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今井町大環濠の発掘調査の成果が、橿原市博物館で展示中!(2014Topic)

2014年12月14日 | お知らせ
先日(12/7)、当ブログの「今井町『大環濠』の保存を!」という記事で、発掘調査が行われた今井町の巨大環濠を紹介した。環濠の幅は20mに及び、そこから天正年間のものと見られる弾丸が出てきた。弾丸は、織田信長の軍勢が脅しのために打ち込んだものだろうとされる。

今井町町並み保存会会長・若林稔さんのブログによると、この発掘調査の成果が「「歴史に憩う橿原市博物館」」(橿原市川西町858-1)で展示されている。展示の案内チラシは、こちら(PDF)である。若林さんのブログ記事によると、
※写真は、若林さんのブログから拝借



拙ブログで今井町での環濠発掘調査の公開を掲載してきましたが、今回12月6日から26日まで、「歴史に憩う橿原市博物館」でその時の模様が展示されています。テーマは「今井町から江戸時代を語る~今井寺内町発掘調査の成果から~」(織田信長を語るのに、江戸時代のタイトルは如何かと思いますが…)。

今井町の環濠の発掘調査はこれまでに11回、行われていますが、そのうち9回は一般公開もされず、埋め戻されてきました。しかし2011年11月に行われた発掘調査は大々的に一般公開をしていただき、多くの方に関心を深めていただくことが出来ました。実態を目のあたりにすると、歴史は途端に身近なものになりますす。発掘調査を見た皆さんの理解は、ずいぶん変わり、織田信長と対峙した今井町の姿勢が、評価されるようになりました。そして今回(2014年11月)の発掘調査では、旧環濠のすごさを再認識しました。



今井町は、織田信長を語らなければ片手落ち。今井町は中世・戦国時代から続く歴史を評価できる町です。それなのに「江戸時代」という言葉が今井町の枕詞となり、慣例にしてしまったこれまでのイメージを置き換えやすくする、大きな調査だったとも思っています。実物を見るということは大切なことだと実感しました。タイトル「今井町から江戸時代を語る」は変えてほしいな!

それはともかく現地の発掘調査をまだ見ていない方やもう一度見たいなと思ったり、説明を聞きたいなという方は「歴史に憩う橿原市博物館」までお出かけください。




なお読売新聞の記事「今井寺内町の衣食住紹介 橿原の出土遺物 陶器など展示」(12/7付)によると、発掘により出土した遺物も展示されているそうだ。

一向宗の寺内町や商業都市として栄えた中近世の環濠かんごう集落・今井寺内町(橿原市今井町)の発掘調査で出土した遺物を紹介する展示が6日、歴史に憩う橿原市博物館(同市川西町)の1階ロビーで始まった。26日まで。

町の西南にあった江戸時代~昭和初期の外濠ぼりや、戦国時代に埋められたとみられる下層の旧環濠から出土した約30点を公開。織田信長と対立していた戦国時代に撃ち込まれた可能性のある鉛玉のほか、江戸時代の陶器や灯明皿、仏具、人形など、当時の暮らしがうかがえる生活品が並ぶ。

このうち、子ども用とみられる長さ15センチの下駄げたは、歯の部分がすり減っており、かなり使い込んだことがわかる。薬として使われたとみられる鹿の角や、食べかすらしい大きな巻き貝の殻などもあり、担当者は「江戸時代の今井町の衣食住を感じてほしい」としている。入場無料で、月曜休館。問い合わせは同博物館(0744・27・9681)。


話は変わるが、冒頭で紹介した「今井町『大環濠』の保存を!」という当ブログ記事をFacebookで紹介したところ、Iさんという女性から、こんなコメントをいただいた。

子供時代を過ごした人間としては、あの町は平城宮跡や藤原京の広場と違って、人間が普通に生活している場所でもあるので、場所によってはそのまま残されてしまうと生活に支障が起こる気もします。奈良は歴史があり堀ったら常に何か出てくる場所ではありますが、時代も進んでいます。奈良から離れて長くなりましたが、外から地元を見ると、グローバルの時代ですから、人間も変革が必要で、歴史を残しつつも過去にとらわれるのはいけないなあとも思います。子供時代に今井町で走り回って遊んでいたのは、贅沢な思い出ですが、なにか閉塞的で保守的な町でもあったので、いろんな意味でしんどくもあったなあとも思います。とはいえ、保存できるだけの余裕があるのであれば、是非保存して頂きたいですが。

これに対して、若林さんから、こんな意見が寄せられた。

今井町をよくご存知でしたらこの発掘現場もよくお分かりだと思います 春日神社の裏側(西側)です。町の外側で、来町者に説明でき、後世に伝えることが出来る遺跡が出てきたのです。これを平城京や藤原京のように埋め戻して単なる交通広場にせず遺跡も見学、叶うなら復元を願うのは、住んでいる人間が「閉塞的であった」とおっしゃる今井町を活性化する努力を、長年続けている私の視点です。Facebookを通じて、これまでの今井町でのイベントの開催や町の人たちと意識改革を続けている事実は、ご承知いただいていると思います。全国的に有名になり、訪れる人たちとの会話も多くなってきています。いつまでも「今井町は人間も変革が必要で、歴史を残しつつも過去にとらわれるのはいけない」「閉塞的で保守的な町でもあったので、いろんな意味でしんどくもあったなあとも思います」という考えは、持ち続けないでいただきたいと思います。

これに対してIさんからは、こんなコメントをいただいた。

私は場所を把握していなかったもので、どうかはわかりませんでしたが、今住んでいる方に支障がなく、地元が残したいと思っているのであれば、残す方がよいのでしょう。自治体が勝手に決めるのはどうかと思いますので。がんばってください。

Iさんはあくまでも「今住んでいる方に支障がなく、地元が残したいと思っているのであれば、残す方がよい」という意見であるが、私は、それは違うと思う。今の住民や市民の意見を、たとえ民主主義的な手続きで集約したところで、それはたかだか平成20年代に生きていた住民・市民の意見に過ぎない。50年後、100年後、200年後の住民・市民の意見ではない。これは決してオーバーな表現ではなく事実、この環濠は400年以上も前から守られてきた貴重な遺構なのである。それこそグローバルで長期的な見地から、保存すべきか、埋め戻すべきかを議論しなければならない。単に今住んでいる人々の便宜だけで判断してはならないと思うが、いかがだろう。

閑話休題。この展示は、あまり知られていないようで、とても残念だ。皆さん、ぜひ歴史に憩う橿原市博物館に足をお運びいただき、発掘調査の展示をご覧ください!

コメント (2)
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