■ 松本平には道祖神が多いのですが、それらは江戸中期以降に造立されていて、大半は高遠藩の石工の手によるものだそうです。財政的に厳しかった高遠藩では石工に旅稼ぎを奨励していて、彼らは近隣の松本平に足を運び各地で道祖神を彫ったそうです(参考文献:「道祖神」降旗勝次編/鹿島出版会 昭和50年発行)。
同書で石仏研究家の曽根原駿吉郎氏は道祖神の分布は松本平を起点として甲州、上州さらに駿州などにも伸びていて、これらのエリアが高遠の石工の行動範囲と重なると指摘しています。
松本平の南西の山裾に位置する山形村には40体もの道祖神が祀られているそうです。この村はかつて高遠藩の飛び地で高遠の石工が力作を残したのだそうです。
小坂の「酒樽」嘉永2(1849)年
資料によるとこのような道祖神は跪座祝言型というそうです。丸窓の中に彫られた男女の神様、像の下に酒樽が彫られています。この写真では分かりにくいですが男神は盃を左手に持ち、女神は右手に提子(ひさげ)を下げています。他の手はお互いの袂の中に伸ばしています。
資料には**祝言には酒は付き物。うんと飲みたい。飲ませたいという施主たちの願望であろうか。**と記されています。
大きな三角形の石に彫られた道祖神「大池の頭領」嘉永5(1852)年
王朝貴族風の男女の神様。養蚕が盛んで経済的にも豊かだった村人たちが祀った存在感のある道祖神、貫禄のある神様です。
「筒囲筒下大池」寛政7(1795)年
抱肩握手型と呼ばれる道祖神の代表のような道祖神。お互い内側の手を相手の肩にかけ(男神の手がよく分かりませんが遠慮がちに女神の肩にかけています)、外側の手で握手をしています。頬を近づけた姿がほほえましいです。
この道祖神は人気があって拓本をとる人が少なくないのでしょう。許可なく拓本をとらないで下さいという看板が脇に立っていました。
像が立体的に見える時間帯を狙ったつもりですが、枝垂桜の影が道祖神に落ちていて上手く写真が撮れませんでした。残念。
本稿では先に挙げた参考文献の他に山形村で平成3年に発行した『双体 どうそじん』と『道祖神散歩』道祖神を歩く会 野中昭夫/新潮社とんぼの本 を参考にしました。