tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

田中利典師の「祈りの再生と復興」

2013年01月15日 | 田中利典師曰く
金峯山寺の田中利典師(金峯山修験本宗宗務総長)がFacebookに、「佛教タイムス」1月10日号に寄稿された「年頭所感」を転載されている。心に響く文章なので、全文を引用してここに紹介する。誠に僭越ながら、特に私の琴線に触れた部分を太字で記載させていただいた。

 祈りの再生と復興
金峯山修験本宗 宗務総長 田中利典 

新年明けましておめでとうございます。一昨年の、あの東日本大震災からすでに六百数十日が過ぎました。被災地に生きるみなさんの苦渋の生活は未だ復興の行く末もみえぬまま、日本全体といえば「のど元過ぎれば熱さ忘れる」の態で、まるで「あれはなかったことにしよう」とばかりの様相。原発再起動などのことも含め、震災以前の状況に戻そうという世の流れを憂います。

しかし、全国民的に「決してなかったことになどできない」っていうことを知るべきだと私は思います。自分の出来る範囲を越えてでも、出来る限りの復興支援を続けて行かなければならないと思っています。

さて、あの大震災で人々を救ったものには三つがあったと言われています。そしてその三つは、戦後の日本が忌み嫌い続けたモノでもあったとも言われます。

一つめは自衛隊・軍隊でした。被災地を献身的に支え、多くの人々を救済し、孤立した人々に命懸けで手の差し伸べたのは、自衛隊でした。また賛否両論があるとはいえ、アメリカの海兵隊もトモダチ作戦のもと、たくさんの日本人を助けてくれました。


二つ目は、天皇陛下でありました。東北の被災地の人々だけではなく、未曾有の災害に心を病んだ日本人全体の心を支えたのは、時の総理大臣の言葉ではなく、天皇陛下の、国民へのお見舞いのお言葉でした。また病身を押して、自らたびたび被災地や避難所見舞われた、陛下ご夫妻のお姿だったのです。

大東亜戦争の敗戦後、自虐史観と左翼主義に陥ったこの国の人々は自衛隊と天皇制度を忌避続けてきたように思います。しかし未曾有のあの状態の中、国民の光となり得たのは、まさに自衛隊と天皇陛下でした。

もう一つは、祈り、であります。家族、肉親、友人を亡くし、心砕ける想いで生き残った人たちは、逝った人々への鎮魂を祈り、またもうこれ以上の災害が起こらないで欲しいと、願いました。祈りや願いさえ失い絶望した人もあると聞きますが、生き残った人のほとんどは、祈りや願いの中に生きる力を得て、うつむくことを止めたのでした。

それを宗教と呼ぶのは語弊もあるでしょうが、そもそも日本人の宗教とは、日々、神や仏や、先祖や自然の恩恵への、祈り、願いが本質であります。戦後の日本は政教分離のもとに、この日本人の本質である、神仏への祈りさえ忌避続けてきたわけですが、あの未曾有の大災害は、自然への畏怖・畏敬や、神仏への祈りの記憶を呼び覚ますほどのすさまじさだったのです。

あの大震災を「なかったことにしてはいけない」とするなら、この災害日本と言われる風土の中に生きて、育みつづけてきた日本人の神仏、自然への祈りを、今こそ取り戻すべきときだと私は確信しています。強欲資本主義によって、これ以上この国の風土と文化を壊してはいけない、そこに多くの人々が気づいてほしいと、年頭に当たり、新たに、願わずにはいられません。 合 掌


東日本大震災は、東大寺二月堂修二会(お水取り 2/20~3/14)の最中に起きた。修二会は、十一面観音に罪過を懺悔(さんげ)してその功徳により除災招福を祈る、という悔過(けか)法要である。

私は最初、「よりにもよって除災招福をお祈りしている最中に、こんな大地震が起きるとは! 神も仏もないものか」と落胆したが、その後たくさんの宗教者が被災地を訪ねて祈りを捧げ、被災地の人々も神仏に祈ることで生きる希望を取り戻そうとしている姿に接し、自らの不明を恥じた。神仏への「祈りの心」は、日本人の中に生き続けていたのである。

震災被害を拡大したのは原発事故であり、それは経済成長至上主義(田中師のいう「強欲資本主義」)の申し子であることは明らかである。仏教には「少欲知足」という美しい言葉もある。この国の風土と文化を壊してはいけない、そのためには戦後の忘れ物を回復し、新たな価値観を構築しなければならない。大震災は「なかったことにしてはいけない」のである。

田中利典師、年頭に当たり素晴らしいお話を有難うございました。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする