■『江戸の大普請 徳川都市計画の詩学』タイモン・スクリーチ/講談社 読了。
江戸は京のコピーとして計画されたと著者は指摘する。長い歴史と文化を誇る京。ナンバー2に甘んじていた江戸は富士山、そう不二の山を都市計画に取り込むことによって新たな京としてのステータスを得たのだという。これはなるほど!な指摘。
京の三十三間堂を模したお堂が江戸にも造られたそうで、広重が描いた「深川三十三間堂」が載っている。この浮世絵は『謎解き広重「江戸百」』集英社ヴィジュアル新書にも、もちろん載っているが、そんな事情があったとは・・・。
『謎解き広重「江戸百」』に掲載されている「深川三十三間堂」
著者は日本美術史、江戸文化論を専門とするロンドン大学教授。広重の「名所江戸百景」などの浮世絵や江戸文学を注意深く読み解いて独自の江戸論を展開している。
富士山を江戸の都市計画に取り込んだという指摘・・・。建築家の槇文彦さんがかつて指摘していたことを思い出した。『見えがくれする都市』鹿島出版会(SD選書)は1980年に刊行されている。槇さんが事務所のスタッフと共に都市の構造を論じた名著だ。
**周囲の山は場所の位置関係を知るうえで重要なランドマークであり、なかでも富士や筑波は江戸名所図絵に見られるように、町の遠景に数多く描かれている。(中略)日本には古くから周囲の山を生けどって借景とする造園手法があった。(中略)こうした庭づくりの感覚が江戸市街地の町割にも生かされたのではないかと思う。**(若月幸敏)
「江戸の大普請」とは論考の「厚み」が違う。やはり遠い異国の歴史・文化を研究することには様々な点でハンディがあるのだろう。
『見えがくれする都市』 再読したい一冊。
■ 昨日行なわれた大学入試センター試験の国語の問題文「住居空間の心身論/狩野敏次」にこの本からの引用があった。