tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

魚佐旅館は、名門・国学院栃木ラグビー部の定宿だった!(2013Topic)

2013年01月22日 | お知らせ
昨日(1/21付)の毎日新聞栃木版「イチゴいちえ」欄に、このほど廃業した魚佐旅館のことが出ていた。執筆されたのは奈良出身の中津成美記者。魚佐旅館は高校ラグビーの名門、国栃(國學院大學栃木高等学校)の定宿だった(國學院大學久我山高等学校も、魚佐が定宿だった)。見出しは「国栃ラグビー部の定宿」。全文を紹介する。
※トップ画像は国栃ラグビー部の公式ホームページより

正月は古里・奈良市で過ごした。その間、地元で寂しいニュースに接した。老舗旅館「魚佐旅館」が今月3日、経営困難を理由に閉館したのだ。創業時期は不明だが、江戸末期の文久2(1862)年にこの旅館が作った暦(カレンダー)が残っているという。観光スポットの猿沢池に面し、間近に興福寺の五重塔が見えた。

同旅館の専務だった金田充史さん(49)によると、ここ最近は修学旅行客を中心に経営してきたが、阪神大震災のころから宿泊客が減り、08年から持ち直していたものの、東日本大震災の影響などから再び客足が途絶え、採算回復の見通しがつかなくなったという。

栃木との縁は、高校ラグビー。今回を含め、県代表として全国大会に13年連続、18回も出場している国学院栃木が初出場したころからの定宿だった。選手たちはここから毎回、大会会場の近鉄花園ラグビー場(東大阪市)に通っていた。現在、チームを率いる吉岡肇監督は「お世話になった旅館。長い付き合いがあった。思い出もたくさんあったのに」と残念がっている。

玄関前ロビーに設置されたテレビでは、吉岡監督や選手が対戦相手の試合を見て、イメージトレーニングした。広間は「作戦本部」になった。早朝は近くの奈良公園を散歩し、体操後に旅館に戻ると、ボリューム満点の朝食が待っていた。

旅館従業員は「国栃」の練習が終わるのに合わせ、いつでも大浴場に入れるよう湯をはっていた。試合当日はテレビにくぎ付け。「押せ、押せ」の声が響いた。金田さんは年明けの試合には花園まで応援に行くこともあったという。「国栃の選手は礼儀正しかった。長年、見てきたため、もう世話ができないのは寂しい。旅館を閉めるのも断腸の思いだった」と話した。

スクラムで「あと一押し」というとき、旅館の従業員の応援も届いて力になっただろう。寂しさは残るが、選手のかけがえのない思い出になっていればうれしい。


奈良県は従来、オフシーズン期の宿泊客を誘致するため「全国高校ラグビー大会」出場校の県内宿泊を推進している。県、県ビジターズビューロー(旧観光連盟)、県旅館ホテル生活衛生同業組合がプロジェクトチームを組織。歓迎ムードを盛り上げるため、看板・ポスター・横断幕を設置したり、知事やミス奈良・せんとくんによる激励訪問、記念品プレゼント(公式ボール、スポーツドリンクなど)などの施策に取り組んできた(2011年度の取り組みはこちら)。

魚佐旅館の金田専務は、先陣を切ってこの活動を推進してきた。ボリューム満点の朝食、いつでも入れる大浴場、花園への応援などはその現れである。先日魚佐旅館を訪ねると、早くも什器・備品類の運び出しが始まっていた。選手たちの思い出の詰まる老舗旅館の廃業は、かえすがえすも残念だ。

※この画像は県のホームページより
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする