エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

冬の鶴ヶ城

2008-01-24 | 街中散歩

 今年初めてお墓参りをした。手を合わせると父や母の顔が浮かんできた。今年1年のご加護をお願いした。我が家のお墓はお城の南口の豊岡墓地にある。帰りについでながら冬のお城を散策してきた。

今年は雪が少ない。例年2月の「絵ろうそくまつり」にお城へ出かけているが、これからどうなるだろうか。
久しぶりの本丸で、雪吊りの多行松を前景に天守閣をながめた。雪のため、廻りの土手へ登ることは出来ず、鉄門も閉じられていた。昼前でしばらくは静まりかえっていたが、そのうち団体の観光客の声が静寂にこだました。こんな寒い時期だが、けっこう観光客がいる。冬の鶴ヶ城は遠くからでも見に来る美しさがあると思った。
 お濠には氷が張り、水との境界線上にはカモが静かに休んでいた。ほとんどカルガモだ。お濠が凍結すると少なくなるが、一年中見られる鶴ヶ城の鳥である。
 絵になる眺めを写真に撮った。木々の枝を縫ってヒヨドリが楽しそうに飛び回っていた。


 今日、2つの碑の発見があった。
本丸の北の隅に大きな碑がある。最近ここに解説板が整備され、これが萱野権兵衛の殉節碑であることを初めて知ることが出来た。そういえば、昨年権兵衛父子の墓へ詣でた。郡長正は権兵衛の次男である。(拙ブログ『街中散歩 郡長正の墓』(2006.1.12))
 また、お城の南口の三の丸御殿跡に句碑を見つけた。「鶴ヶ城址 夏草刈りて 明るかり  杏所」とある。裏には、「新城杏所翁の古稀を祝いて 句は秩父宮殿下と松平勢津子姫との御成婚奉祝献上の句なり」と彫られていた。(昭和三年九月の秩父宮殿下と松平節子姫(御婚礼後勢津子と改名)との婚儀は、戊辰戦争以降朝敵という汚名に押しつぶされながら生き続けてきた会津人にとって、再び天皇家と強い絆を結ぶことができるようになった大きな出来事だった。)
 いずれも、何度も来ていたが初めて碑の意義を認識し、あらためて当時の世相を思った。


 厳寒に静寂のお城を散策した。張りつめる厳しい寒さが実にすがすがしく感じられた。 帰り際、曇り空からチラチラ白いものが落ちてきた。なんだか積もりそうな予感がした。