透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「胡蝶」

2022-06-07 | G 源氏物語

「胡蝶 玉鬘の姫君に心惹かれる男たち」

 夕顔はその昔、光君がぞっこんだった女性。ある日、光君は夕顔を廃墟のような邸に連れ出した。ふたり水入らずで過ごそうという魂胆。ところがそこで夕顔は物の怪にとりつかれて急死してしまう。「胡蝶」に出てくる玉鬘は夕顔の娘で光君の養女。

非の打ちどころのない美しさの姫君・玉鬘に思いを寄せる男たちが多く、恋文がたくさん届く。で、光君はいちいち恋文をチェック、評価する。**だれかの妻となって赤の他人となってしまうのはどんなにくやしかろうと光君は思わずにいられない。**(70頁)光君は紫の上にも玉鬘のことを褒めて聞かせる。もちろん紫の上はいい気持ちはしない。

ある日、光君は玉鬘に**「はじめてお目に掛かった時は、こうまで似ているとは思わなかったが、不思議なくらい、母君かと思い違いをしてしまうことがたびたびあるよ。(後略)」**(74頁)などと告白する。 いやだなぁと思う玉鬘は光君がとても母君とは別人とは思えないと詠むと**袖の香をよそふるからに橘のみさえはかなくなりもこそすれ**(74頁)私の身(橘の実)も母と同じようにはかなく消えるのかもしれませんね、と返す。

**(前略)体つきや肌合いがきめこまやかでかわいらしく、光君はかえって恋心が募る思いで、今日は少しばかり本心を打ち明ける。**(74、5頁) 薄絹姿で肌が透けて見えている玉鬘に迫る光君。色っぽいだろうな、と鄙里のおじさんも思う。この後のやり取りは省略。玉鬘はつらくて震え、涙があふれている。嫌で嫌でたまらない様子。玉鬘がかわいそう。で、光君も反省して(あきらめてだろうか)夜の更けないうちに帰ることに。

その後、光君から送られてきた手紙に玉鬘は**「お便りいただきました。気分が悪いのでお返事は失礼いたします」と書く。**(77頁)さすがに堅物だ、恨みがいがあると思う光君に、**なんとも仕方ないご性分ですこと。**(77頁)と作者は感想を書く。

『源氏物語』を全訳した谷崎潤一郎は光源氏嫌いだったそうだが、「胡蝶」を読むと誰でも光源氏を嫌悪するのではないか。


1桐壺 2帚木 3空蝉 4夕顔 5若紫 6末摘花 7紅葉賀 8花宴 9葵 10賢木 
11花散里 12須磨 13明石 14澪標 15蓬生 16関屋 17絵合 18松風 19薄雲 20朝顔 
21少女 22玉鬘 23初音 24胡蝶 25蛍 26常夏 27篝火 28野分 29行幸 30藤袴
31真木柱 32梅枝 33藤裏葉 34若菜上 35若菜下 36柏木 37横笛 38鈴虫 39夕霧 40御法
41幻 42匂宮 43紅梅 44竹河 45橋姫 46椎本 47総角 48早蕨 49宿木 50東屋
51浮舟 52蜻蛉 53手習 54夢浮橋


『源氏物語』の訳書は読んでいないけれど、漫画『あさきゆめみし』大和和紀(講談社)を読んだという人が結構いるらしい。この漫画を高く評価する人も少なくないようだ。しばらく前、あるカフェの店長からも『あさきゆめみし』を読んだと聞いた。ぼくはこの漫画を知らない。ネットで画像検索してみた。なるほど、こういう漫画なのか・・・。

昨日(6日)朝カフェ読書をしている時、顔見知りの店員さんから声をかけられた。ぼくが角田光代訳の『源氏物語』を読んでいることをブログで知った店員さん、「私も去年角田光代訳の源氏物語を読みました」。





「幽霊」北 杜夫

2022-06-07 | A 読書日記



 何日か前、北 杜夫の『どくとるマンボウ青春記』(中公文庫1973年6版)を再読した。青春記という書名が示す通り、これは北さんの青春の記録だ。北さんは日々の生活の様子を綴った日記も残したのだろうが、記憶力も相当なものだったと思う。そうでなければ、終戦直後の松本でのバンカラな生活や仙台での生活ぶりを後年にこれほど詳細に書き記すことはできないと思う。日記についてはこの本の中に**従って日記というものは、決して詩なんぞ記さず、できるだけ早くから客観的事実を記したほうがマシである。**(119頁)という記述がある。

「青春記」は次の一文で終わっている。**私はそのとき、カバンの中に、ほとんど完成しかけた自分の最初の長篇『幽霊』のかなりぶ厚い原稿を入れていた。**(294頁)それで『幽霊』(新潮文庫1981年29刷)を読もうと思い、書棚から取り出してこの数日で再読した(以下、一部過去の記事再掲)。

『幽霊』は北 杜夫の最初の長篇小説で幼年期から旧制高校時代までを扱っている。小説らしい筋立てがあるわけではない。北 杜夫のファンならば**人はなぜ追憶を語るのだろうか。どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。**という書き出しが浮かぶだろう。この書き出しは**その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。――だが、あのおぼろげな昔に人の心にしのびこみ、そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。**と続く。

この魅力的な書き出しに、この小説のモチーフが端的に表現されている。そう、『幽霊』は心の奥底に沈澱している遠い記憶を求める「心の旅」がテーマの作品だ。繊細で詩的な文章で綴られる追憶。

最後に綴られる北アルプスは槍ヶ岳での夜の出来事。**頭上の夜空にはひとひらの雲さえ認められなかった。満天に星がばらまかれ、槍沢の斜面のなだれてゆく正面の雲海のうえに、どこか不気味な、見知らぬ遊星といった印象で、白々と輝きながらおおきな月が昇りかけていた。**(215頁)この後に続く濃霧が急に消えてからの山上の夜景の描写は圧倒的。

夜が明けて**人間のなかへおりて行こう。**(220頁)と決めて下山していく・・・。この作品は後世に残すべき名作だと私は思う。