【奥の細道 矢立初めの地 千住】という銘板と芭蕉の像があった。
『元禄二年(1689)三月二七日、松尾芭蕉は、ここ千住の地から奥の細道の旅へと出立しました。この像は、矢立初めの句を詠む芭蕉の姿を表現したものです。』
『千じゆと云ふ所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさかりて、幻のちまたに離別の泪をそそぐ。
行く春や鳥啼き魚の目に泪
是を矢立の初として、行く道なをす々まず。人々は途中に立ちならびて、後かげみゆる迄はと、見送なるべし
おくのほそ道 より』と記されてある。
矢立という携帯用の小さな筆入れ筒と墨壺セットの使い始めとなった、ということ。
南千住の駅に向かっていたらこの像があり、ときどき北陸道のS.A.で芭蕉の句碑を見るのでこの偶然が喜ばしい。
とは言え、前日に通夜に出て友人の死に顔を拝み、告別式から火葬骨揚げに向かう途中。
ここで一句といきたいけれど、陳腐な言葉を捻りだすのは辞めておこう、まだ一昨昨日のことだ。
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