tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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吉野町 柿の葉寿司(産経新聞「なら再発見」第13回)

2013年01月19日 | なら再発見(産経新聞)
産経新聞奈良版と三重版に好評連載中の「なら再発見」、今朝(1/19)の見出しは《吉野町「柿の葉寿司」 山里の家庭料理に舌鼓》である。愛知県刈谷市に住むソムリエの加藤英之さんが、何度も現地に足を運んで書かれた力作だ。では全文を紹介する。
※トップ写真は季節料理店「静亭(しずかてい)」の柿の葉寿司。5/12に再アップした

 本場の「柿の葉寿司」が食べたくなって、愛知県刈谷市愛知県の自宅を出て吉野に向かった。柿の葉寿司は本来、奈良、和歌山両県の吉野川(紀ノ川)の山里の家庭料理だ。
 江戸時代中頃、熊野灘の夏鯖(なつさば)は、塩を打たれた後、紀ノ川を遡(さかのぼ)ったり熊野街道を峠越えしたりして運ばれてきた。
 薄切りの塩鯖は寿司飯にのせて柿の葉で包み、杉の桶に詰め込んで蓋(ふた)と重石を載せる。数日置いて乳酸発酵させた馴(な)れ寿司が起源だが、今は発酵させず押し寿司にしている。
 やがて新巻鮭を使ったものがレパートリーに加えられるようになった。今では鯛や穴子もある。また毎年秋には、柿の葉が紅葉したものが数量限定で販売されている。


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 吉野町の金峯山寺蔵王堂から歩いて勝手神社に着いたところで、季節料理店「静(しずか)亭」に立ち寄った。
 勝手神社は、源頼朝に追われる義経に従った静御前が舞を奉納した場所と伝わる。静亭のテラスの前に谷を挟んで広がる桜の山は、中千本だ。
 冬ともなれば、雪の華舞う吉野山だ。柿の葉寿司と鮎の塩焼き、葛うどん、それに地酒も注文する。地酒は「八咫烏(やたがらす)」や「猩々(しょうじょう)」「花巴」と役者が揃っている。
 若女将の林美佳さんによると、柿の葉は夏場の青々としたものを塩漬けにして使う。渋柿の葉でなければならないそうで、平核無(ひらたねなし)という品種が最上という。葉の表を内側にして寿司を包む。柿の葉には生臭さをす効果がある。タンニンが含まれているので防腐の作用があり、鯖の身も締まる。
 甘柿より渋柿の葉の方がタンニンを多く含むという。また、渋柿の葉の方が葉脈が細くて折れにくく、しなやかで包みやすいようだ。吉野の人々の繊細な心遣いが感じられる。


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 2軒隣りには、「櫻花壇(さくらかだん)」がある。昭和天皇が昭和26年の巡幸の際に宿泊された旅館で、大棟の両端には鴟尾(しび)が載っていて風格が漂う。
 吉川英治や小林秀雄、今日出海(こんひでみ)、山本健吉ら多数の文人が泊まったことでも知られる。昭和5年秋には、谷崎潤一郎が1カ月ほど滞在し、「吉野葛」を執筆している。谷崎は3年後に「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」を発表する。そこで吉野地方の柿の葉寿司を絶賛したことから、全国的に知られるようになった。
 「陰翳礼讃」を読み返すと、吉野へ遊びに行った友人に作り方を教わり、家で作るとうまかったと書いている。
 どうやら谷崎は、吉野で柿の葉寿司を食したことはないようだ。吉野町上市の総本家平宗は、昭和天皇ご巡幸時に吉野名物として鮎寿司を献上した老舗。女将の平井良子さんに確かめたところ、谷崎が来店したことはないという。
 本場で柿の葉寿司を食べなかったことは、さぞ心残りだろう。
(奈良まほろばソムリエ友の会 加藤英之)



こちらは、柿の葉ずしヤマトの商品

私は紀ノ川筋の九度山町(和歌山県伊都郡)で生まれ育ったので、柿の葉寿司は自宅で作ったものを食べた。秋祭りのときのご馳走だ。母の実家(吉野郡大淀町)では、6月1日の川開きのときに作っていた。自宅で作る柿の葉寿司は鯖がメインだが、蒲鉾(ナルト)を載せたものもあった。


平宗では、鍋焼きうどんにも柿の葉寿司がついてきた

日にちが経った鯖寿司は柿の葉を外してフライパンで焼き、「焼き鯖寿司」にして食べたが、これがとても美味しかった。出来たての鯖寿司を勝手に焼いて、叱られたこともあった。柿の葉に巻いたまま、炙り焼きにする家もあった。

今も柿の葉寿司は、吉野山へ行くと必ずお土産に買って帰る。以前当ブログに、本場吉野の「柿の葉寿司」という記事を載せたこともある。

加藤さん、美味しい柿の葉寿司のお話、有難うございました!


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