相当額(500円)だけだが、皆さん、喜んでガイドされている。「参拝者に喜んでいただくのが自分の喜び」とおっしゃるのだ。これが星乃さんがお書きの「人に喜んでもらいたい」「人と人とのつながりを大切にしたい」だから「お金にはならなかったけど楽しかったね」ということなのである。

今度はダグラス・ラミス著『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』を読んで、もう少しこのあたりの考えを深めてみたい。
コメント (6)
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