**そのかわりツキコさん、ケイタイという呼び方はしないでください。携帯電話、そう言ってください。必ず。**
『センセイの鞄』でツキコさんは何かあったときに安心だからとセンセイにケイタイを持つように勧める。センセイは渋るが、結局了承する。その時センセイは携帯電話と呼ぶようにと、条件を付けたのだった。センセイの指示に従って本稿のタイトルを携帯電話とする。
ケイタイと川上弘美さんは表記しているが、ケータイの方が一般的ではないかと思うがどうだろう。以下ケータイとする。
ケータイの操作に馴染めないというお年寄りは少なくないだろう。受話器を持って通話して、終ったら受話器を置くという従来の行為が、携帯電話の場合にはボタンを押すという操作に置き換えられている。長年慣れ親しんだ操作が変わって戸惑ってしまうのだろう。
健康保険証も免許証サイズに変更されたが、随分混乱を来たしたようだ。長年親しんだ保険証が突然全く違った姿になってしまったのだから、当然の混乱だといえる。電話の場合と同様。お年寄りの使う保険証のサイズや仕様を変えてはいけなかったのだ。
話をケータイに戻そう。いろんな機能がついているもの拒絶反応を示す原因かもしれない。電話機能だけで充分というお年寄りだって大勢いるだろう。もっとシンプルな操作のケータイが出来そうなのに・・・。でも、頑張って「らくらくホン」の電話機能くらい使いこなさないとだめなのかな。
「らくらくホン」。この表記にはお年寄りへの配慮が感じられなくもない。お年寄りはフォンなどと発音しないのではないか、だからホン。これに対しては♪バカにしないでよ~、と百恵ちゃん的意見もあるかもしれない。まあ、フォンとホン、どっちでもいいけれど。ネーミングだけでなく、操作方法などに、もっと配慮してほしいものだ。まだまだユニバーサルデザインとはいえない。
ところでケータイの機能がこれだけ多様化すると使い方が人によってかなり違うのではないか、と思う。私はケータイでインターネットを利用したことが全くない。カメラ機能もついていない。ただ電話とメール、それに腕時計代わりと電話帳として使うのみ。特に電話帳としてよく使う。で、欲しいのはFAXのシンボルマーク。電話番号もFAX番号も電話のマークで登録しているので時々混乱する。
電話帳としてケータイを利用している人は多いと思う。だとしたら、FAX番号の登録マークをつけたら歓迎されると思うけれど。
auでもdocomoでもどこでもいい、FAXマークをつけてもらえないかな~。
東筑摩郡朝日村本郷の「抱肩握手像」
塩尻市洗馬下小曽部花見の「祝言跪座像」
■ 一昨日、昨日とちょっとした道祖神めぐりをしてアップしました。普段道端に道祖神を見かけても特に気にもとめずに通り過ぎていたのですが、観察してみると、石工のセンスの反映でしょうか、どれも個性的で表情が皆違うんです。
前稿で一応今回分は終わりにしようと思ったのですが、ボツにするつもりだった写真をアップしておきます。
上の道祖神は高さ70cmほどの小さな石に彫られた道祖神です。石の形や枠の形、デフォルメされた手などが素朴な印象を与えています。
下の道祖神は磨耗が進んでいて顔の表情も消えてしまっています。でもそれがほのぼのとした民話の世界を想起させるような雰囲気です。
前稿では桃の形をした枠についてチンセツをYちゃんに語ってしまったのですが、手元の本によるとこれが桃の実なのか、宝珠なのかは断定できないのだそうです。桃だとすると、記紀神話に繋がるとは既に書いた通りです。その部分を引用しておきます。
**死んで黄泉国にいる妻・イザナミの姿を禁を破って垣間見たイザナギは、激怒した黄泉国の者どもに追われる。地上と地下の境、黄泉比良坂にまで逃げてきたイザナギがそこにあった桃の実を投げつける。とようやく彼らは逃げ散った。桃には魔除けの効果があると考えられてきたのだから、道祖神の一部に取り入れられるのも当然だろう。**(「道祖神散歩」新潮社とんぼの本 より引用)
今回は以上で終わりです。いつか穂高や梓川などの道祖神も取り上げたいと思います。「山里道祖神めぐり」また次回。
参考にした本を挙げておきます。
「道祖神散歩」道祖神を歩く会 野中昭夫/新潮社とんぼの本
「道祖神」降旗勝次編/鹿島出版会
「双体 どうそじん」長野県山形村役場