奈良新聞(2022.7.20付)一面に、〈語り継ぐ「守不移」 川上の林業家・土倉庄三郎所有 扁額を村に寄贈〉という記事が出ていた。記事の冒頭は、
※トップ写真は、奈良新聞の記事サイトから拝借した
明治の林業家で、地域の近代化に貢献した奈良県川上村の偉人、土倉庄三郎(1840~1917年)が所有していた「守不移」の扁(へん)額(縦約45センチ、横約130センチ)が19日、同村に寄贈された。幕末の土佐藩士で文人の森田梅礀(かん)=1819~65年=の書。書かれた時期は不明だが、「移さずを守る」の意で、ふるさとにとどまって村の発展を導いた土倉の信念を象徴しているという。
扁額は土倉翁の功績を顕彰する活動に取り組むNPO法人「芳水塾」(川上村大滝)が所有していたものだ。〈村は扁額を補修後、レプリカを制作して2024年4月開校予定の義務教育学校の校舎などに掲げる計画。栗山村長は「土倉翁の存在の大きさを改めて感じ、心に響く」と眺め入った〉(同紙)。
森林ジャーナリスト・田中淳夫さんのブログにもこの言葉が紹介されている。土倉翁の銅像の前に説明板ができた時の話だ。そこには、
この前にも新たな説明版ができ、そこには庄三郎の座右の銘「守不移」の言葉が紹介されている。移らないで守る、という意味だ。庄三郎は、普段より京都や大阪、そして東京にも頻繁に行ったが、拠点は吉野の大滝を動かなかった。自らの拠点は山であり林業であるという立場を崩さなかった。
幾度か衆議院議員や奈良県会議員、山林局(現在の林野庁)局長……にならないかと誘われた。仕事面でも大阪の木材相場を張っていたこともあったそうで、拠点を大阪に移した方が有利だったかもしれない。が、みんな断り、動かなかった。
さまざまな事業に出資したが、それらが動き出すと自らは手を引いて他人に任せてしまう。自身の役割は起業まで、と心得ていたようだ。そんな経営者は、今のビジネス界にはいるだろうか。
「守不移」とは、いかにも土倉翁らしい言葉だ。扁額の筆致も力強い。村の義務教育学校でこの扁額を目にした児童・生徒たちは、村を愛し続けた土倉翁の精神をしっかりと学ぶことでしょう。
※トップ写真は、奈良新聞の記事サイトから拝借した
明治の林業家で、地域の近代化に貢献した奈良県川上村の偉人、土倉庄三郎(1840~1917年)が所有していた「守不移」の扁(へん)額(縦約45センチ、横約130センチ)が19日、同村に寄贈された。幕末の土佐藩士で文人の森田梅礀(かん)=1819~65年=の書。書かれた時期は不明だが、「移さずを守る」の意で、ふるさとにとどまって村の発展を導いた土倉の信念を象徴しているという。
扁額は土倉翁の功績を顕彰する活動に取り組むNPO法人「芳水塾」(川上村大滝)が所有していたものだ。〈村は扁額を補修後、レプリカを制作して2024年4月開校予定の義務教育学校の校舎などに掲げる計画。栗山村長は「土倉翁の存在の大きさを改めて感じ、心に響く」と眺め入った〉(同紙)。
森林ジャーナリスト・田中淳夫さんのブログにもこの言葉が紹介されている。土倉翁の銅像の前に説明板ができた時の話だ。そこには、
この前にも新たな説明版ができ、そこには庄三郎の座右の銘「守不移」の言葉が紹介されている。移らないで守る、という意味だ。庄三郎は、普段より京都や大阪、そして東京にも頻繁に行ったが、拠点は吉野の大滝を動かなかった。自らの拠点は山であり林業であるという立場を崩さなかった。
幾度か衆議院議員や奈良県会議員、山林局(現在の林野庁)局長……にならないかと誘われた。仕事面でも大阪の木材相場を張っていたこともあったそうで、拠点を大阪に移した方が有利だったかもしれない。が、みんな断り、動かなかった。
さまざまな事業に出資したが、それらが動き出すと自らは手を引いて他人に任せてしまう。自身の役割は起業まで、と心得ていたようだ。そんな経営者は、今のビジネス界にはいるだろうか。
「守不移」とは、いかにも土倉翁らしい言葉だ。扁額の筆致も力強い。村の義務教育学校でこの扁額を目にした児童・生徒たちは、村を愛し続けた土倉翁の精神をしっかりと学ぶことでしょう。