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矢野騒動(生駒一揆)を伝える「傘型連判状」(毎日新聞「ディスカバー!奈良」第80回)

2018年09月04日 | ディスカバー!奈良(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「ディスカバー!奈良」を連載している。先週(8/30)掲載されたのは「一揆伝える傘型連判状(かさがたれんぱんじょう)生駒市の生駒ふるさとミュージアム」、書かれたのは四条畷市在住の津山進さん。この一揆は知らなかった。サイト「生駒市デジタルミュージアム」によると、
※トップ写真は傘型連判状(萩原村のもの)。生駒市デジタルミュージアムから拝借 

生駒谷に残る傘型連判状
生駒市指定文化財 7点 江戸時代 慶応4年(1868)

慶応4年正月に起きた「矢野騒動」、「生駒一揆」と呼ばれる一揆の折に作成された傘形連判状です。旗本松平氏の所領であった生駒の11か村(5000石)のうち南田原・小明・辻・菜畑・有里・萩原・小瀬の7か村分の連判状が現在残っています。

幕末の動乱により領主側の出費がかさみ、領民に負担増を強いたため、小瀬村の与平ら惣代(そうだい)は従来の領主を拒否し、大坂の長州藩の陣屋へ願い出ました。嘆願を受けた長州藩の一隊は、辻村の陣屋に到着し、包囲していた約500人の百姓達が見守るなか、矢野代官ら陣屋役人を大坂へ連行しました。

「矢野騒動」は、「御一新」のさなかに起きた、全国的にも注目すべき一揆で、当地の人々の「世直り」への期待の大きさや領主を選びとろうとするたくましさをうかがうことができる、奈良県内でも珍しい貴重な史料です。


なるほど。これは興味深い話だ。何より「長州藩の陣屋へ願い出た」というところに驚く。当時、長州藩は「正義の味方」だったのだ!戊辰戦争はこの年に勃発し、年の途中から年号は「明治」と改められる。連判状は、生駒11ヵ村のうち7ヵ村の7枚が残っている。ではそろそろ津山さんの記事全文を紹介する。


生駒ふるさとミュージアム

生駒ふるさとミュージアムは生駒の歴史や文化遺産が一目でわかる歴史民俗資料館です。建物は旧生駒町役場の庁舎を使って建てられ、昭和初期にタイムスリップしたようなレトロな外観が魅力的です。2014年2月に開館され、国の登録有形文化財に指定されています。

資料館の設計と建築を行ったのは往馬(いこま)大社拝殿や宝山寺などの建築修理を手掛けた中川吉治郎で、祖父は幕末の1868(慶応4)年に代官・矢野の圧政に農民が蜂起し、「矢野騒動」という生駒一揆を起こした中心人物である大工与兵衛です。

与兵衛は首謀者を隠すため円環状に署名した「傘型連判状(かさがたれんぱんじょう)」をしたため、大阪の長州藩陣屋へ窮状を訴え、代官の交代を願い出ました。長州藩は代官の矢野ら陣屋役人の身柄を拘束し大阪へ連行しました。「世直し」の気運が高まるこの頃の訴状は珍しく、貴重な史料として、館内に展示されています。

■メモ 近鉄生駒駅下車、南東へ徒歩約10分。休館日は毎週月曜日(祝祭日は開館)と年末年始。常設展は無料(奈良まほろばソムリエの会 津山進)。


 


コメント (9)
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