■ 今から2年半前にブログを始めたとき、そのことを知らせた知人・友人は15人くらいだったと思います。その後の「営業活動」が功を奏して、といっても熱心に営業をしているわけではありませんが、閲覧者も閲覧回数も次第に増えまして、このところ毎週閲覧回数が2000回を越えています。昨日までの1週間の閲覧回数は3700回を越えました(誤表示だったりして)。閲覧していただいている皆さんに感謝します。
投稿数も既に1000を越えて、先日1111になりました。ある方がその記念すべき記事をわざわざ切り取ってメールで送って下さいました。パソコンに疎い私にはどうすれば出来るのか分かりません。
休日の午後、カフェ・シュトラッセで本を読む 至福のひととき
さて、閲覧回数がこのように増えてきましたから、もう少しきちんとした文章を書かなければいけないなと日頃のいい加減な文章を反省しまして『文章は接続詞で決まる』石黒圭/光文社新書を昨日から今朝にかけて読みました。
普段、文章の構成などを特に意識することもなくだらだらと書いていますから、接続詞も意識して使ってはいません。本書の筆者・石黒さんは接続詞を「論理の接続詞」「整理の接続詞」「理解の接続詞」「展開の接続詞」と四つのタイプに分けています。更にこれらのタイプを例えば「理解の接続詞」を「換言の接続詞」「例示の接続詞」「補足の接続詞」というように分けて四種十類とし、それぞれについて小説や新聞記事などを引用して具体的に説明しています。
例えば本稿に使った接続詞「さて」についてですが、石黒さんは**さて系の接続詞は、それまでの話題とは別の話題を持ち込むことを予告する接続詞です。(中略)たんに別の話題を持ち込むわけではありません。(中略)書き手はもともと準備していた話題に戻すことを予告する接続詞です。**と説明し、続けてあるエッセイに使われている「さて」について**この二つの「さて」は、明らかに筆者があらかじめ周到に準備したものであり、行きあたりばったりでつけたものでないことがわかります。文章の全体構造を視野に入れ、話題の重要な分岐点で使われているからです。** このように説明しています。
いままでの行きあたりばったりな文章を少し反省しなければなりません。
**文章というのは社会的な存在です。読み手が読んで理解できるように書かなければなりません。しかし、私たちが文章を書くと、どうしても自分の論理で書いてしまい、その結果、その情報に初めて接する読み手が理解できなくなるということがしばしば起きます。文章を書くということの難しさは、まさにそこにあります。**
この本には巻末に索引が載っていますから、接続詞について調べるのに便利です。これからは、パソコンの横に置いて・・・。
無理です。今まで通り、いい加減な文章を書きます。