1/6(日)、奈良交通のバスツアー「奈良まほろばソムリエと行く 深イイ奈良旅」(旅行企画・実施=奈良交通、協力=奈良まほろばソムリエ友の会)の「開運!巳の神さま詣で」コースを案内した。もう1人のガイド役は露木基勝さん(桜井市)、サポーター(オブザーバー)は石田一雄さん(奈良市)。添乗員は石川奈々子さんであった。
※トップ写真は大神神社をガイドされる露木さん(1/6撮影。以下、日付のない写真は同日撮影のもの)
露木さんはそれぞれの神社についての説明、私はその周辺事項の説明、という役割分担だ。この日のコースは、長尾神社→野口神社→昼食・休憩→杵築神社→大神神社。当日配布されたレジメおよび露木さんの説明をもとに、ツアーの様子を紹介する(レジメを制作されたのは、奈良まほろばソムリエの亀田幸英さん)。ご参加者は18名だったので、少し小ぶりのバスに乗り込んだ。
1.長尾神社(ながおじんじゃ)(葛城市長尾471)旧郷社
祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ)、豊受大御神(とようけのおおみかみ)
配祀:水光姫命(みひかひめのみこと)、白雲別命(しらくもわけのみこと)、住吉・熱田・諏訪各大神
由緒:延喜式神名帳(平安時代)に記されている旧式内社。日本三代実録には貞観元年(875)正月27日長尾神社従五位上とあり、今から千百年前にはこの地に鎮座されたことが、明らかである。
社殿:(本殿)2棟で東向き、一間社春日造、銅板葺。(拝殿)、(絵馬殿)、(社務所)。
摂社:厳島神社(市杵島姫命)、末社の春日神社(春日四神)を配祀
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長尾神社二の鳥居(2012.12.14撮影)
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二の鳥居前の三福カエル(12.12.14撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/d1/51e977710f723dbc1f1f6d1041602176.jpg)
鳥居の前に「カエル」がいる。三福カエル(子連れの母ガエルと父ガエル)で、(交通、健康、財)を守るとされる。氏子からの寄進で、カエルの意味は「無事かえるように」との洒落をこめてある。当地は昔から、交通の要衝の地で交通安全の神様でもあるので、旅に出たら無事帰るようにとの願いを込めたもの。現在のカエルは2代目で、昭和の初期の作。
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絵馬殿。子どもが生まれたら10/4に絵馬を奉納する。男児なら武者絵、女児なら尉と姥(じょうとうば)
この地は竹内街道と長尾街道が交差する古代からの交通の要衝。交通神として早くから祀られていた。祭神は古くは伊勢の内宮神(天照大御神)と外宮神(豊受大御神)であったが、江戸時代からミヒカヒメノミコト(神武天皇東征に際し、吉野川上に巡行時に井戸の中から現れたとされる水神・井戸の神で、社伝では応神天皇の時代にこのミヒカヒメノミコトが白蛇の姿で降臨したという)とシラクモワケノミコト(ミヒカヒメノミコトの父神で水神・雲の神)も祀るようになった。住吉・熱田・諏訪の各大神も祀る(交通安全)。
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御陰井跡。白蛇(ミヒカヒメノミコト)をこの井戸に封じたと伝える
伝説では、昔大和に大きな蛇が住み三輪山を三重に取巻きその尾は長尾まで届いた。三輪明神が頭で長尾神社はその尾にあたると言われている。一の鳥居から二の鳥居までの参道は直線で300mあり、馬場先(ばばさき)と呼ばれ、鎌倉時代には流鏑馬(やぶさめ)の行事が行われていた。この神社は古くから伊勢の内宮神と外宮神を祀っていたことより、江戸時代に位が段階的に上がり、正一位まで上がった。
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私は長尾神社に着くまでの車中で「孝女伊麻」の話をした。ソムリエ仲間の田原敏明さんが産経新聞に書かれた「孝女伊麻のふるさと葛城」(「なら再発見」第11回)のコピーを配り、地元(葛城市南今市)出身のお伊麻さんの孝行話を披露したのである。「えーっ、知らなかった」という声が続出していた。
2.野口神社(のぐちじんじゃ)(御所市蛇穴540)旧無格社
祭神:神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれひこのみこと)、彦八井命(ひこやいのみこと)
由緒:2祭神は作物の収穫を掌る水の神(竜神)で五穀豊穣を祈願し、邪気をはらい、諸々の病を除き守護して頂くとして信仰を集めている。
社殿:(本殿)御神体は木彫の竜神。(拝殿)、(社務所)。
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野口神社(12.12.14撮影)
蛇穴(さらぎ)のサラは「新」、ギは「来」を表す語といわれ、他所から新しく移って来た人々の意味。又、蛇がトグロを巻き円くなって穴を作る状態をサラギと言い、サラギに蛇穴の字をあてた。
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縁起によると神武天皇の御子ヒコヤイノミコトを祖とする茨田連(まんだむらじ)の子孫が河内国からここに移住、祖神を祀ったとみられる。神社西南の湧水は、近辺の町村の灌漑用水で、当社はこの水を守護する神として創祀された。
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5月5日に(野神行事)の汁掛祭・蛇(じゃ)綱引きが行われる。祭典当日3斗3升3合の味噌でワカメ汁を作り参拝者に汁をかけ厄除けを作法とする。5月4日の午前から藁で蛇の頭を組み5日に早朝から蛇の胴を作る(体長14m)。汁掛作法が終わると御神体を先頭に村中を引き回り家々の邪気を払い病除けを祈願してゆく。巡行が終わると神社の蛇塚に蛇綱をトグロに巻納め行事が終了する。<国選択無形民俗文化財>
由来は、神社社記によると、ここに住んでいた茨田の長者の娘が葛城山に修行に通う行者に恋をしたが行者は修行の身で応じなかったことから、娘は行者を呑み込もうと森の深く穴にこもる。5月5日の田植え時に地元のお百姓が大きな大蛇に遭遇。持っていた味噌汁を掛けると大蛇は井戸穴に、それに大きな石で蓋をした。その後娘の供養にと汁掛祭と蛇綱引きが行われているという。
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蛇綱(12.12.14撮影)。1/6に訪ねると、すでに撤去されていた
蛇穴(さらぎ)は県下有数の難読地名で、新来(さらき)であり皿器(さらき)なのだ。
昼食は、「大和鮨 夢宗庵」(柿の葉ずしヤマト御所店)でいただいた。お正月らしく華やかなにぎり寿司のセットで、とても美味しくいただいた。売店では柿の葉ずしも買って帰った。
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3.杵築神社(きつきじんじゃ)(磯城郡田原本町今里167)
主祭神:須佐男命(すさのおのみこと)、
脇祭神:(右)天児屋根命(あまのこやねのみこと)、(左)市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
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野神行事である今里の蛇(じゃ)巻きは6月第1日曜日に当神社で行われる。中学生以上の男子が麦わらで全長18mの蛇を作る。行事参加者が拝殿でお神酒を飲む間、村の参拝者にはわらの先にくくられた「わかめの味噌煮」が配られる。その後中学生(本来は15~17歳)の男子が蛇頭を抱え村の各戸を「おめでとう」と言いながら練り歩く。
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境内の榎に巻き付けられた蛇(12.12.14撮影)
蛇は再び杵築神社に戻り神社南側にある榎(よのみ、榎木)に頭を上に巻き付けられる(上り竜・昇り龍)。蛇が巻き付けられた木の下には野神の祠があり絵馬や農具のミニチュアが祭られる。旧暦の5月5日の端午の節句にちなんだ行事で五穀豊穣と農耕儀礼、成人の仲間入りを体験するものである。田植え時の雨乞いの祈りを含む。<国選択無形民俗文化財>
同日、隣の鍵地区にある八坂神社では稲わらで蛇を作り今里同様、村中を練り歩く。(鍵の蛇巻き)
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蛇の頭はその年の恵方を向くよう、巻き付けられる(12.12.14撮影)
(今里の蛇巻き)行事では、「わかめの味噌煮」が配られるが、形は蛇がとぐろを巻いた状態を表し、食べることにより、蛇の生命力(脱皮)にあやかろうという意味を持つと思われる。
男の子らが「おめでとう」と言いながら、各戸をまわるがそれは、端午の節句を無事に越す祝いの意味と、地区で新築、出産(男子)、結婚、村入りした家から祝儀を貰っているので、「おめでとう」の意味もある。
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写真中央に、小さな祠がある
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祠のなかには、小さな農機具の模型が祀られている(12.12.14撮影)
今里地区には現在103戸の家があるが、全ての家が順番に当屋(行事の当番)をする。当屋は3戸で行い、前年の当屋は「送り当屋」、来年の当屋は「迎え当屋」と呼ばれ、合わせて9戸で協力して行事を仕切る。都合3年間行事に関わる。名誉ではあるが、準備も大変とのこと。
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神社から数10m東に南北に下ッ道(茶色の舗装)が通り、平城遷都1300年の時には、道に面した家には記念に鈴を懸けたがそのままの家もあるとのこと。今里浜については、大和川は亀瀬で二分されていて上流は魚簗(やな)船が航行し、寺川では最上流の今里まで遡ることが出来、今里には問屋の倉庫がたくさん並んでいた。すぐ東に「中街道」があったので奈良盆地の物資流通の拠点であった。
なお「杵築」とは出雲国(島根県)の地名で、出雲大社の門前町。もと出雲大社は「杵築大社」と言った。全国にある杵築神社は、出雲系の神々を祀る神社である。
4.大神神社(おおみわじんじゃ)(桜井市三輪1422)旧官幣大社、大和国一宮
祭神:大物主大神(おおものぬしのおおかみ、 神体山・三輪山)、
配祀:大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)
社殿:三輪山(467m)そのものを御神体としており、本殿をもたない。(拝殿)、(社務所)。
摂末社:41社
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拝殿は寛文4年(1664)に徳川4代将軍家綱が再建したもので、重要文化財に指定されている。
拝殿の奥正面にある三ッ鳥居は、三輪鳥居とも呼ばれ、古来当社の特色の一つ。三つの明神型鳥居を一体に組合せた形式であり、重要文化財に指定されている。
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巳の神杉
日本神話(記紀)には、大国主神(大己貴神)は出雲国を拠点に国造りに励んでいたが、協力者である少彦名神が常世国に去ったため思い悩んでいると、突如、海原を照らして神が出現した。その神は「吾はお前の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)である」といい、「吾は大和国、三輪山に住みたいと思う」といったという。その神が大物主神である。
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巳の神杉には蛇神さまの好物、卵と酒がお供えされている。そのまま飲んでもらえるよう、カップ酒の蓋は開けられていた
また『日本書紀』に「崇神天皇の代に疫病が流行し、多くの民が亡くなった。天皇の枕元に大物主神が現れ、大田田根子(おおたたねこ)にわが御前を祀らしめると国安らかに治まるとの神告があった。そこで大田田根子を探し出して神主として三諸山に大三輪の神を祀らしめたところ、疫病は止み、天下泰平となった」とある。
大物主神は蛇神とされ、種々の神婚説話でも知られる。これらは俗に三輪山伝説といわれる。そして水神または雷神の性格をもち稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として篤い信仰を集めている。また国の守護神(軍神)、氏族神(大田田根子の祖神)である一方で祟りなす強力な神(霊異なる神)ともされる。
出発から杵築神社(田原本町今里)までは極めてスムーズに進んできたが、ここから大神神社(桜井市三輪)まで、大渋滞に巻き込まれた。なんと!2時間近くかかったのである。さすがは巳の年の巳の神さまである。私たちが帰る頃になっても、どんどんマイカーが来ていた。
それにしても、面白いツアーだった。県下各地にはいろんな「ヘビ神さま」がいらっしゃるのである。車中でお話しようと、私はたくさんのネタを用意した。司馬遼太郎著『街道をゆく1』(竹内街道、葛城みち)、吉野裕子著『蛇 日本の蛇信仰』、現代語訳の『古事記』『日本書紀』。ソムリエの辰馬真知子さんが書かれた「三輪の巳(みぃ)さんの好物は?」(産経新聞「なら再発見」第10回)も朗読させていただいた。
産経新聞の「読者が選ぶ、私の好きな奈良ベスト20」および「奈良まほろばソムリエが選ぶ、私の好きな奈良ベスト20」も紹介させていただいた。とりわけソムリエベストには関心が高かった。ベストのなかで、暗峠(くらがりとうげ)、山添村、竹内(たけのうち)街道、西吉野町、川上村などはそれぞれ独立したバスツアーを組めそうである。「ソムリエが選ぶ奈良ベストスポット巡り」である。
今回のように、その年の「干支」にちなんだ神さまめぐりは定番にできそうだ。来年は午(うま)年なので、今から探しておかなければ…。
ご参加の皆さま、有難うございました。露木さん、メインガイドを立派に務めていただき深謝です。添乗員の谷さん、さすがはプロの腕前、お見事でした。石田さん、ご協力に感謝いたします。亀田さん、素晴らしいレジメをお作りいただき、有難うございました。奈良交通さん、来年は1月5日(日)でしょうか。
この「深イイ奈良旅」、来月は「健康長寿とぽっくり寺めぐり」(2/2、2/16)です。3月には「古事記を巡るバスツアー」も実施されます。たくさんの方のご参加をお待ちしています!
※トップ写真は大神神社をガイドされる露木さん(1/6撮影。以下、日付のない写真は同日撮影のもの)
露木さんはそれぞれの神社についての説明、私はその周辺事項の説明、という役割分担だ。この日のコースは、長尾神社→野口神社→昼食・休憩→杵築神社→大神神社。当日配布されたレジメおよび露木さんの説明をもとに、ツアーの様子を紹介する(レジメを制作されたのは、奈良まほろばソムリエの亀田幸英さん)。ご参加者は18名だったので、少し小ぶりのバスに乗り込んだ。
1.長尾神社(ながおじんじゃ)(葛城市長尾471)旧郷社
祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ)、豊受大御神(とようけのおおみかみ)
配祀:水光姫命(みひかひめのみこと)、白雲別命(しらくもわけのみこと)、住吉・熱田・諏訪各大神
由緒:延喜式神名帳(平安時代)に記されている旧式内社。日本三代実録には貞観元年(875)正月27日長尾神社従五位上とあり、今から千百年前にはこの地に鎮座されたことが、明らかである。
社殿:(本殿)2棟で東向き、一間社春日造、銅板葺。(拝殿)、(絵馬殿)、(社務所)。
摂社:厳島神社(市杵島姫命)、末社の春日神社(春日四神)を配祀
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長尾神社二の鳥居(2012.12.14撮影)
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二の鳥居前の三福カエル(12.12.14撮影)
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鳥居の前に「カエル」がいる。三福カエル(子連れの母ガエルと父ガエル)で、(交通、健康、財)を守るとされる。氏子からの寄進で、カエルの意味は「無事かえるように」との洒落をこめてある。当地は昔から、交通の要衝の地で交通安全の神様でもあるので、旅に出たら無事帰るようにとの願いを込めたもの。現在のカエルは2代目で、昭和の初期の作。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/ae/fc333cd513fc0932ac8994fcf0f2a0d1.jpg)
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絵馬殿。子どもが生まれたら10/4に絵馬を奉納する。男児なら武者絵、女児なら尉と姥(じょうとうば)
この地は竹内街道と長尾街道が交差する古代からの交通の要衝。交通神として早くから祀られていた。祭神は古くは伊勢の内宮神(天照大御神)と外宮神(豊受大御神)であったが、江戸時代からミヒカヒメノミコト(神武天皇東征に際し、吉野川上に巡行時に井戸の中から現れたとされる水神・井戸の神で、社伝では応神天皇の時代にこのミヒカヒメノミコトが白蛇の姿で降臨したという)とシラクモワケノミコト(ミヒカヒメノミコトの父神で水神・雲の神)も祀るようになった。住吉・熱田・諏訪の各大神も祀る(交通安全)。
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御陰井跡。白蛇(ミヒカヒメノミコト)をこの井戸に封じたと伝える
伝説では、昔大和に大きな蛇が住み三輪山を三重に取巻きその尾は長尾まで届いた。三輪明神が頭で長尾神社はその尾にあたると言われている。一の鳥居から二の鳥居までの参道は直線で300mあり、馬場先(ばばさき)と呼ばれ、鎌倉時代には流鏑馬(やぶさめ)の行事が行われていた。この神社は古くから伊勢の内宮神と外宮神を祀っていたことより、江戸時代に位が段階的に上がり、正一位まで上がった。
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私は長尾神社に着くまでの車中で「孝女伊麻」の話をした。ソムリエ仲間の田原敏明さんが産経新聞に書かれた「孝女伊麻のふるさと葛城」(「なら再発見」第11回)のコピーを配り、地元(葛城市南今市)出身のお伊麻さんの孝行話を披露したのである。「えーっ、知らなかった」という声が続出していた。
2.野口神社(のぐちじんじゃ)(御所市蛇穴540)旧無格社
祭神:神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれひこのみこと)、彦八井命(ひこやいのみこと)
由緒:2祭神は作物の収穫を掌る水の神(竜神)で五穀豊穣を祈願し、邪気をはらい、諸々の病を除き守護して頂くとして信仰を集めている。
社殿:(本殿)御神体は木彫の竜神。(拝殿)、(社務所)。
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野口神社(12.12.14撮影)
蛇穴(さらぎ)のサラは「新」、ギは「来」を表す語といわれ、他所から新しく移って来た人々の意味。又、蛇がトグロを巻き円くなって穴を作る状態をサラギと言い、サラギに蛇穴の字をあてた。
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縁起によると神武天皇の御子ヒコヤイノミコトを祖とする茨田連(まんだむらじ)の子孫が河内国からここに移住、祖神を祀ったとみられる。神社西南の湧水は、近辺の町村の灌漑用水で、当社はこの水を守護する神として創祀された。
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5月5日に(野神行事)の汁掛祭・蛇(じゃ)綱引きが行われる。祭典当日3斗3升3合の味噌でワカメ汁を作り参拝者に汁をかけ厄除けを作法とする。5月4日の午前から藁で蛇の頭を組み5日に早朝から蛇の胴を作る(体長14m)。汁掛作法が終わると御神体を先頭に村中を引き回り家々の邪気を払い病除けを祈願してゆく。巡行が終わると神社の蛇塚に蛇綱をトグロに巻納め行事が終了する。<国選択無形民俗文化財>
由来は、神社社記によると、ここに住んでいた茨田の長者の娘が葛城山に修行に通う行者に恋をしたが行者は修行の身で応じなかったことから、娘は行者を呑み込もうと森の深く穴にこもる。5月5日の田植え時に地元のお百姓が大きな大蛇に遭遇。持っていた味噌汁を掛けると大蛇は井戸穴に、それに大きな石で蓋をした。その後娘の供養にと汁掛祭と蛇綱引きが行われているという。
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蛇綱(12.12.14撮影)。1/6に訪ねると、すでに撤去されていた
蛇穴(さらぎ)は県下有数の難読地名で、新来(さらき)であり皿器(さらき)なのだ。
昼食は、「大和鮨 夢宗庵」(柿の葉ずしヤマト御所店)でいただいた。お正月らしく華やかなにぎり寿司のセットで、とても美味しくいただいた。売店では柿の葉ずしも買って帰った。
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3.杵築神社(きつきじんじゃ)(磯城郡田原本町今里167)
主祭神:須佐男命(すさのおのみこと)、
脇祭神:(右)天児屋根命(あまのこやねのみこと)、(左)市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
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野神行事である今里の蛇(じゃ)巻きは6月第1日曜日に当神社で行われる。中学生以上の男子が麦わらで全長18mの蛇を作る。行事参加者が拝殿でお神酒を飲む間、村の参拝者にはわらの先にくくられた「わかめの味噌煮」が配られる。その後中学生(本来は15~17歳)の男子が蛇頭を抱え村の各戸を「おめでとう」と言いながら練り歩く。
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境内の榎に巻き付けられた蛇(12.12.14撮影)
蛇は再び杵築神社に戻り神社南側にある榎(よのみ、榎木)に頭を上に巻き付けられる(上り竜・昇り龍)。蛇が巻き付けられた木の下には野神の祠があり絵馬や農具のミニチュアが祭られる。旧暦の5月5日の端午の節句にちなんだ行事で五穀豊穣と農耕儀礼、成人の仲間入りを体験するものである。田植え時の雨乞いの祈りを含む。<国選択無形民俗文化財>
同日、隣の鍵地区にある八坂神社では稲わらで蛇を作り今里同様、村中を練り歩く。(鍵の蛇巻き)
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蛇の頭はその年の恵方を向くよう、巻き付けられる(12.12.14撮影)
(今里の蛇巻き)行事では、「わかめの味噌煮」が配られるが、形は蛇がとぐろを巻いた状態を表し、食べることにより、蛇の生命力(脱皮)にあやかろうという意味を持つと思われる。
男の子らが「おめでとう」と言いながら、各戸をまわるがそれは、端午の節句を無事に越す祝いの意味と、地区で新築、出産(男子)、結婚、村入りした家から祝儀を貰っているので、「おめでとう」の意味もある。
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写真中央に、小さな祠がある
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祠のなかには、小さな農機具の模型が祀られている(12.12.14撮影)
今里地区には現在103戸の家があるが、全ての家が順番に当屋(行事の当番)をする。当屋は3戸で行い、前年の当屋は「送り当屋」、来年の当屋は「迎え当屋」と呼ばれ、合わせて9戸で協力して行事を仕切る。都合3年間行事に関わる。名誉ではあるが、準備も大変とのこと。
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神社から数10m東に南北に下ッ道(茶色の舗装)が通り、平城遷都1300年の時には、道に面した家には記念に鈴を懸けたがそのままの家もあるとのこと。今里浜については、大和川は亀瀬で二分されていて上流は魚簗(やな)船が航行し、寺川では最上流の今里まで遡ることが出来、今里には問屋の倉庫がたくさん並んでいた。すぐ東に「中街道」があったので奈良盆地の物資流通の拠点であった。
なお「杵築」とは出雲国(島根県)の地名で、出雲大社の門前町。もと出雲大社は「杵築大社」と言った。全国にある杵築神社は、出雲系の神々を祀る神社である。
4.大神神社(おおみわじんじゃ)(桜井市三輪1422)旧官幣大社、大和国一宮
祭神:大物主大神(おおものぬしのおおかみ、 神体山・三輪山)、
配祀:大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)
社殿:三輪山(467m)そのものを御神体としており、本殿をもたない。(拝殿)、(社務所)。
摂末社:41社
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拝殿は寛文4年(1664)に徳川4代将軍家綱が再建したもので、重要文化財に指定されている。
拝殿の奥正面にある三ッ鳥居は、三輪鳥居とも呼ばれ、古来当社の特色の一つ。三つの明神型鳥居を一体に組合せた形式であり、重要文化財に指定されている。
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巳の神杉
日本神話(記紀)には、大国主神(大己貴神)は出雲国を拠点に国造りに励んでいたが、協力者である少彦名神が常世国に去ったため思い悩んでいると、突如、海原を照らして神が出現した。その神は「吾はお前の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)である」といい、「吾は大和国、三輪山に住みたいと思う」といったという。その神が大物主神である。
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巳の神杉には蛇神さまの好物、卵と酒がお供えされている。そのまま飲んでもらえるよう、カップ酒の蓋は開けられていた
また『日本書紀』に「崇神天皇の代に疫病が流行し、多くの民が亡くなった。天皇の枕元に大物主神が現れ、大田田根子(おおたたねこ)にわが御前を祀らしめると国安らかに治まるとの神告があった。そこで大田田根子を探し出して神主として三諸山に大三輪の神を祀らしめたところ、疫病は止み、天下泰平となった」とある。
大物主神は蛇神とされ、種々の神婚説話でも知られる。これらは俗に三輪山伝説といわれる。そして水神または雷神の性格をもち稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として篤い信仰を集めている。また国の守護神(軍神)、氏族神(大田田根子の祖神)である一方で祟りなす強力な神(霊異なる神)ともされる。
出発から杵築神社(田原本町今里)までは極めてスムーズに進んできたが、ここから大神神社(桜井市三輪)まで、大渋滞に巻き込まれた。なんと!2時間近くかかったのである。さすがは巳の年の巳の神さまである。私たちが帰る頃になっても、どんどんマイカーが来ていた。
それにしても、面白いツアーだった。県下各地にはいろんな「ヘビ神さま」がいらっしゃるのである。車中でお話しようと、私はたくさんのネタを用意した。司馬遼太郎著『街道をゆく1』(竹内街道、葛城みち)、吉野裕子著『蛇 日本の蛇信仰』、現代語訳の『古事記』『日本書紀』。ソムリエの辰馬真知子さんが書かれた「三輪の巳(みぃ)さんの好物は?」(産経新聞「なら再発見」第10回)も朗読させていただいた。
産経新聞の「読者が選ぶ、私の好きな奈良ベスト20」および「奈良まほろばソムリエが選ぶ、私の好きな奈良ベスト20」も紹介させていただいた。とりわけソムリエベストには関心が高かった。ベストのなかで、暗峠(くらがりとうげ)、山添村、竹内(たけのうち)街道、西吉野町、川上村などはそれぞれ独立したバスツアーを組めそうである。「ソムリエが選ぶ奈良ベストスポット巡り」である。
今回のように、その年の「干支」にちなんだ神さまめぐりは定番にできそうだ。来年は午(うま)年なので、今から探しておかなければ…。
ご参加の皆さま、有難うございました。露木さん、メインガイドを立派に務めていただき深謝です。添乗員の谷さん、さすがはプロの腕前、お見事でした。石田さん、ご協力に感謝いたします。亀田さん、素晴らしいレジメをお作りいただき、有難うございました。奈良交通さん、来年は1月5日(日)でしょうか。
この「深イイ奈良旅」、来月は「健康長寿とぽっくり寺めぐり」(2/2、2/16)です。3月には「古事記を巡るバスツアー」も実施されます。たくさんの方のご参加をお待ちしています!