透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

山裾の村の道祖神

2008-09-14 | B 石神・石仏

 松本平には道祖神が多いのですが、それらは江戸中期以降に造立されていて、大半は高遠藩の石工の手によるものだそうです。財政的に厳しかった高遠藩では石工に旅稼ぎを奨励していて、彼らは近隣の松本平に足を運び各地で道祖神を彫ったそうです(参考文献:「道祖神」降旗勝次編/鹿島出版会 昭和50年発行)。

同書で石仏研究家の曽根原駿吉郎氏は道祖神の分布は松本平を起点として甲州、上州さらに駿州などにも伸びていて、これらのエリアが高遠の石工の行動範囲と重なると指摘しています。

松本平の南西の山裾に位置する山形村には40体もの道祖神が祀られているそうです。この村はかつて高遠藩の飛び地で高遠の石工が力作を残したのだそうです。


小坂の「酒樽」嘉永2(1849)年

資料によるとこのような道祖神は跪座祝言型というそうです。丸窓の中に彫られた男女の神様、像の下に酒樽が彫られています。この写真では分かりにくいですが男神は盃を左手に持ち、女神は右手に提子(ひさげ)を下げています。他の手はお互いの袂の中に伸ばしています。

資料には**祝言には酒は付き物。うんと飲みたい。飲ませたいという施主たちの願望であろうか。**と記されています。


大きな三角形の石に彫られた道祖神「大池の頭領」嘉永5(1852)年

王朝貴族風の男女の神様。養蚕が盛んで経済的にも豊かだった村人たちが祀った存在感のある道祖神、貫禄のある神様です。


「筒囲筒下大池」寛政7(1795)年

抱肩握手型と呼ばれる道祖神の代表のような道祖神。お互い内側の手を相手の肩にかけ(男神の手がよく分かりませんが遠慮がちに女神の肩にかけています)、外側の手で握手をしています。頬を近づけた姿がほほえましいです。

この道祖神は人気があって拓本をとる人が少なくないのでしょう。許可なく拓本をとらないで下さいという看板が脇に立っていました。

像が立体的に見える時間帯を狙ったつもりですが、枝垂桜の影が道祖神に落ちていて上手く写真が撮れませんでした。残念。


本稿では先に挙げた参考文献の他に山形村で平成3年に発行した『双体 どうそじん』と『道祖神散歩』道祖神を歩く会 野中昭夫/新潮社とんぼの本 を参考にしました。

 


「フェルメールの世界」

2008-09-14 | A 読書日記


 いつも行く松本市内の書店でフェルメール関連の書籍が平積みされていた。現在上野の東京都美術館で開催中の展覧会を意識してのことだろう。美術関連の本は高価なものが多くてなかなか手が出ない。この本をパラパラと見てみると中身が濃い、そして安価。で、購入。

来月早々フェルメール展を観に東京する予定なので少しこの画家について勉強しておこう。

**フェルメールは、常に自己を模索しながら、主題の選択や人物配置、空間構成、光や質感の描写に独創的な才能を発揮し、静寂に支配された光と陰が織りなす傑作の数々を物していった。謎の天才画家といった神話に惑わされることなく、17世紀に生きた画家の素顔を浮かび上がらせ、歴史のいたずらに翻弄されつづけたフェルメール作品の魅力をわかりやすく、生き生きと語る気鋭の野心作。**    カバー折り返しの紹介文より

『フェルメールの世界 17世紀オランダ風俗画家の軌跡』小林頼子/NHKブックス 

カフェ・シュトラッセで「M8」を読み終えた。

2008-09-14 | A あれこれ


 カフェ・シュトラッセで『M8』高嶋哲夫/集英社文庫 読了。帰る頃にはすっかり暗くなっていた。ここの夜景は初めてだが田舎の小さな分教場のような雰囲気がなかなかいい。

さて『M8』。東京が直下型大地震によって死者2万人近く、負傷者15万5千人、全壊家屋4万3千棟、消失家屋36万棟という大災害を被る。

この手の小説には災害の全貌を描写すると共に被災した市民一人ひとりを描写することが求められる。ズームアウトとズームイン、司馬遼太郎の鳥の眼で見るような俯瞰的な捉え方と藤沢周平の虫の眼で見るような捉え方の使い分けが必要なのだ。

両者のバランスが適当か、また2つの眼それぞれから未曾有の大災害が過不足なく描かれているか、という面では少し減点されるかもしれないが、一気読みさせるだけの力を備えた小説だった。

主な登場人物は4人だが、全員が阪神・淡路大震災で被災し、家族を亡くしている。内3人は高校の同級生で現在は地震予知を研究しているポストドクター、議員秘書、自衛官になっている。あとひとりは当時大学教授だった地震学者。この4人の職業からおぼろげながらこの小説のイメージが浮かんでくるのではないか。

ところで小松左京の『日本沈没』は国土を沈没させてしまうことで日本とは何か、日本人とは何かを読者に問うというものだったが、この『M8』で高嶋哲夫は技術者らしくあらゆる自然災害に関する総合的な防災研究の必要性を訴えたかったのかもしれない。

**この東京直下型地震で、来るか来ないか分からない地震に予算を使うことに否定的だった議員も目が覚めたでしょう。必死に今までの言動の言い訳をしている。無駄な高速道路やダム建設に数百、数千億円を注ぎ込むより、よほど生きたお金の使い道。(後略)**とやはり阪神・淡路大震災で被災した国会議員に発言させている。

「備えあれば憂いなし」とは言うけれど・・・。