昨日(12/10)の定例記者会見で、荒井知事は国際級ホテル建設について、予定通り進めていきたいとの意向を示した。奈良新聞(12/11付)「ホテル計画を続行 旧奈良署跡 発掘結果受け知事」によると、
県が国際級ホテルの誘致へ協議を進めている奈良市三条大路1丁目周辺の一角、旧奈良警察署跡地で行われた発掘調査の結果を受けて、荒井正吾知事は10日、定例記者会見の中で同区域のホテルを含む周辺開発計画を予定通り進める考えを表明した。
同遺構について調査した県立橿原考古学研究所は「学術的に現地保存を必要とするほどではない」として、遺構の記録保存に留める方針を示している。
荒井知事は、この結果を踏まえ「記録保存の大切さは認識している。しっかり記録保存してほしい。ホテルの整備に関して現地の影響はほとんどないと聞いているので、プロジェクトは引き続き丁寧に慎重に、従来の定められたペースで進めたい」と述べた。
また同知事は、橿考研が最近5年間で実施した約250件の遺跡調査で、現地保存は県立明日香養護学校(明日香村川原)の校舎下から見つかった小山田遺跡と、大和郡山市の京奈和自動車道・郡山下ツ道ジャンクション整備に伴って調査された遺構の二つだけで。あとは全て記録保存だったことも説明した。
昨日(12/10)、当ブログの「開発?保存?国際級ホテル誘致」という記事で紹介したとおり、奈良新聞は《来夏まで続く調査の結果によっては今後、計画への影響も考えられる》と含みを残していたが、今日の記事では《県立橿原考古学研究所は「学術的に現地保存を必要とするほどではない」として、遺構の記録保存に留める方針を示している》と、ほぼ断定した格好になっている。
ここはある意味、世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産である「平城宮跡」のバッファゾーン(緩衝地帯)のような場所であるが、来夏まで続く調査結果を待たず「ホテル計画続行」と決めてしまって良いのか、大いに疑問が残る。
昨日の当ブログ記事をご覧になって、地方自治にお詳しいやいちさんから、こんなコメントをいただいた。
(1)開発は企業立地推進課、(2)文化財保護行政は文化財保存課、(3)文化財調査は橿考研、と言う役割分担であり、一般的な力関係は(1)>(2)>(3)だと思われます。そうすると、朝日新聞の記事で《県教育委員会文化財保存課は「現時点では遺構の現地保存の必要はない」としている》と書かれているのも理解できます(人事や予算の仕組みからすると教育委員会が独立していると言うのは幻想です)。
平成27年10月27日(木)の定例記者会見で、荒井知事は《保存をどんな形でするのかというのは、現在の生活とのバランスのように私は思います。イタリアでも弾力的にしようというふうになってきたと、青柳文化庁長官も奈良での講演の挨拶で話されていました。》と言っておられ、既に腹の中は決まっているように思います。
http://www.pref.nara.jp/dd.aspx?menuid=41744#itemid150622
朝日新聞の記事で《県企業立地推進課の担当者は「(遺構そのものは保存せず)詳細な記録を残すとの報告を文化財の担当課から受けている。》と書かれていますが、知事の意向を踏まえてのものかもしれません。来年夏までの調査を待つのでは手遅れのような気がします。
また私が指摘した、橿原考古学研究所の「奈良県教育委員会から奈良県知事部局への移管」について、Mさんがこんな新聞記事を知らせて下さった。朝日新聞奈良版(2/13付)《知事「文化財の展示に力」 橿考研、文化資源活用課に移管》。
県はこの春、豊富な文化財を研究するだけではなく、観光誘致や地域振興にも生かそうと、「文化資源活用課」を新設する。全国有数の研究機関、県立橿原考古学研究所も県教育委員会からこの課に移す。荒井正吾知事は12日記者会見し、「明日香村の古墳壁画を劣化させた教訓を踏まえ、文化財の公開・展示に力を入れる」と述べるなど、新しい施策の背景や思いを明かした。
荒井知事は、カビなどで劣化した明日香村の高松塚古墳(特別史跡、7世紀末~8世紀初め)の国宝壁画を例に挙げ、「専門家と称する人が囲い込み、だめにしてしまった」と文化庁など関係機関の対応を批判。「市民への公表が遺跡保存の原則だ。専門家だけに任せてはいけない」と強調した。
県は新年度、知事部局の地域振興部に文化資源活用課を設け、県立美術館(奈良市)や県立民俗博物館(大和郡山市)などを所管。橿考研と付属博物館(いずれも橿原市)についても県教委から移す。この意義について「文化財の意味がよく分からないまま保存されている面がある」と指摘。研究者以外が考古学の成果を検討・共有することで新たな価値が見いだされる「文化資源学」の考え方に沿っている、とも述べた。建物の復元を含めた遺跡の展示方法も、文化資源学に基づいて検討する。
県は当初、博物館だけの移管を模索したが、研究所と博物館は切り離せないとして、そろって移すことに決めた。荒井知事は「知事部局の方が、議会の公開性、予算の透明性が高い」などと説明した。スポーツや文化を首長部局に移す動きは各地にある。これまでほとんどの自治体で文化財の保護を教委が担ってきたことについて、文化庁の担当者は「政治的な思惑から一歩離れ、一定の独立性を保つのがふさわしいとの考え方があるが、最終的には各自治体の判断だ」と話す。
奈良県と同様の狙いで文化財部門を首長部局に移したのが、福岡市だ。市ゆかりの黒田官兵衛が大河ドラマに決まったこともあり、2012年、文化財と観光とを「経済観光文化局」に統合した。市は文化資源の活用に力を入れ、福岡城の整備を進める。西島裕二・文化財部長は「別々の部局にあった時と比べると連携がとりやすくなり、経済的な視点を持てるようになった一方、観光サイドに引っ張られるというデメリットもある」と自戒を込める。「お城の復元をめぐって歴史的な検証と観光振興を同じ部局が担うのは、審判が自らプレーしているような面もある。守るべきところは守らねばならない」(栗田優美)
高松塚古墳のカビによる劣化は、国の管理がずさんだったことが原因であり、決して「専門家による囲い込み」が原因なのではない。
今回の奈良市役所前の用地には、NHK奈良放送局も移転してくる計画だ。そこで思い出すのはNHKの大阪放送局(大阪放送会館)だ。ここは遺構をきちんと保存しつつ、ビルを建てている。同局のHPには
遺跡を保存した放送局
いにしえの大阪に都がおかれた上町台地に広がる難波宮跡。このあたりは、七世紀から八世紀の前期・後期難波宮などが眠る歴史ゾーンです。地下に眠る難波宮の遺構をビル全体で抱きかかえるように守り、大切に保存しています。
遺構を保存したNHK大阪放送局。奈良放送局が「遺跡を破壊した放送局」とならないことを、切に願いたい。朝日新聞記事のおしまいの「審判が自らプレーしているような面もある。守るべきところは守らねばならない」(福岡市文化財部長)という言葉には千鈞の重みがある。橿考研は、プレーヤーに堕すことなく、きちんと審判の役割を全うしていただきたいと願う。
県が国際級ホテルの誘致へ協議を進めている奈良市三条大路1丁目周辺の一角、旧奈良警察署跡地で行われた発掘調査の結果を受けて、荒井正吾知事は10日、定例記者会見の中で同区域のホテルを含む周辺開発計画を予定通り進める考えを表明した。
同遺構について調査した県立橿原考古学研究所は「学術的に現地保存を必要とするほどではない」として、遺構の記録保存に留める方針を示している。
荒井知事は、この結果を踏まえ「記録保存の大切さは認識している。しっかり記録保存してほしい。ホテルの整備に関して現地の影響はほとんどないと聞いているので、プロジェクトは引き続き丁寧に慎重に、従来の定められたペースで進めたい」と述べた。
また同知事は、橿考研が最近5年間で実施した約250件の遺跡調査で、現地保存は県立明日香養護学校(明日香村川原)の校舎下から見つかった小山田遺跡と、大和郡山市の京奈和自動車道・郡山下ツ道ジャンクション整備に伴って調査された遺構の二つだけで。あとは全て記録保存だったことも説明した。
昨日(12/10)、当ブログの「開発?保存?国際級ホテル誘致」という記事で紹介したとおり、奈良新聞は《来夏まで続く調査の結果によっては今後、計画への影響も考えられる》と含みを残していたが、今日の記事では《県立橿原考古学研究所は「学術的に現地保存を必要とするほどではない」として、遺構の記録保存に留める方針を示している》と、ほぼ断定した格好になっている。
ここはある意味、世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産である「平城宮跡」のバッファゾーン(緩衝地帯)のような場所であるが、来夏まで続く調査結果を待たず「ホテル計画続行」と決めてしまって良いのか、大いに疑問が残る。
昨日の当ブログ記事をご覧になって、地方自治にお詳しいやいちさんから、こんなコメントをいただいた。
(1)開発は企業立地推進課、(2)文化財保護行政は文化財保存課、(3)文化財調査は橿考研、と言う役割分担であり、一般的な力関係は(1)>(2)>(3)だと思われます。そうすると、朝日新聞の記事で《県教育委員会文化財保存課は「現時点では遺構の現地保存の必要はない」としている》と書かれているのも理解できます(人事や予算の仕組みからすると教育委員会が独立していると言うのは幻想です)。
平成27年10月27日(木)の定例記者会見で、荒井知事は《保存をどんな形でするのかというのは、現在の生活とのバランスのように私は思います。イタリアでも弾力的にしようというふうになってきたと、青柳文化庁長官も奈良での講演の挨拶で話されていました。》と言っておられ、既に腹の中は決まっているように思います。
http://www.pref.nara.jp/dd.aspx?menuid=41744#itemid150622
朝日新聞の記事で《県企業立地推進課の担当者は「(遺構そのものは保存せず)詳細な記録を残すとの報告を文化財の担当課から受けている。》と書かれていますが、知事の意向を踏まえてのものかもしれません。来年夏までの調査を待つのでは手遅れのような気がします。
また私が指摘した、橿原考古学研究所の「奈良県教育委員会から奈良県知事部局への移管」について、Mさんがこんな新聞記事を知らせて下さった。朝日新聞奈良版(2/13付)《知事「文化財の展示に力」 橿考研、文化資源活用課に移管》。
県はこの春、豊富な文化財を研究するだけではなく、観光誘致や地域振興にも生かそうと、「文化資源活用課」を新設する。全国有数の研究機関、県立橿原考古学研究所も県教育委員会からこの課に移す。荒井正吾知事は12日記者会見し、「明日香村の古墳壁画を劣化させた教訓を踏まえ、文化財の公開・展示に力を入れる」と述べるなど、新しい施策の背景や思いを明かした。
荒井知事は、カビなどで劣化した明日香村の高松塚古墳(特別史跡、7世紀末~8世紀初め)の国宝壁画を例に挙げ、「専門家と称する人が囲い込み、だめにしてしまった」と文化庁など関係機関の対応を批判。「市民への公表が遺跡保存の原則だ。専門家だけに任せてはいけない」と強調した。
県は新年度、知事部局の地域振興部に文化資源活用課を設け、県立美術館(奈良市)や県立民俗博物館(大和郡山市)などを所管。橿考研と付属博物館(いずれも橿原市)についても県教委から移す。この意義について「文化財の意味がよく分からないまま保存されている面がある」と指摘。研究者以外が考古学の成果を検討・共有することで新たな価値が見いだされる「文化資源学」の考え方に沿っている、とも述べた。建物の復元を含めた遺跡の展示方法も、文化資源学に基づいて検討する。
県は当初、博物館だけの移管を模索したが、研究所と博物館は切り離せないとして、そろって移すことに決めた。荒井知事は「知事部局の方が、議会の公開性、予算の透明性が高い」などと説明した。スポーツや文化を首長部局に移す動きは各地にある。これまでほとんどの自治体で文化財の保護を教委が担ってきたことについて、文化庁の担当者は「政治的な思惑から一歩離れ、一定の独立性を保つのがふさわしいとの考え方があるが、最終的には各自治体の判断だ」と話す。
奈良県と同様の狙いで文化財部門を首長部局に移したのが、福岡市だ。市ゆかりの黒田官兵衛が大河ドラマに決まったこともあり、2012年、文化財と観光とを「経済観光文化局」に統合した。市は文化資源の活用に力を入れ、福岡城の整備を進める。西島裕二・文化財部長は「別々の部局にあった時と比べると連携がとりやすくなり、経済的な視点を持てるようになった一方、観光サイドに引っ張られるというデメリットもある」と自戒を込める。「お城の復元をめぐって歴史的な検証と観光振興を同じ部局が担うのは、審判が自らプレーしているような面もある。守るべきところは守らねばならない」(栗田優美)
高松塚古墳のカビによる劣化は、国の管理がずさんだったことが原因であり、決して「専門家による囲い込み」が原因なのではない。
今回の奈良市役所前の用地には、NHK奈良放送局も移転してくる計画だ。そこで思い出すのはNHKの大阪放送局(大阪放送会館)だ。ここは遺構をきちんと保存しつつ、ビルを建てている。同局のHPには
遺跡を保存した放送局
いにしえの大阪に都がおかれた上町台地に広がる難波宮跡。このあたりは、七世紀から八世紀の前期・後期難波宮などが眠る歴史ゾーンです。地下に眠る難波宮の遺構をビル全体で抱きかかえるように守り、大切に保存しています。
遺構を保存したNHK大阪放送局。奈良放送局が「遺跡を破壊した放送局」とならないことを、切に願いたい。朝日新聞記事のおしまいの「審判が自らプレーしているような面もある。守るべきところは守らねばならない」(福岡市文化財部長)という言葉には千鈞の重みがある。橿考研は、プレーヤーに堕すことなく、きちんと審判の役割を全うしていただきたいと願う。