古事記 (岩波文庫) | |
倉野憲司 校注 | |
岩波書店 |
「奈良まほろばソムリエ検定」のソムリエ合格者7人で立ち上げた「古事記を読もう会」の2回め(7/7開催)は、岩波文庫版の「天照大神(アマテラスオオミカミ)と須佐之男命(スサノオノミコト)」(P32)~「須勢理毘売(スセリビメ)の嫉妬」(P50)までである。この日勉強した部分のあらすじをWikipedia「古事記」から拾っておく。
《イザナギは黄泉の国の穢れを落とすため、禊を行い、左目を洗ったときに天照大御神(アマテラスオオミカミ)、右目を洗ったときに月読命(ツクヨミノミコト)、鼻を洗ったときに須佐之男命(スサノオノミコト)を産む。その後、最初に生んだ淡路島の幽宮で過ごした。これら三神は三貴子と呼ばれ、神々の中で重要な位置をしめるのだが、月読命に関してはその誕生後の記述が一切ない。スサノオノミコトは乱暴者なため、姉のオオミカミに反逆を疑われる》。
《そこで、オオミカミとスサノオノミコトは心の潔白を調べる誓約を行う。その結果、スサノオノミコトは潔白を証明するが、調子に乗って狼藉を働いてしまう。我慢の限度を越えたオオミカミは天岩屋戸に閉じこもるが、集まった諸神の知恵で引き出すことに成功する。一方、スサノオノミコトは神々の審判を受けて高天原を追放され、葦原中津国の出雲国に下る。ここまでは乱暴なだけだったスサノオノミコトの様相は変化し、英雄的なものとなって有名なヤマタノオロチ退治を行なう。次に、スサノオノミコトの子孫である大国主神が登場する》。では岩波文庫P32から、順次Keywordsを拾っていく。
須佐之男命(スサノオノミコト)、速須佐之男命P32
Wikipedia「スサノオ」によると《『古事記』によれば、神産みにおいて伊弉諾尊 (伊邪那岐命・いざなぎ)が黄泉の国から帰還し、日向橘小門阿波岐原(ひむかのたちばなのをどのあはきはら)で禊を行った際、鼻を濯いだ時に産まれたとする》。
《スサノオの性格は多面的である。母の国へ行きたいと言って泣き叫ぶ子供のような一面があるかと思えば、高天原では凶暴な一面を見せる。出雲へ降りると一転して貴種流離譚の英雄的な性格となる。八岐大蛇退治の英雄譚は優秀な産鉄民を平定した象徴と見る説も根強く、天叢雲剣の取得はその象徴であるとの解釈も多い》。
日本神話入門―『古事記』をよむ (岩波ジュニア新書 (453)) | |
阪下圭八 | |
岩波書店 |
誓約(うけい)P33
Wikipediaによると《アマテラスとスサノオの誓約とは、『古事記』や『日本書紀』記されているアマテラスとスサノオが行った誓約(占い)のこと》《伊邪那岐命が海原を支配するように建速須佐之男命に命じたところ、スサノオは伊邪那美命がいる根の国(黄泉の国)へ行きたいと泣き叫び、天地に甚大な被害を与えた。イザナギは怒って「それならばこの国に住んではいけない」として彼を追放した》。
《建速須佐之男命は、姉の天照大神にいってから根の国へ行こうと思って、アマテラスが治める高天原へと登っていく。すると山川が響動し国土が皆震動したので、アマテラスはスサノオが高天原を奪いに来たのだと思い、弓矢を携えて彼を迎えた。建速須佐之男命は天照大神の疑いを解くために、二神で宇気比・誓約をしようといった。二神は天の安河を挟んで誓約を行った》。
《まず、アマテラスがスサノオの持っている十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取ってそれを噛み砕き、吹き出した息の霧から以下の三柱の女神(宗像三女神)が生まれた。この女神は宗像の民が信仰しており、宗像大社に祀られている》《次に、建速須佐之男命が、天照大神が持っていた「八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠」受け取ってそれを噛み砕き、吹き出した息の霧から以下の五柱の男神が生まれた》。
《古事記では天照大神は、後に生まれた男神は自分の物から生まれたから自分の子として引き取って養い、先に生まれた女神は建速須佐之男命の物から生まれたから彼の子だと宣言した。 スサノオは自分の心が潔白だから私の子は優しい女神だったといい、アマテラスは彼を許した》。
天の香山(あめのかぐやま)と香山(かぐやま)P36
古事記に出てくる「天の香山」(天香久山)は、文字通り「天上界」(高天原)にある山。単なる「香山」(香久山)は、地上界(橿原市)の山である。
肩抜きP36
広辞苑によると《古代の占法の一。鹿の肩骨を抜きとり、波波迦(ははか)の木で焼いて表面に生じた裂け目の形で吉凶を占うもの》。なお波波迦の木とは、イバラ科の木。
決定版 心をそだてる 松谷みよ子の日本の神話 (決定版101シリーズ) | |
松谷みよ子 | |
講談社 |
天の石屋戸P36
Wikipedia「天岩戸」によると《日本神話に登場する、岩でできた洞窟である。天戸(あまと)、天岩屋(あまのいわや)、天岩屋戸(あまのいわやと)ともいい、「岩」は「石」と書く場合もある。太陽神である天照大神が隠れ、世界が真っ暗になってしまった岩戸隠れの伝説の舞台である》《誓約によって身の潔白を証明した建速須佐之男命は、そのまま高天原に居座った。そして、田の畔を壊して溝を埋めたり、御殿に糞を撒き散らしたりの乱暴を働いた。他の神は天照大神に苦情をいうが、天照大神は、「考えがあってのことなのだ」とスサノヲをかばった》。
《しかし、天照大神が機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、建速須佐之男命が機屋の屋根に穴を開けて、そこから皮を剥いだ馬を落とし入れたため、一人の天の服織女が驚いて梭(ひ)で陰部を刺して死んでしまった。ここにきて、天照大神はスサノヲの行動に怒り、天岩戸に引き篭ってしまった。高天原も葦原中国も闇となり、さまざまな禍(まが)が発生した》。
《天照大神が天岩戸に隠れて世の中が闇になるという話は、日食を表したものだという解釈と、冬至を過ぎて太陽が弱まった力を取り戻すということを象徴したものとする見方がある》。
Wikipedia「鎮魂祭」によると《宮中で新嘗祭の前日に天皇の鎮魂を行う儀式である。宮中三殿に近い綾綺殿にて行われる》《かつては旧暦11月の2度目の寅の日に行われていた(太陽暦導入後は11月22日)。この日は太陽の活力が最も弱くなる冬至の時期であり、太陽神アマテラスの子孫であるとされる天皇の魂の活力を高めるために行われた儀式と考えられる》。
大氣都比賣神(オオゲツヒメノカミ)P38
Wikipediaによると《オオゲツヒメ(オホゲツヒメ、大宜都比売、大気都比売神、大宜津比売神)は、日本神話に登場する神。名前の「オオ」は「多」の意味、「ケ」は食物の意で、穀物や食物の神である。『古事記』においては、国産みにおいて伊予之二名島(四国)の中の阿波国の名前として初めて表れる。その後の神産みにおいてイザナギとイザナミの間に生まれたとの記述がある。阿波国の名前が大宜都比売とされていることについては、阿波を穀物の「粟」に掛けただけの後附けともされるが、逆に穀物神の大宜都比売が祀られていた国であるからアワの国と呼ばれるようになったとする説もある》。
《オオゲツヒメは『古事記』において五穀や養蚕の起源として書かれている》《高天原を追放されたスサノオは、空腹を覚えてオオゲツヒメに食物を求め、オオゲツヒメはおもむろに様々な食物をスサノオに与えた。それを不審に思ったスサノオが食事の用意をするオオゲツヒメの様子を覗いてみると、オオゲツヒメは鼻や口、尻から食材を取り出し、それを調理していた。スサノオは、そんな汚い物を食べさせていたのかと怒り、オオゲツヒメを斬り殺してしまった。すると、オオゲツヒメの頭から蚕が生まれ、目から稲が生まれ、耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれた》。
《殺害された者の屍体の各部から栽培植物、とくに球根類が生じるという説話は、東南アジアから大洋州・中南米・アフリカに広く分布している。芋類を切断し地中に埋めると、再生し食料が得られることが背景にある。オオゲツヒメから生じるのが穀物であるのは、日本では穀物が主に栽培されていたためと考えられている》。
八俣の大蛇(やまたのおろち)P39
Wikipediaによると《ヤマタノオロチ(八岐大蛇、八俣遠呂智、八俣遠呂知)は日本神話に登場する伝説の生物》《記紀にみえる神話には動物神が人間神に倒されるというアンドロメダ神話に代表される類型がみられる。また、オロチは水を支配する竜神を、クシナダヒメは稲田を表しているとみられている。すなわち、毎年娘をさらうのは河川の氾濫の象徴であり、それが退治されたことは治水を表しているとする。また、大蛇が毎年娘をさらって行ったということは神に対して一人の処女が生贄としてささげられていたということであり、その野蛮な風習を廃しえたことも表している》。
《島根・鳥取県境にある船通(鳥髪、鳥上)山系を出発点とする日野川、斐伊川、飯梨川、江の川、伯太川などの川、およびその支流を頭が8つある大蛇に見立てたとする説もあり、これらの河川をオロチ河川群と呼ぶ》。
やまたのおろち (復刊・日本の名作絵本) | |
羽仁進 | |
岩崎書店 |
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣をP41
スサノオが詠んだとされる日本初の和歌。意味は「雲が何重にも立ちのぼり、雲が湧き出るという名の出雲の国に、八重垣を巡らすように、雲が立ちのぼる。妻を籠らすために、私は宮殿に何重もの垣を作った。ちょうどその八重垣を巡らすように」。
大年(オオトシノ)神P41
Wikipedia「年神」によると《年神(としがみ、歳神とも)は、神道の神である。毎年正月に各家にやってくる来方神である》《「年」は稲の実りのことで、穀物神である。その根底にあるのは、穀物の死と再生である。古代日本で農耕が発達するにつれて、年の始めにその年の豊作が祈念されるようになり、それが年神を祀る行事となって正月の中心行事となっていった。現在でも残る正月の飾り物は、元々年神を迎えるためのものである。門松は年神が来訪するための依代であり、鏡餅は年神への供え物であった》。
《日本神話では、スサノオと神大市比売(かむおおいちひめ・大山津見神の娘)の間に生まれた神を大年神(おおとしのかみ)としている。両神の間の子にはほかに宇迦之御魂(うかのみたまの)神がおり、これも穀物神である》。
大国主神P42
Wikipedia「大国主」によると《大国主(おおくにぬし)は日本神話の中で、出雲神話に登場する神である。大国主は多くの別名を持つ。これは神徳の高さを現すと説明されるが、元々別の神であった神々を統合したためともされる》。
《『古事記』、『日本書紀』の一書や『新撰姓氏録』によると、スサノオの六世の孫、また『日本書紀』の別の一書には七世の孫などとされている。スサノオの後にスクナビコナと協力して天下を経営し、禁厭(まじない)、医薬などの道を教え、葦原中国の国作りを完成させる。国土を天孫ニニギに譲って杵築(きづき)の地に隠退、後に出雲大社の祭神となる。因幡の白兎の話、根の国訪問の話、ヌナカワヒメへの妻問いの話が『古事記』に、国作り、国譲り等の神話が『古事記』・『日本書紀』に記載されている》。
《大国主は色々な女神との間に多くの子供をもうけている。子供の数は『古事記』には180柱、『日本書紀』には181柱と書かれている》《別名の多さや妻子の多さは、明らかに大国主命が古代において広い地域で信仰されていた事を示し、信仰の広がりと共に各地域で信仰されていた土着の神と統合されたり、あるいは妻や子供に位置づけられた事を意味している》。
いなばのしろうさぎ (いもとようこの日本むかしばなし) | |
いもとようこ | |
金の星社 |
稲羽の素兎P42
Wikipediaによると《稲羽の素兎(いなばのしろうさぎ)は日本神話(古事記)に出てくるウサギのこと。このウサギの出てくる物語の名として用いられることもある》《『古事記』上巻(神代)の説話の一つに「稻羽之素菟」は登場する。この説話全体としては大穴牟遲神(大国主神)の求婚譚である。その中の前半に登場し、「稻羽之素菟」は大穴牟遲神に「あなたの求婚は成功するでしょう」と宣託言霊のような予祝を授ける役目を担っている》。
《「稻羽之素菟(いなばのしろうさぎ)」が「淤岐島(おきのしま)」から「稻羽(いなば)」に渡ろうとして、「和邇(ワニ)」を並べてその背を渡ったが、「和邇」に毛皮を剥ぎ取られて泣いていたところを「大穴牟遲神(大国主神)」に助けられる、という部分的なあらすじが広く親しまれている》《この説話は、次に「大国主の国づくり」が続くが、その前に、他の兄弟神をさしおいてなぜ大国主が国を持つことになったかを説明するための一連の話の一部である》。
《よく「因幡の白兎」と書かれることがあるが、「稲羽」が因幡(現在の鳥取県東部)であるというのは、実は本文にはあらわれていない。「イナバ」は稲葉、稲場であり、イネの置き場を指し、各地に地名として存在する。また、「往ぬ」「去ぬ」という動詞からきていると解されて和歌などにも「去ろう」「帰ろう」との意味で多々詠まれてきた。これを因幡とするのは、大国主の話の前後にあり彼の義父となる素戔嗚命の話において、素戔嗚が住んだところが出雲であるから、物語の展開上、その隣の因幡のことではないかと読み進められてきたのである》。
《「淤岐嶋」についても、現在の隠岐島(島根県隠岐郡)であるとする説、特定はせず、「沖にある島」を漠然とさすとする説、そのほかの島を指すとする説がある。『古事記』において、現代の隠岐島を指すと思われるときには「隠伎の島」と表記されているのに対して、「稻羽之素菟」のところでは「淤岐嶋」と表記されている。「淤岐」の文字は「淤岐都登理(おきつどり)」など、現在でいう陸地から離れた海という意味の「沖」をさして使われることが多く、したがって、「淤岐嶋」は「沖の島」と訳すのが自然なのである》。
古事記に出てくる「和邇(ワニ)」が何を指すか、様々な説があるが、最も一般的なのが「サメ説である。《文献研究、言語学的にはこの説が一般的である。特に種別の特定はせず、サメやフカのことであるとする。日本には「鰐鮫(ワニザメ)」という言葉があるが、これは獰猛なサメといった意味であり、「鰐」の字とワニという読み方があれどそこに爬虫類のワニの意味はない。平安時代の辞書『和名類聚抄』を知っているものからすると、日本で「鮫」という字が用いられるようになったと明確にいえるのは平安時代以降と考えられている。よって、現在でいうサメをあらわすにあたって「和邇」「鰐」という漢字を用いたと考えるのである。また、旧因幡国(現在の鳥取県東部)を含む山陰地方の方言ではサメのことをワニと呼んでいる所があることは古くから知られていた》。
須勢理毘売(スセリビメ)P46
Wikipedia「スセリビメ」によると《日本神話に登場する女神。スサノオの娘で、大国主の正妻。『古事記』では須勢理毘売命・須世理毘売命》《神名の「スセリ」は「進む」の「スス」、「すさぶ」の「スサ」と同根で、勢いのままにどんどん事を行う女神の意である。この女神の持つ激情は、神話において根の国における自分の父の試練を受ける夫の危機を救うことに対して発揮されるが、一方で夫の妻問いの相手である沼河比売に対して激しく嫉妬することによっても発揮される。この嫉妬の激しさは女神の偉大さを証明するものだという説がある》。
《根の国での説話は、結婚相手の父から試練を与えられて、結婚相手の助言や手助けによって克服するという課題婚と呼ばれる神話の形式である。オオナムジはこの試練をスセリビメの助けを得て乗り越え、正妻としたことにより、真に大国主になることができたと考えられる》。
今回のキーワードは以上である。今回は、須佐之男命や大国主神が大活躍した。天岩戸、ヤマタノオロチや稲羽の素兎のような有名な神話も登場した。いよいよ次回は大国主の国譲りと天孫降臨である。お楽しみに!
ここまで詳細に調べて文章にされるとは驚きです
とても真似ができません
最初 古事記につては神話が大半という先入観があり あまり興味がなかったのですが すこしかかわっていく内にその奥の深さが分かってきました
関連した書物を読んでいますと古事記には古代日本の隠された史実めいたものがあることも なんとなくわかってきました もちろん架空も誇張も理に叶わない所もありますが すべてがそうではなく 日本の歴史の何かを私たちに伝えようとしているように思えます
大変ですが これからも解説を続けてください
> 大変わかりやすい解説 ありがとうございます
> ここまで詳細に調べて文章にされるとは驚きです
いえ、私にとっては良い復習になっています。
> 日本の歴史の何かを私たちに伝えようとしているように思えます
はい、その通りです。史実につながるヒントが、古事記には描かれていると思います。まだ始まったばかりですが、これは楽しい勉強会ですね。
> 記述には広島の比婆山となっていますが、現在は
> 島根県の比婆山(安来市)が正しいとされています。
確かに、岩波文庫版『古事記』の注釈には《広島県比婆郡に伝説地がある》とありますが、Wikipedia「比婆山」には《イザナミの神陵地は本居宣長の『古事記伝』の記述からは出雲と伯耆の境に近い島根県安来市の比婆山であると推定される》とあります。
島根県の「古事記1300年スペシャルサイト」にも《比婆山は、島根県安来市に ある標高331mの山。標高約280mの山上の熊野神社(比婆山久米神社)にはイザナミの神陵古墳と伝えられるものが存在する。》とあります。こちらの説の方が有力なようですね。
なお、私もこのシリーズ(1)で《なきがらは出雲と伯耆の堺の比婆山(現;島根県安来市)に葬られた》というWikipedia「古事記」の文章を引用しています。