透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

空間を切り撮り、時間を切り撮る。

2022-06-12 | A あれこれ


 

 安曇野市豊科近代美術館で開催中(会期:05.29~07.10)の土拳 拳記念館コレクション展に行ってきた。『古寺巡礼』『ヒロシマ』『筑豊のこどもたち』などのテーマの作品が展示されていた。作品点数は約140点とのこと。

チケットやリーフレットに使われている若い看護師の写真は、モノクロで色の要素がなく、マスクとキャップをつけている顔のアップだからだろうか、グラフィックな印象を受ける。仏像のディテールを捉えた写真もやはり同じで、対象だけを切り取り(切り撮りという表記の方がよいのかもしれない)、それ以外のものを徹底的に排除している。そのためにすごくインパクトがある。砂取りゲーム(砂で作った山のてっぺんに棒をさして、棒を倒さないように周りの砂を両手で取り除いていく。棒を倒した者が負けというゲーム)のように取り除いて取り除いて最後に残ったものだけを撮った写真には研ぎ澄まされた感性を感じる。

その一方で、路上で無邪気に遊ぶこどもたちを撮ったモノクロ写真はスナップ的でこどもたちの一瞬の表情を捉えている。連写はしていないから、連続的な時間の流れから一瞬を切り撮っている。 片や空間を切り撮り、一方で時間を切り撮る。両方を完璧にやってのけた土門 拳という写真家はやはり凄い。

写真展のコピーの「肉眼を超えたレンズ」をどう解釈するか・・・。ただ単に肉眼よりカメラのレンズの方が能力的に優れているという意味ではないだろう。肉眼は対象を見る一般人の目、レンズは土門 拳の美的感性と知性に裏付けされた観察眼、というように解釈したい。そうではない、ということを承知の上で・・・。


山形県酒田市にある土門拳記念館に出かけていったのはいつ頃だっただろう。記念館の開館(1983年)直後だとすると、40年近く前のことになる。谷口吉生がデザインしたモダンな空間に土門 拳の作品がよくフィットしていたことを覚えている。