透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「森高羊低」

2007-08-16 | A 読書日記



■「春樹をめぐる冒険」がようやく終った。

すこし関連本を読んでみようと先ず手にしたのがこの本。著者の藤井さんは中国、台湾、香港の現代文学を研究する大学教授で現在「東アジアと村上春樹」の国際共同研究を続行中だとカバーの折り返しに紹介されている。

本のタイトルのように、村上春樹は中国の影響を深く受けていると著者は指摘する。デビュー作の『風の歌を聴け』の冒頭の一節**完璧な文章といったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね**は魯迅のことば**絶望の虚妄なることは、まさに希望と相同じい**に触発されたものだろう、という指摘は中国文学と村上春樹文学の専門家でないと到底できないだろう。

第2章から第4章「台湾、香港、中国のなかの村上春樹」はそれぞれの国の春樹受容の事情の詳細な紹介。国情の違いが春樹受容の違いを招いている。

第5章「にぎやかな翻訳の森」は各国で何種類もある翻訳の差異に関する「研究」。

欧米・ロシアでは「羊高森低」、東アジアでは「森高羊低」、ただし香港では「森羊双高」だという指摘があったりとなかなか興味深い内容で、春樹解説本の最初の本に相応しかった。満足。 


村上春樹の世界を可視化する

2007-08-14 | A あれこれ

 村上春樹の世界を可視化しようという試み。

村上春樹の世界とはどういうものだろう・・・。それが単一の「層」ではなく「二層」、「多層」から成るものだ、ということは感覚的に理解できる。

その具体的なイメージを思い描こうとするが、なかなか浮かんでこない・・・。浮かんでくるのは抽象的な、曖昧模糊としたイメージだ。

『ねじまき鳥クロニクル』に出てくる「井戸」は一体何を意味しているんだろう・・・。何の象徴なんだろう・・・。

途中まで読み進んだところでチラッとこの「井戸」の話を春樹ファンの友人にしてみたのだが、「重要なポイントだから」(だったかな)とはぐらかされてしまった。

この作家の描く多層な世界。「現実」と「心の深層」、「こちら側」と「あちら側」、「精神・意識」と「肉体」、「現実」と「想像・記憶」、「実在」と「記号」・・・。

とすると「井戸」とはこれらの層を繋ぐトンネルなのか・・・。

この井戸のイメージを可視化するとあるいはこの本の表紙の絵のようなものなのかもしれない。深夜 自室にこもっていてふとそう思った。

別に「臨死体験」のことではない。あくまでもこの絵のイメージだ。異界、異層に通じているトンネル。



多層な世界とそれらを繋ぐトンネル。「?」「・・・・・」「」  

深夜に考え事をすると突拍子もないことが浮かんでくる。

村上春樹の世界を可視化すると「せんだいメディアテークのコンセプトモデル」になる・・・。こんな珍説を唱えるのは私だけだろう。

この説に説得力をもたせるには時間が必要だ。じっくり時間をかければ「なるほど!」という説にすることができるかもしれない。

あるいは全く異なるイメージが立ち上がってくるかもしれない・・・。例えば、ひとつの世界がいろんな世界を同時に内包しているようなイメージ。そう、この「金沢21世紀美術館」のような。

村上春樹の世界を可視化すると「金沢21世紀美術館のプランのダイアグラム」になる・・・。



いくつかの物語をひとつの物語のなかにばらまいて(もちろん意図的にではあるが)その再構築を読者に委ねてしまう・・・。

ビジュアライズしたいと考えてしまうのは僕の脳みその「くせ」なのだろう。


 


横須賀美術館に行こう

2007-08-14 | A あれこれ

 今回は・・・山本理顕さん。

この建築家の作品といえば古くは「岡山の家」そして「保田窪団地」(熊本県の県営住宅)あたりが浮かぶ。どちらも山本さんの家族観をストレートに建築化した作品だが、後者は当時大分話題になった。建築関係者が賞賛する一方、そこに住む人たちからは使いにくさを指摘する声があがった。マスコミにもよくとり上げられた、と記憶している。

 

この団地については上野千鶴子さんがこの本でとり上げて詳細に論じている。

**上野千鶴子が、建築を社会学する。**と帯にあるが、まさにその通りの内容で、以前興味深く読んだ。

さて、山本さんの近作といえば「埼玉県立大学」や「はこだて未来大学」あたりか。中国でも集合住宅の仕事をいくつか手がけているようだが、その内容はほとんど何も知らない。

この4月に最新作、「横須賀美術館」がオープンした。既に建築関係の雑誌に紹介されていているが、「建築技術」8月号にも詳しく紹介されている(雑誌の名前が示す通り、技術的な内容をかなり詳しくとり上げる唯一の雑誌)。

この美術館の建築的な特徴、それはガラスと鉄ふたつの層によって外壁(屋根も)を構成しているということ。雑誌には「ガラスと鉄のダブルスキン」と題する文章が掲載されている。

美術館を臨海部の厳しい自然から守りつつその自然と一体化させる。

この相反する条件をクリアするために採られたアイデア(安藤さんもコンクリートの外壁保護のためにガラスで覆うというアイデアを既に「兵庫県立美術館」などで採用しているから、特に新しいものではない)がこのダブルスキン。

雑誌には断面詳細図も掲載されているが、それによるとかなり複雑な空間構成のように見える。

直接体験してみたい空間。交通の便があまりよくなさそうだから、ル・コルビュジエ展とセットで日帰りはきついか・・・。
 


 


好きな村上春樹本

2007-08-14 | A 読書日記

 

 
 好きな本を3冊に絞り込むことができなかったので4冊挙げます。順位はつけていません。

『風の歌を聴け』
『1973年のピンボール』
『羊をめぐる冒険』
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』
『ノルウェイの森』
『ダンス・ダンス・ダンス』
『国境の南、太陽の西』
『ねじまき鳥クロニクル』
『スプートニクの恋人』
『海辺のカフカ』
『アフターダーク』

最初の作品に全てが出ているとよく聞きます。長篇『風の歌を聴け』と短篇集『中国行きのスロウ・ボート』がそれぞれ最初の作品。再読するならこの2冊ですね。


 


ようやく終えた春樹旅行

2007-08-13 | A 読書日記


■ 昨日の新聞のお天気欄に「しばらく厳しい暑さが続くので、熱中症に注意」と載っていた。今日も暑かった。

子どもの頃の夏は、午後真白な積乱雲いや入道雲の方が相応しいか、がモクモクと成長して夕方になると雷と共に夕立が激しく地面を屋根をたたく日が多かった。

もう何年も前から夕立が少ない夏が続いているような気がする。明らかに昔とは気候が変わっている。

 80日間と期間を決めて村上春樹の長編小説を全て読もうと決めたのはただ単にジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』に倣っただけで小説のボリュームを意識してのことではなかった。

春樹の世界を一周する旅をようやく終えた。80日間というと今月末までだったから、かなり早く終えたことになる。

『ねじまき鳥クロニクル』は第3部だけで500ページもの長編、その感想を直ちに書きたいところだが、少し旅の余韻に浸ることにして本筋とは関係ないことを載せておく。

小説の最後に出てくる月の描写、「中国の刀のような鋭い狐をもった上弦の月だった。」 この作家は独特の喩えをする。

島田雅彦は確か『彼岸先生』新潮文庫で「鎌のような月」と表現していた。前にも書いたが角田光代は「レモンのような月」と表現していた。それぞれ月齢は異なるだろうが、表現の違いが興味深い。

繰り返すが村上春樹の小説は読み手にいろんな解釈を許す。メタファーをどう理解するかで、かなり異なった世界が展開する。いろんな解説本があることも頷ける。これからは少し解説本、解釈本を読んでみようと思う。

次稿で、印象に残った3冊を挙げることにしよう。

夏休みの日記

2007-08-13 | A あれこれ
 8月12日(日)天気

今日は一日だけの夏休みでした。朝はテレビで「週刊ブックレビュー」を観ました。後半のゲストは詩人・作家の小池昌代さんでした。川端康成文学賞を受賞した短篇集「タタド」新潮社がとり上げられました。**人は恋人、夫婦、友人や同僚など他人との関係に規定されて生きている。その関係を「決壊」させた世界を描きたい。** 小池さんは知的美人(なんて小学生は書かないか)、どんな作品だろう。今度書店で探してみます。

午後は映画を観ようと近くのシネコンに出かけましたが、シネ混。「オーシャンズ13」も「トランスフォーマー」も満席状態でした。 諦めて家に帰りました。結局昼間っからビールを飲みながら「ねじまき鳥クロニクル」を読みました。

オシマイ

***

小学生の頃 夏休みには日記を書きました。その日の出来事を翌日書いたと思います。毎日に学校のプールまで水泳に出かけていましたね。その他には何をして過ごしたんだろう・・・。♪もう帰らないあの夏の日・・・

コラボレーション 2

2007-08-12 | A あれこれ

前稿から続く 

 現在の建築設計の現場でかつての丹下さんと坪井さんのような関係を挙げるとすれば伊東豊雄さんと佐々木睦朗さん、ということになるでしょうか。

伊東さんの代表作「せんだいメディアテーク」をはじめ主要な作品の構造を佐々木さんが担当しています。佐々木さんの卓越した構造センスなくしてあの建築は実現しなかったと言っても言い過ぎではない、と思います。

ミースの箱をガウディが貫いている  

「せんだい」をここまでシンプルに表現したかどうかは別としてこのような捉え方を示してみせたのは、ふたりの建築家に感心を持つ佐々木さんだったような・・・ 曖昧な記憶があります。その後、伊東さんが「オレはガウディを目指す!」と言ったと藤森さんが証言していますが、この宣言にも佐々木さんと伊東さんとのデザインを巡る議論が関係しているのではないか、私にはそう思えるのです。

「建築雑誌」の今月(8月)号に佐々木さんが「高度IT時代の構造デザイン」という小論を書いています。

**現代の構造デザインにおいて、自由、複雑、不定形、流動的、有機的といった特徴をもつ新しい3次元的な構造物の創造は、近代の呪縛から建築を解放し、建築という領域を拡張するうえで、今や国際的にもコンテンポラリィなテーマになりつつある。しかし、それを真に合理的に実現するためには、従来の経験的な構造デザイン手法にかわって、力学と美学とを統合した理論的な形態デザイン手法が必要である。**

この形態デザイン手法を既に確立し実用化しているのが、佐々木さん自身なんです。「建築雑誌」のこの小論には、佐々木さんの「ドーダ」がちょっと入っていますが、大いにドーダしてかまわない、と私は思います。「ぐりんぐりん」や「瞑想の森 市営斎場」のような自由曲面も佐々木さんが数理的な難しい力学理論を基にコンピュータを使って解析し最適解を抽出したことによって実現したのですから。

佐々木さんは学生時代は構造より意匠の方に惹かれていたそうです。坪井さんがそうだったように、佐々木さんも意匠にも感心が高くていろいろ意見を言うそうです。

コラボレーション、相手の領域にも関心があって自論を持ち合わせていることがその前提かもしれません。


 


コラボレーション 1

2007-08-12 | A あれこれ

 縁側でアルバムを開いては 私の幼い日の思い出を 何度も同じ話繰り返す 独り言みたいに小さな声で

さだまさしは「秋桜」でこう詠いました。同じ話を繰り返しするのはどうやら歳をとった証のようです。このことを自覚しつつ私も同じような話を繰り返します。

 丹下健三さんは日本の近代建築のデザイン力を初めて世界に示した建築家でしたし、都市を意識した建築デザインをする国内では数少ない、いや唯一人の建築家でした。都市という文脈に沿ってデザインした建築、代々木体育館や
、広島平和記念公園をその実例として挙げることができます。

どちらも優れたデザインだと思います。代々木の体育館は1964年に開催された東京オリンピック用の施設として造られていますから、40年以上も前の作品ですがいまだにこの体育館を最も優れた日本の建築に挙げる人も多い、と雑誌などで紹介されることがあります。

「広島」は知りませんが「代々木」の構造を担当したのは坪井善勝さんでした。丹下さんと坪井さんはなかなかいコンビだったようです。時には立場が逆転して丹下さんが構造のアイデアを提示し、坪井さんがデザインに口を出すということもあったそうです。

優れた仕事が成立するための必要条件のようにも思えます。(以後 次稿)


 


遠い記憶の夏休みに咲く花

2007-08-12 | A あれこれ

夏のフォトアルバム 4 (070812)

 夏休み 遠い記憶の中の夏休みにはこの花が咲いています。

夏の花といえばこのアサガオとヒマワリだと思うのですが、どちらも健康的なイメージがありますね。

ギラギラと輝く太陽のように咲くヒマワリ、元気一杯。夏の朝、静かに咲いているアサガオ、早寝早起き 健康的な生活。

子供のころは時の流れが随分ゆっくりだったような気がします。夏休みも長かった・・・。大人になってからの時の流れの速いこと。この感覚は証明できると何かで読んだ記憶があります。『ゾウの時間 ネズミの時間 サイズの生物学』本川達雄/中公新書に出てくるのかな・・・。

今年の夏休みは今日一日だけ、バンザイ!さて貴重な休日、どう過ごしましょう。

「色」に込めた想いとは

2007-08-12 | A あれこれ

『続・住宅巡礼』中村好文/新潮社 

 昨日、夕方偶々観たTV番組(タイトルは「20世紀の名住宅物語」だったかな)で、メキシコ・シティにあるルイス・バラガンという建築家の自邸を取りあげていました。

世界遺産にも登録されている「バラガン自邸」、この写真にも写っている濃いピンク色の壁が有名です。今から60年も前に設計、建築された住宅ですが、今日よく見かける「ペナペナで存在感が希薄な単なる四角い箱」とは大違い、光の扱いや内外の空間の関係などが見事!な作品でした。

自分で撮った写真をアップできればいいのですが、田舎暮らしの貧乏人にはメキシコまで見学に出かけるなどという余裕はありません。本に載っている写真の転載はルール違反かも知れませんが、そっと載せておきます。

ところで、この有名な「ピンク」は番組によるとブーゲンビリアの色だそうです。なるほど、確かに同じ色ですね。

バラガンは1902年、メキシコ西部のある町の大地主の家に生まれますが、1936年の農地改革によって広大な土地を国に没収されたそうです。彼には同じような境遇に生まれ裕福に暮らしていた幼なじみがいたそうで、書斎だったかな、本人の写真の横に彼女の写真も飾ってあるところが紹介されました。

生涯独身だった彼が想いを寄せ、頼りにもしていた女性だったんですね。で、彼はふたりの故郷に咲き乱れていたブーゲンビリアと同色に壁を塗った・・・、彼女への想いを壁の「ピンク」に込めた・・・、番組ではそう説明していました。

豊かな色彩がメキシコの民家の特徴のようで、壁のピンクはめずらしくないようですが、このような解釈はロマンチックでいいですね。

このように、ある人に宛てたメッセージを作品にそっと盛り込むなんてことを芸術家は案外しているのかもしれません。

そういえば先日も書きましたが青木繁は「海の幸」に恋人の顔を描きこんだそうですし、建築家の宮脇檀も、卒業設計のパースに彼女の後姿を描きこんだそうです。このような例はいくらでもありそうです。

ロマンチストであることは、芸術家の条件なんでしょうか・・・。

夏休みに読もう その2

2007-08-11 | A 読書日記



■ 池田晶子さんの文章を読んでみたいと以前から思っていたが、なかなかその機会をもてなかった。しばらく前書店で平積みされていた本のなかから表紙の美しいこの『暮らしの哲学』毎日新聞社を買い求めた。が、未読。

池田さんは哲学を平易な文章で解く方。中高生を対象にした哲学の入門書『14歳からの哲学―考えるための教科書』が話題になったと記憶している。残念ながら、この本も未読。

このところ多忙、春樹巡りもまだ終らない・・・。


夏休みに読もう その1

2007-08-11 | A 読書日記



「ドーダ」という言葉が登場するのは東海林さだお氏の『もっとコロッケな日本語を』文春文庫。ブログでもこの本は以前とり上げたが、「いそがし自慢ドーダ」や「教養ドーダ」、「経済力ドーダ」などドーダな人が何人も登場する。ドーダは「ドーダ、おれってすごいだろう」の「ドーダ」なのだ。

東海林氏はこの本のなかで西荻学派のドーダ学なるものを提唱しているのだ、ドーダ! って私が自慢することもないが。

で、この「ドーダ学」にハマッているのが、鹿島茂氏。『ドーダ学の近代史』などという大作を書き上げてしまった。

鹿島氏はドーダを自己愛に源を発するすべての表現行為である定義しているが、文学史や美術史、音楽史も実はこのドーダの歴史なのだという。

日本の歴史、世界の歴史もドーダ理論を適用すれば見事に解けてしまうと鹿島氏は指摘する。

この『ドーダの近代史』は手始めに日本の近代史を対象範囲としてドーダ理論による分析を試みている。ショージ君の本とは違って大真面目な近代通史、ということだが買い求めただけでまだ読み始めていない・・・。


再び「夏にさようなら」

2007-08-10 | A あれこれ

 夜9時からNHKで「BS日本のうた」を観た。

伊東ゆかりが出演していて「恋のしずく」と「夏にさようなら」の2曲を歌った。「恋のしずく」がヒットしたのが昭和42年頃、もう40年!も前の曲、「夏にさようなら」は今年の曲。

やはりこの「夏にさようなら」はいい曲だと思う。

海辺のホテル 書き留めたメモ
電話したら きっとおどろくわ
なんて言うかな

(中略)

女同士の息抜き旅行なの
ちょっと抜け出して カクテルね
電話の約束

どろどろした演歌の世界とは違ってオシャレ。伊東ゆかりにぴったりの曲。

伊東ゆかりが立つステージの床には照明の演出であの「まつもと市民芸術館」のあわあわな壁のようなパターンが浮かび出ていた。 

カラオケ好きな伊東豊雄さん、カラオケに行ってあわあわな照明を浴びながら八代亜紀を歌っていてあの壁を思いついたってことでは・・・テレビを観ていてふとそんなことを思った。


 


せつなさが描く波紋

2007-08-09 | A あれこれ



 昨晩アルコールな気分で書いたブログ。

「夏にさようなら」って短編小説になりそうなくらいストーリー性のある歌詞だと思いましたが、高橋真梨子の「とまどい小夜曲(セレナーデ)」のような展開、つまり 本気になってもいいのね・・・となるとそれは通俗的な小説にしかならないな、と今朝思いました。

やはり理性的に判断して終止符を打たなくては・・・。

北杜夫の『木精(こだま)』は、まさにそのような展開です。主人公は人妻との不倫の恋を清算するためにドイツに渡ります。そこで作家として生きていくことを決意して『幽霊』を書き出すのでした。こういう展開にすることでこの小説が「文学」になっているのです。

寂寥感、孤独感は文学の主要なモチーフですから。

伊東ゆかりが歌うように、寂しさに耐えて冷静に幕を引くのが文学的には正解ですね、きっと。

*****

秋立つや
一巻の書の
読み残し

この句は漱石が芥川龍之介に書き送った手紙に記されていたそうです。昨日の朝、ラジオで聞きました。この手紙を書いてから数ヵ月後に漱石は亡くなったそうですから、これは最後の句なんでしょう。読み残して心残りだったのは一体どんな書物だったのか・・・気になりますが、きっと難しい本だったでしょうね。

  
秋立つや
一巻の春樹
読み残し

私の場合、村上春樹の長編『ねじまき鳥クロニクル』第3部の途中で秋になりました。


 


「夏にさようなら」

2007-08-08 | A あれこれ

 久しぶりにアルコールなブ・ロ・グ

今日は立秋、ということで「夏にさようなら」。
これは伊東ゆかりの新曲のタイトル。

**南の島の賑わうメイン・ストリートで
  突然あなたを見つけたの いたずらな運命
**

女同士の息抜き旅行でやってきた南の島で、偶然昔の彼を見掛けた私。でも声がかけられなくってそっと後をつけてホテルを知って、そしてあとから電話・・・

**もう会わないと 決めた理由(わけ)もいつか
  時の彼方に 消えて今 不思議なせつなさ
 
 
黄昏時のデートでマルガリータ飲みながら昔話。

**あなたの目が 何か言ってるけど
  センチメンタルもここまでよ 夏にさようなら
  ごめんなさい あなた
  想い出と 夏にさようなら
**

ストーリー性のある歌詞は小説になりそうです。伊東ゆかりの甘く切ない歌声が、夜中にラジオから流れてきます。この曲はNHKのラジオ深夜便のテーマ曲なのです。

ごめんなさい あなた 想い出と 夏にさようなら って、せっかく南の島で偶然再会したのに随分理性的ですね。

小説で読むなら中年おじさんは、**ワインのせいにしようかな 本気になっても知らない** 高橋真梨子「とまどい小夜曲(セレナーデ)」という展開を希望します。