散歩の途中に八幡様にお参りした。神社の西隣に滝沢観音堂があり、ときどきお詣りしている。
お堂の表札額?には「聖観音 寛政三年九月」とある。調べてみると「寛政」は、あの寛政の改革で有名な元号だから1789年から1800年までの期間。この額が掲げられたのは1791年と言うことになる。今から217年間の風雪に耐えた風格が感じらる額である。

この滝沢観音堂は、会津三十三観音の第十八番札所で、御詠歌を書いた献額が掲げてあった。
「滝沢の落ちて流るる滝の水
かかる末ずえ弥勒なるらん」
宮崎十三八著「会津の観音巡礼」(恒文社)には、「江戸時代には、古くからの観音巡礼と結んで会津三十三番札所巡りが盛んに行われた。これは藩粗保科正之が、西国三十三観音詣り等によって領内から多額の経費が他国に流出することを防ぐため、会津盆地三十三カ所に霊場を定めたのが始まりという。」とある。


和辻哲郎の古都巡礼の魅力の一つは聖観音像の魅力であったが、同感である。でも、彼は主として一面二臂の人間の形をした観音像に美的感動を覚えたが、一般庶民の崇拝を受けたのは十一面観音像、千手観音像であった。観音菩薩は十一面観音菩薩や千手観音菩薩など様々な姿に変化するが、変化の前の人間の聖化形が聖観音菩薩である。
今年は会津三十三観音を巡って、ご本尊の仏像にお目にかかってみたいと思っている。 (2008.1.16)