先日、「観光地奈良の勝ち残り戦略」の第102回(10/16付)で「高級ホテル用地は大邸宅跡!」というブログ記事を書いた。毎日新聞が独自に入手した橿原考古学研究所(橿考研)の報告書をもとに報じたスクープ記事を紹介したのである。その後、12月2日(水)になって、ようやく橿考研が正式に発表した。「貴族の邸宅跡?警察署跡地、奈良時代の建物跡が出土」(同日付の朝日新聞デジタル)によると、
奈良市の平城京跡にあたる奈良警察署跡地で、奈良時代後半(8世紀後半)のものとみられる掘立(ほったて)柱建物跡37棟や井戸跡10基などが見つかった。奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)が2日発表した。一帯は平城宮に近く、政争で自害した「悲劇の宰相」、長屋王(ながやおう)の邸宅があった「一等地」。専門家は貴族の邸宅だった可能性を指摘している。
建物跡は奈良時代後半の複数の時期にわたり、最大で南北27・5メートル、東西7・5メートル。平城京市街の1区画(約120メートル四方)を宅地利用していたとみられ、東側3分の1程度を南北に区切るように三つの柵列もあり、西端は小規模建物群があった。3種類の上薬を施した特殊な三彩(さんさい)瓦や土器の破片も確認されたが、木簡は見つかっていない。
近くを流れる佐保川の氾濫(はんらん)で被災した可能性があり、被災後に再び建物群が整備されたともみられる。田辺征夫(いくお)・奈良県立大特任教授(考古学)は「地域が貴族の屋敷の立ち並ぶ一角だったことが一層鮮明になった」と話す。
旅館・ホテルの客室数・宿泊客数が全国最下位の奈良県は調査地を含む一帯で、東京五輪のある2020年までに外資系ホテルや国際会議場などの建設を計画している。県企業立地推進課の担当者は「(遺構そのものは保存せず)詳細な記録を残すとの報告を文化財の担当課から受けている。計画やスケジュールの見直しはせずに進める」と話している。現地説明会は20日午前10時~午後3時。小雨決行。問い合わせは橿考研(0744・24・1101)へ。(塚本和人、栗田優美)
12/20(日)に実施する「名神大社巡拝ツアー」の集まりが悪いのはどうやら、この現地説明会とカブッたからだということが分かった(ツアーは募集中です!)。それはともかく「(遺構そのものは保存せず)詳細な記録を残す」とは、つまり破壊するということだ。そんなことを本当に「文化財の担当課」が公言したのだろうか。疑問に思っていると、奈良新聞にこんな記事が出た。《県教委「保存せず」 調査結果で開発に影響も》(12/8付)。
県が国際級のホテル誘致などを目指す、奈良市三条大路1丁目の旧奈良署跡地。県立橿原考古学研究所の調査で、奈良時代後半(8世紀後半)の貴族邸宅跡が見つかり、保存と活用の面から注目を集めている。県教育委員会文化財保存課は「現時点では遺構の現地保存の必要はない」としているが、来夏まで続く調査の結果によっては今後、計画への影響も考えられる。
県は旧奈良署跡地と隣接する県営プール跡地など合わせて約3・1ヘクタールに、国際級ホテルの誘致を核とした再開発を計画。コンベンション施設やバスターミナルなどのほか、NHK奈良放送局も移転する予定だ。一方、今回の調査では旧奈良署跡地から奈良時代後半の掘っ立て柱建物37棟などを確認。平城京内の区画「坪(町)」の全体を占有していたとみられ、貴族の邸宅だった可能性が高いという。(中略)
調査結果を受け、県教委文化財保存課は「学術的に現地保存を要するほどの必要はないと判断している」と、遺構の記録保存に留める方針を示す。県立橿原考古学研究所では今後、奈良三彩の瓦が見つかった大型の土坑(どこう)や井戸を詳しく調査する予定。木簡などの重要な文字資料が出土する可能性も残っている。
つまりは「来夏まで続く調査の結果によっては今後、計画への影響も考えられる」という結論のようだ。テレビを見ていても、上記(朝日新聞)の田辺教授にしても、ずいぶん慎重な物言いをしている。しかも「企業立地推進課」「橿原考古学研究所」「教育委員会文化財保存課」と、県のいろんな「担当課」が登場していて、頭が混乱する。
「そもそも橿考研は、教育委員会の所管のはず」と疑問に思い、Wikipedia「橿原考古学研究所」を開いて、ビックリ仰天した。なんと、「2015年(平成27年) 奈良県教育委員会から奈良県知事部局へ移管」とあったのだ!
民間企業では「チャイニーズウォール」「ファイアーウォール」といって、情報の漏洩防止や影響力の排除に努めている。推進部門と管理部門を別組織にして牽制させることなども、その1つである。これまで橿考研は「教育委員会」という分離独立した組織にあった。それが「知事部局」に移管されたということは、その牽制が効かなくなるのではないか、という疑問も生じる。それが杞憂に終われば良いのだが…。
ともかく今は来年夏までの調査を待つことにしたい。12/20(日)の現地説明会に行かれる方は、ぜひ説明の内容をお知らせください!
奈良市の平城京跡にあたる奈良警察署跡地で、奈良時代後半(8世紀後半)のものとみられる掘立(ほったて)柱建物跡37棟や井戸跡10基などが見つかった。奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)が2日発表した。一帯は平城宮に近く、政争で自害した「悲劇の宰相」、長屋王(ながやおう)の邸宅があった「一等地」。専門家は貴族の邸宅だった可能性を指摘している。
建物跡は奈良時代後半の複数の時期にわたり、最大で南北27・5メートル、東西7・5メートル。平城京市街の1区画(約120メートル四方)を宅地利用していたとみられ、東側3分の1程度を南北に区切るように三つの柵列もあり、西端は小規模建物群があった。3種類の上薬を施した特殊な三彩(さんさい)瓦や土器の破片も確認されたが、木簡は見つかっていない。
近くを流れる佐保川の氾濫(はんらん)で被災した可能性があり、被災後に再び建物群が整備されたともみられる。田辺征夫(いくお)・奈良県立大特任教授(考古学)は「地域が貴族の屋敷の立ち並ぶ一角だったことが一層鮮明になった」と話す。
旅館・ホテルの客室数・宿泊客数が全国最下位の奈良県は調査地を含む一帯で、東京五輪のある2020年までに外資系ホテルや国際会議場などの建設を計画している。県企業立地推進課の担当者は「(遺構そのものは保存せず)詳細な記録を残すとの報告を文化財の担当課から受けている。計画やスケジュールの見直しはせずに進める」と話している。現地説明会は20日午前10時~午後3時。小雨決行。問い合わせは橿考研(0744・24・1101)へ。(塚本和人、栗田優美)
12/20(日)に実施する「名神大社巡拝ツアー」の集まりが悪いのはどうやら、この現地説明会とカブッたからだということが分かった(ツアーは募集中です!)。それはともかく「(遺構そのものは保存せず)詳細な記録を残す」とは、つまり破壊するということだ。そんなことを本当に「文化財の担当課」が公言したのだろうか。疑問に思っていると、奈良新聞にこんな記事が出た。《県教委「保存せず」 調査結果で開発に影響も》(12/8付)。
県が国際級のホテル誘致などを目指す、奈良市三条大路1丁目の旧奈良署跡地。県立橿原考古学研究所の調査で、奈良時代後半(8世紀後半)の貴族邸宅跡が見つかり、保存と活用の面から注目を集めている。県教育委員会文化財保存課は「現時点では遺構の現地保存の必要はない」としているが、来夏まで続く調査の結果によっては今後、計画への影響も考えられる。
県は旧奈良署跡地と隣接する県営プール跡地など合わせて約3・1ヘクタールに、国際級ホテルの誘致を核とした再開発を計画。コンベンション施設やバスターミナルなどのほか、NHK奈良放送局も移転する予定だ。一方、今回の調査では旧奈良署跡地から奈良時代後半の掘っ立て柱建物37棟などを確認。平城京内の区画「坪(町)」の全体を占有していたとみられ、貴族の邸宅だった可能性が高いという。(中略)
調査結果を受け、県教委文化財保存課は「学術的に現地保存を要するほどの必要はないと判断している」と、遺構の記録保存に留める方針を示す。県立橿原考古学研究所では今後、奈良三彩の瓦が見つかった大型の土坑(どこう)や井戸を詳しく調査する予定。木簡などの重要な文字資料が出土する可能性も残っている。
つまりは「来夏まで続く調査の結果によっては今後、計画への影響も考えられる」という結論のようだ。テレビを見ていても、上記(朝日新聞)の田辺教授にしても、ずいぶん慎重な物言いをしている。しかも「企業立地推進課」「橿原考古学研究所」「教育委員会文化財保存課」と、県のいろんな「担当課」が登場していて、頭が混乱する。
「そもそも橿考研は、教育委員会の所管のはず」と疑問に思い、Wikipedia「橿原考古学研究所」を開いて、ビックリ仰天した。なんと、「2015年(平成27年) 奈良県教育委員会から奈良県知事部局へ移管」とあったのだ!
民間企業では「チャイニーズウォール」「ファイアーウォール」といって、情報の漏洩防止や影響力の排除に努めている。推進部門と管理部門を別組織にして牽制させることなども、その1つである。これまで橿考研は「教育委員会」という分離独立した組織にあった。それが「知事部局」に移管されたということは、その牽制が効かなくなるのではないか、という疑問も生じる。それが杞憂に終われば良いのだが…。
ともかく今は来年夏までの調査を待つことにしたい。12/20(日)の現地説明会に行かれる方は、ぜひ説明の内容をお知らせください!
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