■ 東京 建築観察 8
伊東豊雄 建築|新しいリアル
■ 今月24日まで東京オペラシティアートギャラリーで開催されているこの建築展では「せんだい」以降の伊東さんのいくつかのプロジェクトが紹介されています。
今回の東京、いちばんの目的はこの建築展を観ることでした。会場内は撮影が禁止されていますので、会場内の様子を表紙にした雑誌を載せておきます。展示会場内の白い床はフラットではありません。波うっているのです。
今までスタティック(静的)な理論で創られてきた建築に流動性を与えて自然界のシステムに近づけていく試み、この床にもそんな伊東さんの新しい考え方が表現されています。
床に「落とし穴」があって(後述する番組で檀ふみさんがそう表現していました)、そこに座って大きな模型を見るようになっています(写真に青い落とし穴が写っています)。10分の1の模型は巻貝のように見えます。生命のように変化し成長するというイメージの建築。
話題の建築展で新聞でも紹介されましたし、NHK教育テレビの「新日曜美術館」でもとり上げられました(3日(日)夜8時から再放送されます)。台中メトロポリタン・オペラハウスの模型を前にして「これ建物なんですか? キャー!」と番組の司会者の檀ふみさん。「本当に建つんですかこんな形のものが」という野村アナウンサーの問いかけに、伊東さんは「構造の解析もかなり進んでいますからこれは大丈夫です」と答えていました。伊東さんの説明をしばらく聞いた檀さん、「要するにこれは建物じゃないわけなんですね」
次の会場(上の写真)に移動したところで檀さん、床に立って「なんですかこれ、ぐにゃぐにゃじゃありません?」
伊東さんの建築に対する情熱の凄さを展示作品から感じた。伊東さんは、1941年生まれだから今年65歳。サラリーマンなら現役を退く歳なのに、次々と常識を超えるような新しい試みを繰り返している。凄いエネルギーだ。一体この先伊東さんの建築はどうなっていくんだろう・・・。
本稿で東京 建築観察記を終わりにします。
■東京 建築観察記 7
恵比寿ガーデンプレイス : 商業施設、文化施設、オフィス、ホテル、集合住宅等から成る複合施設、東京都写真美術館もここに在る。
1995年 都市景観賞 都市景観100選 設計:久米設計
村井修写真展の会場を後にして、東京都写真美術館に「パラレル・ニッポン 現代日本建築展 1996-2006」を観に行った。恵比寿に着いたときはすっかり暗くなっていた。センター広場にはこの光のオブジェにケータイを向けている人が何人もいた。
ここ恵比寿ガーデンプレイスは集客力のあるスポットだと思うが、クリスマスシーズンにはこうした光の演出をしている。もちろんこのシーズン、更なる集客をねらってのことに違いないが、まずサービス、人を楽しませることという姿勢を感じる。
以前、松本パルコのクリスマスツリーのことを書いた。もっと南側の広場を活用したらどうかと。東京と地方都市との経済力の差だろうか・・・。イルミネーションにどのくらい費用がかかるか分からないが、個人の住宅の前庭を美しく飾っているところなどをみるとそれ程費用をかけなくてもできそうだ。
サービス精神の差、企画力の差ということだろうか・・・。松本にはいくつもの顔がある。岳都、学都、そして商都。商都として集客を考えるならもっと人びとを楽しませる工夫をして欲しい、このシーズンには毎年そう思うのだが・・・。
■東京 建築観察記 6
http://www.a-quad.jp/main.html
○ 上のサイト、村井修写真展に進むと横向きの写真が出てきます。写真の下の数字をクリックすると作品をみることができます。19番香川県立体育館、写真は「光の図描」であることを再認識させてくれる作品です。
建築写真家 村井修さんの作品を目にする機会は多い。特に印象に残っているのが『建築と都市』丹下健三/彰国社に載っている山梨文化会館の写真だ。この本の発行は今から36年も前、1970年のこと。それ以前から村井さんは美しいと表現すべきか、優れたと表現すべきか迷うがとにかく印象的な建築写真を撮ってこられた方だ。その村井さんの写真展が開催されていると友人に教えてもらった(ありがとう)。
「都市の記憶」と題する写真展は「記憶の風景」「村落の様相」「都市と建築」「建築写真」などのセクションから構成されていて、村井さんが50年にも亘って撮りつづけた作品を観ることができた。代々木体育館の印象的な作品も展示されていて、丹下さんの本の表紙に使われていたことを思い出した(写真左)。
解体される前の帝国ホテルのカラー写真はめずらしく興味深かったし、広島平和記念公園の写真は前方に原爆ドームを、後方に丹下さんの資料館を配した独特のアングルで印象に残った。偶々会場に居られた村井さんに、ビルの屋上のフェンスの外から撮ったことを教えていただいた。
村井さんは柳澤孝彦さんの作品も撮ってこられた。先日載せた中川一政美術館のパンフレットの写真も村井さんの作品。
村井さん、これからもお元気でご活躍くださいますように。
■東京 建築観察記 5
東京 建築観察記 前稿までのまとめ
アンドウ ヒルズ?
安藤さんはショッピングストリートをらせん(スパイラル)状に構成して建築の中に「閉じ込めて」みせた。表参道との関係を断ち切ってしまったのは、残念。だから「表参道ヒルズ」ではなくて「アンドウ ヒルズ」。この建築に相応しい名前だと思うけれど・・・。
日本看護協会ビル:建築と都市の共生
黒川さんは共生という「思想」を縁空間、中間体という概念によって具現化してみせた。向かいの表参道ヒルズに批判的な文章を書いているらしいが、未読。「閉じちゃだめですよ、安藤さん」ということなんだろう。この写真は建築の裏側にまわって撮ったもの。裏通りにこれだけの緑の必要性は感じなかった。既に指摘した通り、この緑は表参道側から見せることを意図したものと理解するのが妥当だろう。壁面の大きなガラス窓はそのためのデザイン。「そうですよね、黒川さん」
一葉記念館
柳澤さんは連子格子という日本の伝統的なボキャブラリー(建築のデザイン要素、文章を構成する単語に相当する)を「現代語訳」して記念館に用い、周辺環境と調和するファサードを創出してみせた。
但し、柳澤さんは竹中時代に「有楽町マリオン」で既に使っている。マリオンは連子格子の現代版とも理解できるかもしれない、と思いついて、そのことに気が付いた。機能的には違うと思うけれど、視覚的な効果という点で一葉記念館の格子もマリオンも同じではないか。
では、都市という文脈で柳澤さんは「有楽町マリオン」をどのように位置付け、そこでマリオンをどのようなデザイン的な意図で使ったのだろう・・・。当時の雑誌が見つかれば確認してみたい。
建築家の難波和彦さんは以前雑誌で**実現した建築の説明では、プロセスはあたかも必然的な経過を経て最終的なデザインに到達したかのように記述される、しかしデザインは決定論的なプロセスではない。**と指摘していた。
そうなのだ、先に最終的なデザインがイメージされて、それにあとから理屈や説明をつける場合だってあり得る、むしろその方が一般的なのかもしれない。デザインは結果から遡るという過程をとるのだ。菊竹さんのスカイハウスでそのことに少し触れたが、もしかしたら柳澤さんの場合も格子が先にイメージされて、そのデザインにあとから必然的な理由を与えたのかもしれない・・・。