12月21日(日)、NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」の納会が春日野荘で行われた。午後1時~4時半までの第1部は「研究発表会」と「講演会」、その後の第2部は「懇親会」(忘年会)という恒例の行事である。
※トップ写真は、松田度氏の講演の様子
第1部は
1.大峯奥駈道を歩く(その1) 奈良まほろばソムリエの会 鈴木英一理事(40分)
2.大峯奥擬送を歩く(その2) 奈良まほろばソムリエの会 亀田幸英理事(40分)
3.紀伊山地の霊場と参詣道~大峯奥駈を中心に(その歴史と現状)~
大淀町教育委員会 主任技師 松田度(わたる)氏(90分)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/8f/98ef698b155089fb0dbfb2c3bb78a7c8.jpg)
小北理事長の冒頭挨拶
私は所用のため、松田氏の講演の途中で退席したが、当会会員の鹿鳴人さんが、ブログ「鹿鳴人のつぶやき」に詳しく紹介して下さったので、以下に全文を引用する。
私も所属しているNPO法人の奈良まほろばソムリエの会の講演会と忘年会がありました。講演会は一般の方も含め100名以上集まり、会場が満員でした。ことしは「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産登録10年という年で、このテーマに沿ったお話を興味深く聞きました。司会・進行は小野理事、そして小北理事長のご挨拶がありました。
最初に「大峯奥駆道を歩く」(その1)鈴木英一さんから約40分のお話。奥駆の歴史などをくわしく語られました。9月、天川村から大峯山寺へ登り宿坊で1泊。2日目は山上ケ岳の夜明けから弥山へ、2日間で42000歩という厳しい行程が語られました。鈴木さんは75才とのこと。ふつう奥駆修行は65才が定年だそうです。いかに大変であるかよくわかりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/be/b02e64a37f46242554559568d0baccb9.jpg)
鈴木理事の「大峯奥駆道を歩く」(その1)
2人目は「大峯奥駆道を歩く」(その2)、弥山(みせん)から前鬼(ぜんき)裏行場を亀田幸英さん。9月11日、天川村洞川~大峯山寺・山上ヶ岳(龍泉寺宿坊泊)、9月12日、山上ヶ岳~弥山(弥山小屋泊)、あとはひとりで9月13日、弥山~前鬼(小仲坊泊)約13キロ、9月14日、前鬼裏行場~前鬼口約16キロという行程だったそうです。スライドを見ながらお話を聞きましたが、なかなか厳しい山道であり、よく行かれたものだと思います。そして深田久弥の「日本百名山」に挑戦中とのことで、健脚なことです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/56/4a392bbd659333cd112b11428577b30b.jpg)
亀田理事の「大峯奥駆道を歩く」(その2)
本日のメインゲストは松田度さん。同志社大学大学院では森浩一先生の門下生で、現在は吉野郡大淀町教育委員会主任技師という40才の気鋭の学者です。スライドを使って90分ほど熱心にお話いただきました。「紀伊山地の霊場と参詣道~大峯奥駆を中心に~(その歴史と現状)」というタイトルでした。
歴史として、三つの野ということで、高野・熊野・吉野。霊場の誕生のくわしい説明を聞きました。そして奥駆道をいろいろとくわしくお話いただきました。現状ということで、課題(神仏分離・女人禁制・生態系)の話がありました。おだやかな語り口で、とてもわかりやすくお話いただきました。 以下が、この日松田先生が言いたかったことではないかと思いますので、資料をコピーします。
奈良まほろばソムリエ有志の皆さんと、2014 年の2月から「吉野を見直す会」を続けています。月1回の集いや現地見学などを通じ、古代史を中心とした吉野を勉強しています。そのなかで心がけていることは、著名な学者の書いた一般書やガイドブックでは語られない、ほんとうの吉野の実像を深めよう、見直そうということです。
たとえば吉野、というとき思いうかべるもの。修験者(山伏)であったり、千本桜であったり、後醍醐天皇にはじまる南朝哀史であったりします。しかし、このようなイメージが、どのようにして私たちのもとに入り込んだのか、その源流をさぐってゆくと、「吉野」と銘打った書籍であったり、著名な学者たちの講演会であったりします。そのイメージは、吉野の豊かな地域文化史の、ほんの一こまにすぎません。
観光、という非日常のイベントでは、上記のようなほんの一こまの地域文化史を、ダイジェストで堪能することに醍醐味があります。しかし、それによって、その地域の多様な人と自然のかかわり、生活文化のあり方が、むしろ「隠蔽」されてしまうことだってあります。見せたくないものに蓋をするように。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/db/ce86c04688aa68eef4c6c4b460d087e0.jpg)
今、吉野のイメージは、多くの人々の評価があるにもかかわらず、ずいぶんと固定化・膠着化されているのでは?我は苦しやと、もがく鮎のように、世界遺産という看板をせおった華やかなイメージは、吉野という地域文化とそこに生きた人々の歴史を、むしろ、固定的に理解するよう要求しているようにも思えます。
すこし、吉野を例にあげてみましたが、ソムリエの皆さんに提案したいのは、吉野を含めた奈良県各地域の「実像を見直す」という作業です。地域(考える場)を多様に理解し、その対象にせまる精度をより深め、私たち自身の地域に対する視野と価値観をより多様に、豊かに、ひろげてゆこうという試みです。
この深い理解にたってあらためて「奈良県」という地域文化をみわたすとき、せわしなく変容しながらも、多様に受け継がれてきた「ほんとうの地域像」がみえてくるはずと、わたしは信じてうたがいません。私が世界遺産をみつめるまなざしも、これに拠っています。
そのためにまず必要なのは、何ものにも御されない、常に冴えたクリアーな視野をもつこと、そして、これまでの多くの著書や学者が唱導したその地域のイメージをいったん空白にして、今残る地域の「場(フィールド)」を訪ねることです。この「場」とは、私たちがいつでもその「根源」に帰還できる、という意味で、もっとも重要なテキスト(教科書)といえます。
あとは、その普遍的価値が失われないよう、その「場」の多様な保存方法のあり方をわたしたち自身で考え、議論し、実践し、生活文化のなかへともどしてゆく作業が肝要です。みなさんもぜひ、その知識と経験を、地域で活かしてください。
と結ばれました。その後、忘年会は会員のうち70名ほどが和気藹々と立食パーティーで講師の松田先生ともご一緒に楽しみました。
確かに私たちは地域を「観光資源」と見なすあまり、手っ取り早く「ステレオタイプ」化しがちである。しかし、その過程でそぎ落としたものの中にこそ「ほんとうの地域像」があるのかも知れない。本来、観光の醍醐味は、その地の「生活文化」を味わうことにある。曇りのない目で地域を見直し、そぎ落としたものを再構成することが大切なのである。これは目からウロコだ。
後日、この会の担当理事の1人に「懇親会で、ゆっくり松田先生と話がしたかったなぁ」と言うと、「若いイケメンの先生なので、女性会員にとり囲まれて、近づくことも出来なかったよ」とのこと。さもありなん、また機会を見つけてお会いすることにしたい。
小野理事、大山理事、素晴らしい企画を有難うございました。鈴木理事、亀田理事、まさに命がけで大峯奥駈道を歩き、素晴らしいカラー写真とともに、ユーモアを交えながらご苦労話を楽しくお聞かせいただきました。松田先生、深いお話を有難うございました。ぜひまたご講話をお聞きしたいと思います。その節は、どうぞよろしくお願いいたします!
※トップ写真は、松田度氏の講演の様子
第1部は
1.大峯奥駈道を歩く(その1) 奈良まほろばソムリエの会 鈴木英一理事(40分)
2.大峯奥擬送を歩く(その2) 奈良まほろばソムリエの会 亀田幸英理事(40分)
3.紀伊山地の霊場と参詣道~大峯奥駈を中心に(その歴史と現状)~
大淀町教育委員会 主任技師 松田度(わたる)氏(90分)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/8f/98ef698b155089fb0dbfb2c3bb78a7c8.jpg)
小北理事長の冒頭挨拶
私は所用のため、松田氏の講演の途中で退席したが、当会会員の鹿鳴人さんが、ブログ「鹿鳴人のつぶやき」に詳しく紹介して下さったので、以下に全文を引用する。
私も所属しているNPO法人の奈良まほろばソムリエの会の講演会と忘年会がありました。講演会は一般の方も含め100名以上集まり、会場が満員でした。ことしは「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産登録10年という年で、このテーマに沿ったお話を興味深く聞きました。司会・進行は小野理事、そして小北理事長のご挨拶がありました。
最初に「大峯奥駆道を歩く」(その1)鈴木英一さんから約40分のお話。奥駆の歴史などをくわしく語られました。9月、天川村から大峯山寺へ登り宿坊で1泊。2日目は山上ケ岳の夜明けから弥山へ、2日間で42000歩という厳しい行程が語られました。鈴木さんは75才とのこと。ふつう奥駆修行は65才が定年だそうです。いかに大変であるかよくわかりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/be/b02e64a37f46242554559568d0baccb9.jpg)
鈴木理事の「大峯奥駆道を歩く」(その1)
2人目は「大峯奥駆道を歩く」(その2)、弥山(みせん)から前鬼(ぜんき)裏行場を亀田幸英さん。9月11日、天川村洞川~大峯山寺・山上ヶ岳(龍泉寺宿坊泊)、9月12日、山上ヶ岳~弥山(弥山小屋泊)、あとはひとりで9月13日、弥山~前鬼(小仲坊泊)約13キロ、9月14日、前鬼裏行場~前鬼口約16キロという行程だったそうです。スライドを見ながらお話を聞きましたが、なかなか厳しい山道であり、よく行かれたものだと思います。そして深田久弥の「日本百名山」に挑戦中とのことで、健脚なことです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/56/4a392bbd659333cd112b11428577b30b.jpg)
亀田理事の「大峯奥駆道を歩く」(その2)
本日のメインゲストは松田度さん。同志社大学大学院では森浩一先生の門下生で、現在は吉野郡大淀町教育委員会主任技師という40才の気鋭の学者です。スライドを使って90分ほど熱心にお話いただきました。「紀伊山地の霊場と参詣道~大峯奥駆を中心に~(その歴史と現状)」というタイトルでした。
歴史として、三つの野ということで、高野・熊野・吉野。霊場の誕生のくわしい説明を聞きました。そして奥駆道をいろいろとくわしくお話いただきました。現状ということで、課題(神仏分離・女人禁制・生態系)の話がありました。おだやかな語り口で、とてもわかりやすくお話いただきました。 以下が、この日松田先生が言いたかったことではないかと思いますので、資料をコピーします。
奈良まほろばソムリエ有志の皆さんと、2014 年の2月から「吉野を見直す会」を続けています。月1回の集いや現地見学などを通じ、古代史を中心とした吉野を勉強しています。そのなかで心がけていることは、著名な学者の書いた一般書やガイドブックでは語られない、ほんとうの吉野の実像を深めよう、見直そうということです。
たとえば吉野、というとき思いうかべるもの。修験者(山伏)であったり、千本桜であったり、後醍醐天皇にはじまる南朝哀史であったりします。しかし、このようなイメージが、どのようにして私たちのもとに入り込んだのか、その源流をさぐってゆくと、「吉野」と銘打った書籍であったり、著名な学者たちの講演会であったりします。そのイメージは、吉野の豊かな地域文化史の、ほんの一こまにすぎません。
観光、という非日常のイベントでは、上記のようなほんの一こまの地域文化史を、ダイジェストで堪能することに醍醐味があります。しかし、それによって、その地域の多様な人と自然のかかわり、生活文化のあり方が、むしろ「隠蔽」されてしまうことだってあります。見せたくないものに蓋をするように。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/db/ce86c04688aa68eef4c6c4b460d087e0.jpg)
今、吉野のイメージは、多くの人々の評価があるにもかかわらず、ずいぶんと固定化・膠着化されているのでは?我は苦しやと、もがく鮎のように、世界遺産という看板をせおった華やかなイメージは、吉野という地域文化とそこに生きた人々の歴史を、むしろ、固定的に理解するよう要求しているようにも思えます。
すこし、吉野を例にあげてみましたが、ソムリエの皆さんに提案したいのは、吉野を含めた奈良県各地域の「実像を見直す」という作業です。地域(考える場)を多様に理解し、その対象にせまる精度をより深め、私たち自身の地域に対する視野と価値観をより多様に、豊かに、ひろげてゆこうという試みです。
この深い理解にたってあらためて「奈良県」という地域文化をみわたすとき、せわしなく変容しながらも、多様に受け継がれてきた「ほんとうの地域像」がみえてくるはずと、わたしは信じてうたがいません。私が世界遺産をみつめるまなざしも、これに拠っています。
そのためにまず必要なのは、何ものにも御されない、常に冴えたクリアーな視野をもつこと、そして、これまでの多くの著書や学者が唱導したその地域のイメージをいったん空白にして、今残る地域の「場(フィールド)」を訪ねることです。この「場」とは、私たちがいつでもその「根源」に帰還できる、という意味で、もっとも重要なテキスト(教科書)といえます。
あとは、その普遍的価値が失われないよう、その「場」の多様な保存方法のあり方をわたしたち自身で考え、議論し、実践し、生活文化のなかへともどしてゆく作業が肝要です。みなさんもぜひ、その知識と経験を、地域で活かしてください。
と結ばれました。その後、忘年会は会員のうち70名ほどが和気藹々と立食パーティーで講師の松田先生ともご一緒に楽しみました。
確かに私たちは地域を「観光資源」と見なすあまり、手っ取り早く「ステレオタイプ」化しがちである。しかし、その過程でそぎ落としたものの中にこそ「ほんとうの地域像」があるのかも知れない。本来、観光の醍醐味は、その地の「生活文化」を味わうことにある。曇りのない目で地域を見直し、そぎ落としたものを再構成することが大切なのである。これは目からウロコだ。
後日、この会の担当理事の1人に「懇親会で、ゆっくり松田先生と話がしたかったなぁ」と言うと、「若いイケメンの先生なので、女性会員にとり囲まれて、近づくことも出来なかったよ」とのこと。さもありなん、また機会を見つけてお会いすることにしたい。
小野理事、大山理事、素晴らしい企画を有難うございました。鈴木理事、亀田理事、まさに命がけで大峯奥駈道を歩き、素晴らしいカラー写真とともに、ユーモアを交えながらご苦労話を楽しくお聞かせいただきました。松田先生、深いお話を有難うございました。ぜひまたご講話をお聞きしたいと思います。その節は、どうぞよろしくお願いいたします!