エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

火鉢の温もりを思い出す

2008-01-13 | 日々の生活
               【懐かしい火鉢 ネットより】

 我が家では、暮れに妻の実家から一臼分のつきたてのお餅を送っていただく。もう30年来続いている。ありがたいと思っている。
 餅が好きなので、お正月が過ぎても冷凍保存して一年中楽しんでいる。餅はいつもフライパンで焼いたり、雑煮でいただいたりだが、ふと昔を思い出した。
 餅を網渡しに乗せ、炭火で焼いたのはいつの頃だったろうか。焦げ具合を気にしながら、お餅が膨らむ様子をながめて焼いていたころが懐かしい。ついこの前までそうして焼いていたお餅は、もっと美味しかったような気がする。

火鉢に手をかざした温もりは遠い昔になってしまった。あの頃、五徳に乗せた鉄瓶がチンチンと沸いて、湯気が立ちのぼっていた。何をするではなく、火鉢で火箸や灰ならしで灰に模様をつけたりして暖を取っていた頃を思い出す。箸で炭を足したり、炭火の世話をするのも楽しかった。火鉢の醸し出す温もり、心の豊かさを想う。そのころは、時がもっともっと緩やかに流れていた。

 一昔前まではどこの家庭でも必ずあった火鉢は、一体どこへ行ってしまったのだろうか。たしか我が家にも昭和40年頃まではあったのではないだろうか。大きさ50~60センチほどの陶器製の丸火鉢で、絵柄も思い浮かんでくる。小学生の頃、年に1,2度訪ねた母の実家には木製の長火鉢があり、じいちゃんがいつもキセルでタバコを吸っていたことも思い出した。
 
 あかぎれの手を火鉢にかざしていたのは、小学生の頃だったろう。今の子どもの知らない火鉢や炭は、エアコンや灯油ストーブにない生活体験ができたと思う。さびしい気がする。
 冷えきった部屋で、綿入れ半纏を着て火鉢に手をかざしてみたい。そんな一見貧しくも見える豊かさを想った。店を覗いてみようかと思っている。