昨日(7/25)、NPO法人スマート観光推進機構(Myまち遊び)理事長の星乃勝さんから、メーリングリスト経由でこんな情報をいただいた。《観光ネタではないですが、今朝、このメッセージを知り、衝撃を受けました!ので、皆さんにもお伝えさせていただきます。皆、気がつきながら、日常のなかの部分の忙しさにかまけるなかで、世界は危機的な状態を増幅しているのだと思います。このメッセージの内容は、皆、知っていることばかりの内容です。でも、個々まで赤裸々に一国の大統領が語るメッセージは、私は初めてお聞きします。(中略)ぜひ、皆さんもご一読ください。そして、耳を傾けなければならない話はシッカリと耳を傾けていただきたいと思います。そして、自分にできることを取り組んで行きましょう》。
星乃さんはメールに「リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ」(ムヒカ大統領のスピーチ日本語版 Posted by Akira Uchi)へのリンクを貼ってくださっていたので、ここから抜粋して紹介する。ますば訳者の打村明氏のコメントである。
※トップ写真およびYouTubeは、打村明氏のホームページから拝借
リオ会議(Rio+20)は環境の未来を全世界で決めて行く会議で、日本メディアも新聞やテレビで大きく取り上げてきたのに、もっとも衝撃的で環境危機の本当の問題を唯一示し、考えさせられるウルグアイ大統領の本音スピーチを誰も日本語に訳していません!
リオ会議では各国首脳が集まり、地球の未来を議論し合う場なのに、各国首脳は自分のスピーチを終わらせたら、一人一人と消えて行ってしまいました。世界中から何時間もかけてこの場に来ているのに、みな人の話は聞かず自分のスピーチで済ませている代表者が多いリオ会議だったと思います。
ウルグアイのような小国の大統領は最後の演説者でした。彼のスピーチの時にはホールにはほとんど誰もいません。そんな中、カメラの前で残したスピーチは、その前まで無難な意見ばかりをかわし合う他の大統領とは打って変わって、赤裸々に思っていることを口にしています。
午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億~80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。
人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。昔の賢明な方々、エピクレオ、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、1300万頭の世界でもっとも美味しい牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。
私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。
いかがだろう。引用は以上である。打村氏のコメントを含め、全体から2/3程度に抜粋して紹介しているので、全文をお読みになりたい方は、ぜひ上記サイトをご覧いただきたい。
ムヒカ大統領の《ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか》という問いかけの意味は重い。古くは「南北問題」といわれ、近年では地球環境問題における「途上国条項」という形で浮上している問題である。《西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億~80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?》《どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?》。
国土の90%に資源が満ちあふれているウルグアイのような国においてさえも、(クレジットカードの)リボ払いやローン支払いのために長時間労働を強いられている人々がいるのである。《ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。(中略) 幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます》。
「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」(エピクレオ、セネカ、アイマラ民族)という言葉が、「足ることを知らば貧といえども富と名づくべし、財ありとも欲多ければ、これを貧と名づく」(源信『往生要集』)という言葉と見事に共鳴していることにも、驚きを禁じえない。
消費資本主義が築いた欲望充足社会・浪費推奨社会という方向から脱皮するには、「少欲足知」という仏教の教えに立ち戻らなければならないのである。それは個人の生活スタイルの問題であると同時に、各国の利害をかけたグローバルな政治問題である。とりわけ東日本大震災と原発事故を経験した日本人は、率先して取り組むべき課題である。「節電目標が緩和された」といって胸をなで下ろしている場合ではない。
それにしても、胸を打つスピーチだ。ウルグアイ国民は、このような素晴らしいリーダーを持って、幸せである。《彼のスピーチの時にはホールにはほとんど誰もいません》というのは残念だったが、今、このようにしてメールやFacebookで情報が日本中で飛び交っているのは、心ある日本人の心を確実にとらえた証左であろう。
打村氏は《シェアや転載の許可を聞く方が多くてとても嬉しいです。どうぞご自由に転載ください。許可なんていりません》《みなさんのつぶやき、シェア、ブログ紹介のおかげでムヒカ大統領のスピーチもたくさんの人に読まれています。ありがとうございます》とお書きである。皆さんも、ぜひこの素晴らしいスピーチをお友達に紹介してあげてください。
星乃さんはメールに「リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ」(ムヒカ大統領のスピーチ日本語版 Posted by Akira Uchi)へのリンクを貼ってくださっていたので、ここから抜粋して紹介する。ますば訳者の打村明氏のコメントである。
※トップ写真およびYouTubeは、打村明氏のホームページから拝借
リオ会議(Rio+20)は環境の未来を全世界で決めて行く会議で、日本メディアも新聞やテレビで大きく取り上げてきたのに、もっとも衝撃的で環境危機の本当の問題を唯一示し、考えさせられるウルグアイ大統領の本音スピーチを誰も日本語に訳していません!
リオ会議では各国首脳が集まり、地球の未来を議論し合う場なのに、各国首脳は自分のスピーチを終わらせたら、一人一人と消えて行ってしまいました。世界中から何時間もかけてこの場に来ているのに、みな人の話は聞かず自分のスピーチで済ませている代表者が多いリオ会議だったと思います。
ウルグアイのような小国の大統領は最後の演説者でした。彼のスピーチの時にはホールにはほとんど誰もいません。そんな中、カメラの前で残したスピーチは、その前まで無難な意見ばかりをかわし合う他の大統領とは打って変わって、赤裸々に思っていることを口にしています。
ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ: (訳:打村明)
午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億~80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。
人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。昔の賢明な方々、エピクレオ、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、1300万頭の世界でもっとも美味しい牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。
私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。
いかがだろう。引用は以上である。打村氏のコメントを含め、全体から2/3程度に抜粋して紹介しているので、全文をお読みになりたい方は、ぜひ上記サイトをご覧いただきたい。
ムヒカ大統領の《ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか》という問いかけの意味は重い。古くは「南北問題」といわれ、近年では地球環境問題における「途上国条項」という形で浮上している問題である。《西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億~80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?》《どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?》。
国土の90%に資源が満ちあふれているウルグアイのような国においてさえも、(クレジットカードの)リボ払いやローン支払いのために長時間労働を強いられている人々がいるのである。《ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。(中略) 幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます》。
「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」(エピクレオ、セネカ、アイマラ民族)という言葉が、「足ることを知らば貧といえども富と名づくべし、財ありとも欲多ければ、これを貧と名づく」(源信『往生要集』)という言葉と見事に共鳴していることにも、驚きを禁じえない。
消費資本主義が築いた欲望充足社会・浪費推奨社会という方向から脱皮するには、「少欲足知」という仏教の教えに立ち戻らなければならないのである。それは個人の生活スタイルの問題であると同時に、各国の利害をかけたグローバルな政治問題である。とりわけ東日本大震災と原発事故を経験した日本人は、率先して取り組むべき課題である。「節電目標が緩和された」といって胸をなで下ろしている場合ではない。
それにしても、胸を打つスピーチだ。ウルグアイ国民は、このような素晴らしいリーダーを持って、幸せである。《彼のスピーチの時にはホールにはほとんど誰もいません》というのは残念だったが、今、このようにしてメールやFacebookで情報が日本中で飛び交っているのは、心ある日本人の心を確実にとらえた証左であろう。
打村氏は《シェアや転載の許可を聞く方が多くてとても嬉しいです。どうぞご自由に転載ください。許可なんていりません》《みなさんのつぶやき、シェア、ブログ紹介のおかげでムヒカ大統領のスピーチもたくさんの人に読まれています。ありがとうございます》とお書きである。皆さんも、ぜひこの素晴らしいスピーチをお友達に紹介してあげてください。