エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

青空に映える黄色

2008-01-15 | 日々の生活
 
久々の冬の青空に、大きなカリンの黄色がすがすがしい。早速写真に納めた。
 厳寒のモノクロの世界に色彩を探してみた。

今まで青空に映えていた柿は、いつしか凍みて茶褐色に変わってきた。
雪が沈みはじめ、ヤブコウジの紅い実がきれいだ。根元の雪が、あざやかな紅い実をいっそう鮮やかに感じさせている。ナンテンの赤もほとんど落ちず、青い空にさえざえしい。











家の中にはけっこう豊かな色彩に気づく。縁側のシクラメンの赤やピンク、テーブルのミカンやリンゴ、そう言えばお昼の野菜炒めや紅茶も・・・・。それぞれの色がきれいに心にしみる。 



 色のことを考えていたら、いつか読んだ本を思い出してしまった。
今日の風、なに色?」を書棚から見つけた。
カバーの文章に、また涙が込み上げてしまった。
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  本書の題名になっている「今日の風、なに色?」は、伸行が言った言葉からとっています。眼が見えない伸行に色というものを理解させるために、「リンゴの赤」」「バナナの黄色」などと教えていました。すると伸行は「じゃ、今日の風はなに色?」と聞いてきたのです。眼が見えない伸行にとっては、大好きな食べ物に色というものがあるなら、同じく大好きな風に色があっても不思議はありません。
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「成人の日」に思う

2008-01-14 | 日々の生活
              【次々に開き始めた梅 (参)『梅がほころぶ』(1/9拙ブログ)】

 今日は成人の日、40年あまり前、学生だった私は信州で成人式を迎えた。
 その日の新聞のコラム欄(たしか「編集手帳」)には、山上憶良のが紹介されていた。
 「士やも空しかるべき万代に語り続ぐべき名は立てずして」だった。この句がどのように取り上げられたのか、コラムの内容は覚えていないが、40年も経った今も、句だけは成人を迎えた青春の日々と共に心に残っている。
成人した自分の生活の中心は学校の勉強はそこそこ、好きなことに一生懸命取り組んでいた。4年間欠かさず練習した剣道、蝶に魅せられ山野を駈け巡ったこと、奨学金や家庭教師のアルバイト代の半分がお酒代に消えたこと等々、自分の思うことに純粋に邁進した青春であったと思う。今思うと、生意気な、贅沢な生活だった。でも、時には悩み苦しみながらも少しでも充実した日々をと夢中で過ごしていたのだと思う。若いということは実にすばらしいと、今更ながら思わざるを得ない。

 以下は、娘の成人に当たり新聞に投稿した想いである。雪の成人式を昨日のことのように思い出す。あらから15,6年になるが、新成人の心を思い、いつも初心に返り明日を見つめていきたいものだと思っている。
 
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『新成人のこころ豊かな人生を祈る』

 新成人のみなさんおめでとう。一つの区切りに意を新たにしていることでしょう。私も成人した娘に語りながら、またかつての青春の日記を見て、二十歳の生き生きした決意に戻りたい衝動に駆られた。
一個の大人としての真面目な人生が始まる。意欲ある精一杯の人生を願いたい。やる気ある生き生きした人生はきっと充実しているはずで、時に日々をふり返り創意工夫を心がけて明日を力強く歩んで欲しい。青春を完全燃焼して欲しい。
 『時よ止まれ君は美しい そして美しい時はいつもすぐに過ぎてゆく』
そして豊かさの中で生きがいを失いがちな社会に、いつも人として生きることを考えて欲しい。娘の成人式は、私自身自己を振り返り忘れかけていた「如何に生きるか」を考える機会となった。「壮にして学べば老いて衰えず」をむねとして、限られた人生にささやかでも心の奥に豊かに広がる幸せ、感動を求めたいと思う。新成人の豊かな人生を祈る。 (1995.1.17付け)福島民友
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火鉢の温もりを思い出す

2008-01-13 | 日々の生活
               【懐かしい火鉢 ネットより】

 我が家では、暮れに妻の実家から一臼分のつきたてのお餅を送っていただく。もう30年来続いている。ありがたいと思っている。
 餅が好きなので、お正月が過ぎても冷凍保存して一年中楽しんでいる。餅はいつもフライパンで焼いたり、雑煮でいただいたりだが、ふと昔を思い出した。
 餅を網渡しに乗せ、炭火で焼いたのはいつの頃だったろうか。焦げ具合を気にしながら、お餅が膨らむ様子をながめて焼いていたころが懐かしい。ついこの前までそうして焼いていたお餅は、もっと美味しかったような気がする。

火鉢に手をかざした温もりは遠い昔になってしまった。あの頃、五徳に乗せた鉄瓶がチンチンと沸いて、湯気が立ちのぼっていた。何をするではなく、火鉢で火箸や灰ならしで灰に模様をつけたりして暖を取っていた頃を思い出す。箸で炭を足したり、炭火の世話をするのも楽しかった。火鉢の醸し出す温もり、心の豊かさを想う。そのころは、時がもっともっと緩やかに流れていた。

 一昔前まではどこの家庭でも必ずあった火鉢は、一体どこへ行ってしまったのだろうか。たしか我が家にも昭和40年頃まではあったのではないだろうか。大きさ50~60センチほどの陶器製の丸火鉢で、絵柄も思い浮かんでくる。小学生の頃、年に1,2度訪ねた母の実家には木製の長火鉢があり、じいちゃんがいつもキセルでタバコを吸っていたことも思い出した。
 
 あかぎれの手を火鉢にかざしていたのは、小学生の頃だったろう。今の子どもの知らない火鉢や炭は、エアコンや灯油ストーブにない生活体験ができたと思う。さびしい気がする。
 冷えきった部屋で、綿入れ半纏を着て火鉢に手をかざしてみたい。そんな一見貧しくも見える豊かさを想った。店を覗いてみようかと思っている。

 

宮本輝 流転の歳月

2008-01-12 | 文芸
               【泥の河 :小栗康平作品】


- 宮本輝 流転の歳月 -を視聴した。
 (「知るを楽しむ」1/9p.m10:25~10:50 (NHK教育))
   
 彼の作品のテーマは「人生における宿命」や「生きることの意味」である。
 昨日の放送「押入れの中の青春」で、「なぜ人は生きるのか。」その一つの解答を得たような気がした。その辛かった、さびしかった過去を涙を浮かべて語る作家「宮本輝」が印象深かった。
 なぜ、正直に、一生懸命生きている人に不幸が起こるのか? 間近に人間の突然の死を見て、その不思議、理不尽さを思う。母が自殺未遂をした時の心の動き、押し入れで読んだ「あすなろ物語」が文学への入り口となり、そのとき時代が変わったこと。涙を浮かべながら、昔日の少年の心を探して語る一つの重厚な人生は貴いと思った。
 宮本作品のえも知れぬ魅力は、こうした幼い頃の切ない人間模様を見聞きした体験から生まれたことを改めて確認した。
その人格はそれまで生きた人生の証のような気がする。誰しもある、年齢に応じた体験だが、自分と同じ年配でより人間くさい過去を送った作者を思った。人間の暗さ、辛さの体験は、その後の人生人間性の形成や考え方に大きく影響すると思う。

「宮本輝」作品は、いつかブログ仲間のマーヤンさん(「ブログに遊ぶhttp://blog.goo.ne.jp/hasemasa1138/)に紹介され読みはじめた。その後、何冊かを読了し強い感動を覚えた。
初めての宮本作品「草原の椅子」では、彼は本当の「おとな」を示してくれた。彼は、「幾多の経験を積み、人を許すことができ、言ってはならないことは決して口にせず、人間のふるまいを知悉していて、品性とユーモアと忍耐力を持つ偉大な楽天家」を「おとな」と言う。彼の親友との羨ましい人間関係を手本に、もう一度新しい生き方をしてみたいと思った。 
 (参)拙ブログ「生き方を考え直した1冊の本」(2006-07-21)
 

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1月9日(水)「押入れの中の青春
 昭和22年神戸市で誕生した宮本輝。誕生時に父は48歳、待望の第一子として両親から惜しみない愛情を注がれて育った。しかし一家は貧しく、暮らしはどん底。11歳の宮本少年は、長屋の隣部屋の女性が、貧しさ故に人知れず病死しているのを発見する。遺体の傍らでは生き残った赤ん坊が激しく泣いていた。幼い宮本にとって、父は最大の擁護者だったが、事業を興しては倒産を繰り返し、一家の生活は次第に行き詰まっていった。中学生以降は夫婦喧嘩が絶えず、父は愛人の家に入り浸るようになる。母はアルコール依存症となり、自殺未遂。押し入れでの読書だけが救いだった。この経験が「なぜ人は生きるのか」という大きなテーマを宮本に突きつける。最底辺での生活を語る。 (NHKオンライン「今週の番組」の解説から)
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「宮本輝 流転の歳月」は4回の放送予定で、来週の放送「おれは生きていられるか」が楽しみだ。


穏やかな十日市

2008-01-11 | 日々の生活

                【起きあがり小坊師を求める】

孫を連れ、妻と娘と十日市に出かけた。子連れなの人出の少ない3時過ぎに出かけた。
十日市は会津若松の初市で、420年以上の長い伝統のある年中行事、孫たちに見せてやることが目的だった。去年は何年かぶりに妻と二人で行ったが、大町通りの伝統の漆器の店や、縁起物を売る店にいつもと変わらない風情があったが、時の流れと共に市の様子も変わってきた。
去年の拙ブログ「伝統の初市 十日市」(2007-01-10)を読むと、1年前のことなどすっかり忘れていたが、毎年同じことを繰り返していると思った。ブログは文も写真も、昨年の方が充実している、けっこう心のゆとりがあったようだ。

荒れる十日市と言われるが、朝方チラチラ雪が舞っただけで、気温は低いが穏やかな十日市だった。 会津漆器(菓子器と蓋付きの汁椀)を特価で求めた。子どもたちは、お年玉で他愛もない小さなおもちゃを買って大喜びだった。
 神明神社でお参りをして、神明通りのお店を見ながら、混んできた人出の中を、萌香ちゃんを負ぶって帰路についた。15kgを越えたらしい、しばらくぶりに肩が凝ってしまった。
 今年も起きあがり小坊師を買い求め神棚に供えた。今年1年の無病息災をお願いした。
 人混みの伝統行事は、孫たちの目にどう映っただろうか。

(2008.1.10)

孫の冬休み終わる

2008-01-10 | 日々の生活

長かった冬休みも終わった。今朝は、昨日までの暖かさも一転、いつもの零下、雪降りの寒い朝を迎えた。武琉君は新調の長靴を履き、元気で幼稚園へ行かけていった。また、普通の生活が始まった。

 お兄ちゃんが冬休みの間、ほとんど我が家での生活は賑やかな毎日だった。
 孫たちは兄弟仲良く本当に良く遊んだ。
 クリスマスのあとは、しばらくサンタさんからのプレゼントで遊んだ。武琉君はデンカメンソード、萌香ちゃんはプリキュアファイブのビーズメーカーで遊んだ。
 DVDを見る。何度も見ているのは宮崎駿作品、「魔女の宅急便」や「となりのトトロ」、「天空の城・ラピタ」などだ。飽きずに、繰り返し繰り返し見ていた。
 年越し蕎麦も食べて、孫たちも初めて何とか寝ないで年を越した。
 年をまたいでの大雪も良かった。寒さも忘れ、庭にかまくらを作ったりスロープでソリ遊びに興じたり貴重な体験だった。お正月にはカルタやトランプ遊びも覚えた。お年玉を貯金することも覚えた。

 孫たち中心に過ごした冬休み、ふたたび二人に、大きな限りない可能性を覚えた。
 天真爛漫、どこまでも純真な姿はこの上なく貴く思えた。この子たちの将来が希望に満ちた平和な未来であって欲しいと願わずにいられない。



ウメがほころぶ

2008-01-09 | 日々の生活
             【厳寒にウメほころぶ】

   

 四国でウメが咲き始めたという。ここ数日、西日本は3月から4月の気温だそうだ。
 会津も昨日から今朝は冬の雨、風もなく、降り積もった雪が溶けあちこちから雨だれの音が聞こえている。
 
 年末に、ブログの友「常念の見える部屋から」(http://blog.goo.ne.jp/hi-kanai)から教えられて、庭のウメの枝を剪定よろしく何本も手折り花瓶に入れた。お正月にすがすがしい春を感じたかった。
 あれから2週間になるか、徐々に膨らんだ蕾は、最近日に日に膨らみ、ほころび始めた。


 【やわらかな陽 ベゴニヤ】

 晩秋に庭から取り込んだ緑は、風防室や縁側に所狭しと春を待っている。玄関前の風防室は常時オイルヒーターで保温してあるので、厳寒でもそうは冷えない。 ベゴニア類、ツユクサ類は特に元気がいい。よく観察すると、デンドロやギンギアナムには小さな花芽が見えた。カトレヤの伸びた花芽にはアブラムシが付いていた。しばらく採らないで春を待とうと思う。
野外では生きられない小さないのちが、快適にすくすく育っている。


元気を出そう

2008-01-08 | 日々の生活
           【かつて野口英世が見つめていた三城潟からの山容】

 光陰矢の如し、年が明けてもう1週間も過ぎてしまった。
 泰然と、いつも静かに聳える磐梯山が、元気を出せと励ましてくれる。

 なぜ、焦ることがあるのだろうか。そう反問しながらも、なぜかいつも心が落ち着かない。
 大病後は、「健康第一、無理をしない」と言い聞かせてきた。しかし、そうこころがけても、明日の病状の不安は消えなかった。手術後の入退院は10回を超えたのだから、無理もない。情けない気持ちになることもあった。でも、人生観が一変してからはいつも「今を生きる」を旨として日々を過ごしてきた。

昨年末の治療が良かったのか、術後5年目の新しい年を迎えた今、これまでで最も体調が良いような気がしている。
 過ぎ去った日々が無益だったとは思わないが、元気になると、何に対しても少し消極的すぎたのではないかと悔いが残る。こんな生活ではいけない、また無益な1年が過ぎてしまうのではないかと焦りが出てくる。
 朝の散歩は唯一外界とのふれ合いで、冬は一歩も家を出ない日が多い。世の中との接点はラジオと新聞くらい、以前のような、人との付き合いはなくむしろ避けてきた。
沈思黙考の生活は視野を狭くしている。もう少し行動範囲を拡げ、積極的に外へ出たいと思っている。元気な頃のようにより創造的な日々を送ろうと思っている。
 

 
 
 

水鳥との再会

2008-01-06 | 日々の生活
              【逆立ちするオナガガモ】

 昨日、お昼を食べてから、白鳥と再会に笹山へ行った。
最近、孫との白鳥やカモの観察は笹山浜にしている。対岸の名倉山と藤崎の岬の間から真っ白な磐梯山が見える。この小さな浜にはあまり観察に来る人がいないので、ゆっくり白鳥の湖を堪能できるからいい。
県道から緩い坂を下っていくと、愛おしい水鳥たちが見えた。
湖畔に立つとカモや白鳥が一斉にスイスイと近寄ってきた。いつもの静寂にコハクチョウの鳴き声がこだましていた。鳴き声は何ともの悲しいことか。白鳥との再会は何とも言えず嬉しかった。

かなりの長時間湖水の浅瀬には何か藻でもあるのだろうか、オナガガモが一斉に逆立ちをしていた。オナガガモに混じってキンクロハジロもさかんに水に潜っていた。
 しばらく楽しい時を持ち、孫たちも満足したようだった。コハクチョウにさよならを言い、手を振って別れた。北へ帰るまでには、また何度か会いに来たい。





厳寒に 白鳥の叫び切なし
 なぜにかくも もの悲し
数百のオナガガモ、コハクチョウ
 静寂に鳴き 切なく響く
何を訴えるか
 つぶらな瞳で私を見つめる
水鳥の 繰り返す営みに感動
 なんと美しいことか
目の前の 美しすぎる大自然
 ああ 詩人の感性あらば・・・
見渡す雪の原に 磐梯凛々しく
 心ふるえ いよよすがすがし


【キンクロハジロ】
【毛繕いするオナガガモ】

布絵の磐梯山を描く

2008-01-05 | スケッチ
                  【布絵 麗しの磐梯】



いつの頃からか磐梯山を描いてきた。
スケッチブックを抱え、大自然の絶景、磐梯の山並みを前にこころ奪われる感動は、いつもすがすがしい。猪苗代湖に浮かぶ秀峰は、これ以上ない美しさだ。
また、万戸一山、会津若松や猪苗代の街中の生活空間から望む磐梯も魅力的だ。
 
 永く勤めていたA工業高校の創立100周年の際、記念品のマグカップと湯のみのデザインを依頼された。
校歌の歌い出しに「嶺は聳える磐梯山 水は湛ふる猪苗代」とある。すぐに猪苗代湖に浮かぶ磐梯山を描き、空に校歌を添えた。また、授業の合間に、小さな布に200枚の磐梯山を描き、記念の学校祭で販売した。長方形の額に入った布絵は完売、生徒会に資金協力ができた。平成14年秋の思い出だ。

青、藍色の墨絵風の布絵・麗しい磐梯が、書斎の壁に何枚も聳えている。


雪踏み俵と 雪の庭

2008-01-04 | 日々の生活
【雪踏み俵 会津マッチャン】


 思い立って、物置から雪踏み俵を持ち出してみた。大分積もった庭に道を付けるには最高だ。昔は、どの家にもあって、音もなく降り続いた新雪に歩く道を付けるための実用的な道具だったようだ。今は昔、伝統的な民芸品の趣がする。
 これは30年も前に、しばらく柳津に住んでいた伯父からいただいたものだ。
藁で作られた2本の俵に両足を入れて、手で持ち上げながら雪を踏む。新雪に藁の丸い縄文お踏みあとが残った。もう4,50年前の昭和のよき時代を思いながら庭の奥まで細い道を付けた。

  神棚にあげるサカキの枝を取りに雪に覆われた庭に出た。枝をこんもり覆う雪を払い枝を手折ろうとしたら、大きな蓑虫が付いていた。厳寒に雪に埋もれ生きる虫のいのちを思った。
 音もなく静かに真っ直ぐに落ちてくる雪の庭で、一瞬時が止まったように思えた。今はいつ、どこなのか。穏やかな正月3日の庭に立ち、あらためて時の流れを思った。

膝まで積もった雪を掘った。晦日前まできれいに紅い実を付けていたヤブコウジが見えた。白い雪の中の紅い実を見たかった。でも、雪に埋もれた植物たちは、暖かい雪に覆われたまま春を迎えたいのかも知れない。
紅い実は真っ白な雪に映えて本当にきれいだった。真っ白な雪ウサギの目を想像した。
(2008.1.3)

「徳一を尋ねて」

2008-01-03 | 文芸


 暮れに、かつての勤務先の同僚が「徳一を尋ねて」を出版したとの新聞記事を見た。
早速お祝いの葉書を出したところ、昨日メール便で、その本が送られてきた。
すぐに「はしがき」と「あとがき」を読み、一通り目を通し、取り急ぎ礼状を出した。

 彼は、高僧徳一が湯川村に開いた勝常寺近くに生まれた縁から、以前から関心を持ち、徳一を顕彰しようと出版した。本書は地に足の着いた集大成で、無駄のない実を取った文章は素晴らしく、蔵書の高橋冨雄氏の「徳一菩薩」などに比べ、とても読み易く徳一の全容を知ることが出来そうだ。
 以下に、「徳一を尋ねて」の目次を掲げる。

目次
はしがき
 第1章 徳一への手がかり
 第2章 徳一の生きた時代
 第3章 徳一と古代の仏教
 第4章 徳一と空海との接点
 第5章 徳一と最澄との三一権実論争
 第6章 徳一の仏教
あとがき
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白岩孝一著「徳一を尋ねて」
会津地域の歴史 88新書(郷土シリ-ズ)
発行所  NPO法人会津文化づくり
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 彼とは長い付き合いで、以前、一緒に学校改革に関わる大きな仕事をしたことがあった。
前に彼から徳一の研究について聞いたことはあったが、当時から構想があったのだろう。その人物像や教えをわかりやすくまとめられている。

 よく知る人が立派な著作を上梓したことから、我が郷土の歴史遺産を知り、守ることの大切さをあらためて知らされたような気がしている。



新しい年の抱負

2008-01-02 | 日々の生活
【歴史的文化遺産 正受庵*】
(http://plaza.rakuten.co.jp/aikomarie/25000)より
 
大晦日の紅白歌合戦は嫌いで、毎年ほとんど見ていない。いつも酔って早く寝てしまう。紅白が終わる頃、「年越し蕎麦だ」と起こされ、「行く年くる年」を見るのが常だった。今年はラジオを聞きながら書斎の整理をしていた。紅白の締めくくりは「世界に一つだけの花」の大合唱だった。
僕らは 世界に一つだけの花
 一人一人違う種を持つ
 その花を咲かせることだけに
 一生懸命になればいい

これはいい、テレビの歌詞を見ながら本当にその通りと思った。

数日前から、今年はどう生きたらいいのかを考えていた。
新しい年の抱負をまとめたかったが、暮れにブログに「正受老人」に関するコメントをいただいた。数行のさわやかな言葉を見つけた。

 今年1年、その言葉を座右の銘として過ごしたいと思っている。
 禅に真髄たる「今を生きる」を実践したいと思ってる。

『 一大事と申すは、今日ただ今の心なり
  吾れ世の人と云ふに,
  一日暮らしといふを工夫せしより,
  精神すこやかにして,又養生の要を得たり.
  如何ほどの苦しみにても,一日と思へば堪へ易し.
  楽しみも亦(また),一日と思へば耽(ふけ)ることあるまじ.
  一日一日と思へば,退屈はあるまじ.
  一日一日をつとむれば,百年千年もつとめやすし.
  一大事と申すは,今日只今の心なり.』
(正受老人)


*) 正受庵:臨済宗の傑僧、道鏡恵端禅師(正受老人)が晩年まで暮らし、後年いわゆる臨済宗の「中興の祖」といわれる白隠禅師が座禅修行した小庵

2008年元旦

2008-01-01 | 日々の生活
 大雪の元旦、いつも変わらぬ犬の散歩に出る。町内はどこの家も雪かたしだ。新年の挨拶を交わしながらすがすがしい新年を迎えた。
 雪のお正月を楽しみにしていたが、少し降りすぎのようだ。散歩中、雪が小降りとなり薄日が差し始めた。大分日が高くなったが年が改まり初めて拝むお日様である。何となくすがすがしく、何か今年はいいことがあるような気がした。でも贅沢は言わない、ともかく健康で過ごしたいと思った。
 昨日の積雪60cm、今朝またその上に30cmくらい、久々の大雪だ。
 
 散歩から戻り、戌年の守り本尊の八幡様に初詣、元朝参りで踏み締められ、つるつるになった雪の階段を気をつけながら登り参拝した。新しい年の幸せをお願いした。
八幡神社の森に接する庭からは神社の屋根が見え、参拝の柏手や鈴の音が聞こえる。
 




 孫と雪遊びをしながら、大雪の庭の雪を片づけた。


 お昼、お重のおせちを突いてお屠蘇を少々いただいた。年賀状が届いた。昔は300枚ほどの年賀状を書いていたこともあったが、もう何年も前からいただく所へだけ挨拶をしている。年に一度の、忘れていた方々への御沙汰を詫びざるを得なかった。