透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

山里 道祖神めぐり(最終稿) 

2008-09-17 | B 石神・石仏


東筑摩郡朝日村本郷の「抱肩握手像」


塩尻市洗馬下小曽部花見の「祝言跪座像」

 一昨日、昨日とちょっとした道祖神めぐりをしてアップしました。普段道端に道祖神を見かけても特に気にもとめずに通り過ぎていたのですが、観察してみると、石工のセンスの反映でしょうか、どれも個性的で表情が皆違うんです。

前稿で一応今回分は終わりにしようと思ったのですが、ボツにするつもりだった写真をアップしておきます。

上の道祖神は高さ70cmほどの小さな石に彫られた道祖神です。石の形や枠の形、デフォルメされた手などが素朴な印象を与えています。

下の道祖神は磨耗が進んでいて顔の表情も消えてしまっています。でもそれがほのぼのとした民話の世界を想起させるような雰囲気です。

前稿では桃の形をした枠についてチンセツをYちゃんに語ってしまったのですが、手元の本によるとこれが桃の実なのか、宝珠なのかは断定できないのだそうです。桃だとすると、記紀神話に繋がるとは既に書いた通りです。その部分を引用しておきます。

**死んで黄泉国にいる妻・イザナミの姿を禁を破って垣間見たイザナギは、激怒した黄泉国の者どもに追われる。地上と地下の境、黄泉比良坂にまで逃げてきたイザナギがそこにあった桃の実を投げつける。とようやく彼らは逃げ散った。桃には魔除けの効果があると考えられてきたのだから、道祖神の一部に取り入れられるのも当然だろう。**(「道祖神散歩」新潮社とんぼの本 より引用)

今回は以上で終わりです。いつか穂高や梓川などの道祖神も取り上げたいと思います。「山里道祖神めぐり」また次回。




参考にした本を挙げておきます。

「道祖神散歩」道祖神を歩く会 野中昭夫/新潮社とんぼの本
「道祖神」降旗勝次編/鹿島出版会
「双体 どうそじん」長野県山形村役場




山裾の村の道祖神

2008-09-14 | B 石神・石仏

 松本平には道祖神が多いのですが、それらは江戸中期以降に造立されていて、大半は高遠藩の石工の手によるものだそうです。財政的に厳しかった高遠藩では石工に旅稼ぎを奨励していて、彼らは近隣の松本平に足を運び各地で道祖神を彫ったそうです(参考文献:「道祖神」降旗勝次編/鹿島出版会 昭和50年発行)。

同書で石仏研究家の曽根原駿吉郎氏は道祖神の分布は松本平を起点として甲州、上州さらに駿州などにも伸びていて、これらのエリアが高遠の石工の行動範囲と重なると指摘しています。

松本平の南西の山裾に位置する山形村には40体もの道祖神が祀られているそうです。この村はかつて高遠藩の飛び地で高遠の石工が力作を残したのだそうです。


小坂の「酒樽」嘉永2(1849)年

資料によるとこのような道祖神は跪座祝言型というそうです。丸窓の中に彫られた男女の神様、像の下に酒樽が彫られています。この写真では分かりにくいですが男神は盃を左手に持ち、女神は右手に提子(ひさげ)を下げています。他の手はお互いの袂の中に伸ばしています。

資料には**祝言には酒は付き物。うんと飲みたい。飲ませたいという施主たちの願望であろうか。**と記されています。


大きな三角形の石に彫られた道祖神「大池の頭領」嘉永5(1852)年

王朝貴族風の男女の神様。養蚕が盛んで経済的にも豊かだった村人たちが祀った存在感のある道祖神、貫禄のある神様です。


「筒囲筒下大池」寛政7(1795)年

抱肩握手型と呼ばれる道祖神の代表のような道祖神。お互い内側の手を相手の肩にかけ(男神の手がよく分かりませんが遠慮がちに女神の肩にかけています)、外側の手で握手をしています。頬を近づけた姿がほほえましいです。

この道祖神は人気があって拓本をとる人が少なくないのでしょう。許可なく拓本をとらないで下さいという看板が脇に立っていました。

像が立体的に見える時間帯を狙ったつもりですが、枝垂桜の影が道祖神に落ちていて上手く写真が撮れませんでした。残念。


本稿では先に挙げた参考文献の他に山形村で平成3年に発行した『双体 どうそじん』と『道祖神散歩』道祖神を歩く会 野中昭夫/新潮社とんぼの本 を参考にしました。

 


「フェルメールの世界」

2008-09-14 | A 読書日記


 いつも行く松本市内の書店でフェルメール関連の書籍が平積みされていた。現在上野の東京都美術館で開催中の展覧会を意識してのことだろう。美術関連の本は高価なものが多くてなかなか手が出ない。この本をパラパラと見てみると中身が濃い、そして安価。で、購入。

来月早々フェルメール展を観に東京する予定なので少しこの画家について勉強しておこう。

**フェルメールは、常に自己を模索しながら、主題の選択や人物配置、空間構成、光や質感の描写に独創的な才能を発揮し、静寂に支配された光と陰が織りなす傑作の数々を物していった。謎の天才画家といった神話に惑わされることなく、17世紀に生きた画家の素顔を浮かび上がらせ、歴史のいたずらに翻弄されつづけたフェルメール作品の魅力をわかりやすく、生き生きと語る気鋭の野心作。**    カバー折り返しの紹介文より

『フェルメールの世界 17世紀オランダ風俗画家の軌跡』小林頼子/NHKブックス 

カフェ・シュトラッセで「M8」を読み終えた。

2008-09-14 | A あれこれ


 カフェ・シュトラッセで『M8』高嶋哲夫/集英社文庫 読了。帰る頃にはすっかり暗くなっていた。ここの夜景は初めてだが田舎の小さな分教場のような雰囲気がなかなかいい。

さて『M8』。東京が直下型大地震によって死者2万人近く、負傷者15万5千人、全壊家屋4万3千棟、消失家屋36万棟という大災害を被る。

この手の小説には災害の全貌を描写すると共に被災した市民一人ひとりを描写することが求められる。ズームアウトとズームイン、司馬遼太郎の鳥の眼で見るような俯瞰的な捉え方と藤沢周平の虫の眼で見るような捉え方の使い分けが必要なのだ。

両者のバランスが適当か、また2つの眼それぞれから未曾有の大災害が過不足なく描かれているか、という面では少し減点されるかもしれないが、一気読みさせるだけの力を備えた小説だった。

主な登場人物は4人だが、全員が阪神・淡路大震災で被災し、家族を亡くしている。内3人は高校の同級生で現在は地震予知を研究しているポストドクター、議員秘書、自衛官になっている。あとひとりは当時大学教授だった地震学者。この4人の職業からおぼろげながらこの小説のイメージが浮かんでくるのではないか。

ところで小松左京の『日本沈没』は国土を沈没させてしまうことで日本とは何か、日本人とは何かを読者に問うというものだったが、この『M8』で高嶋哲夫は技術者らしくあらゆる自然災害に関する総合的な防災研究の必要性を訴えたかったのかもしれない。

**この東京直下型地震で、来るか来ないか分からない地震に予算を使うことに否定的だった議員も目が覚めたでしょう。必死に今までの言動の言い訳をしている。無駄な高速道路やダム建設に数百、数千億円を注ぎ込むより、よほど生きたお金の使い道。(後略)**とやはり阪神・淡路大震災で被災した国会議員に発言させている。

「備えあれば憂いなし」とは言うけれど・・・。

今年は阪神が優勝か

2008-09-12 | A あれこれ
 阪神、ヤクルト戦3連勝とかけて映画評論家の淀川長治ととく。で、その心は? 「さよなら、さよなら、さよなら」。そう、阪神はヤクルトに3試合連続サヨナラ勝ちしたのだ、淀川長治の名台詞のように。

このブログでプロ野球のことを書くのは初めてかも知れない、テーマ限定ブログだから。 今夜(12日)のセリーグの試合結果は阪神が広島に完封負け、中日も横浜に完敗。巨人はヤクルトとのシーソーゲームに勝った!

阪神と巨人のゲーム差はこれで5に縮まったが、残り試合数が20ちょっとだから阪神の優勝で決まりだろう。この差を巨人がひっくり返したら「奇跡」だ。

ところで『センセイの鞄』のセンセイは巨人ファンでツキコさんはアンチ巨人。小説にはこんな場面がでてくる。

**巨人の選手がまたヒットを打った。「おおっ」とセンセイが叫んだのと、「くそっ」とわたしが思わずつぶやいたのが、同時だった。だめ押しの四点差目が入り、店の中は沸いた。なぜ巨人ファンというものは市井にあふれかえっているのだろう。いまいましい。 (中略)「ツキコさんは、巨人がお嫌いですか」(中略)「だいきらいですね」わたしは低い声で言った。**

その後ふたりは口をきかなくなってしまったのだ。もしかしたら作者の川上弘美もアンチ巨人なのかもしれない。

さて、阪神。好きな作家で阪神ファンといえば北杜夫。エッセイにもよく阪神のことを書いていた。それから小川洋子。阪神ファンだった父親の影響らしい。甲子園球場にも阪神を応援に出かけているとのことだ。『博士の愛した数式』には江夏が登場する。

昨晩の試合に阪神ファンの北杜夫や小川洋子は狂喜乱舞したかもしれない。もしかしたら川上弘美も。「くそっ」。


    信濃毎日新聞 12日の朝刊スポーツ面より

私は「巨人 大鵬 たまご焼き」世代で田舎育ち。一応巨人ファンだが試合をテレビ観戦する程プロ野球に関心はない。試合結果を翌朝新聞で確認する程度だ。

しかし、なんとかトラ退治を・・・、なんて書いたら阪神ファンがこのブログから離れてしまうかもしれないから、今年は阪神が優勝だ!と書いておこう。




リデュースな生活を

2008-09-10 | A あれこれ


■ 復習。リサイクルとは製品化されたものを再資源化して新たな製品をつくること。リユースとは製品をそのまま再使用すること。そしてリデュースとは製品の消費を減らすこと。大雑把な理解としてはこんなことでいいと思う。

書店で文庫や新書を買うとカバーをかけるか訊かれる。いままでは当然のようにお願いしていたが、これからはカバーは不要だと答えることにする。先日『M8』を購入したときにカバーを断ると書店員さんが袋に入れようとするので、それも断った。

このモスグリーンのブックカバーは数年前にいただいたもの。これからは文庫にはこのカバーをかける。紙のごみを減らすのにどの位有効か分からないがリデュースな生活を心掛けよう。とにかく不要なものを持ち込まないことだ。

ものに囲まれた生活が豊かな生活だ、などという考えは改めなければならない。


直下型大地震が東京で発生したら・・・

2008-09-08 | A あれこれ

 高嶋哲夫氏の「もしも」のストリーはリアルで興味深い。『都庁爆破』宝島社文庫では東京がテロに襲われるという「もしも」のシミュレーションをリアルに描いてみせた。

『M8』集英社文庫はマグニチュード8の直下型大地震が東京で発生したら・・・というシミュレーション。いま関心の高い話題だ。

高嶋哲夫氏の経歴を見ると日本原子力研究所の元研究員で79年には日本原子力学界技術賞を受賞している。アメリカの大学に留学した後文筆活動を開始した、とある。

最新の知見を盛り込んだ大地震のシミュレーションを読み始めた。500頁を越える長編だが、この手の小説は好きだから一気に読めそうだ。






「センセイの鞄」を読んだ

2008-09-07 | A 読書日記



 川上弘美の『センセイの鞄』。手元の単行本の発行は2002年の2月、初版第11刷だ。初版第1刷が前年の6月だから、約8ヵ月後に読んだことになる。

川上作品は単行本が出るたびに早速購入して読んでいたはずだが、なぜ半年以上も後になったのか分からない。それにしてもその間で11刷りとは随分売れたんだ。その後文庫本で読んだのが2004年の9月のことだった。そして今回文庫本で再び読んだ。


前回までは川上弘美の本流から少し外れたところにある作品という印象だったが、今回の読後感は少し違っていた。これはストライクゾーンど真ん中の作品という印象だった。

高校の国語の教師だった松本春綱先生と生徒だった大町月子さんの淡い恋物語だが、ふたりの名前の表記がこれではこの作品の雰囲気から外れてしまう。

**正式には松本春綱先生であるが、センセイと私は呼ぶ。「先生」でもなく「せんせい」でもなく、カタカナで「センセイ」だ。**とこの物語は始まる。やはりセンセイとツキコさんのあわあわな恋物語と紹介しておかなければならないだろう。

川上弘美の小説の独特の雰囲気はこのように名前の表現にもこだわるところからもたちあがってくるように思う。**大町はさ、まだ結婚してないの**と花見のときに突然声をかけてきた中年はツキコさんの高校時代の同級生だった。

そう、ここはやはり苗字で「大町」が自分の経験に照らしてもリアリティがある。この中年「小島くん」ともツキコさんは飲みに出かけたりもする。高校時代の同級生の「女子」は「男子」を苗字にくんをつけて呼ぶ。「君」と「くん」とはやはりニュアンスが違うような気がするが説明できない。川上弘美ならきっとなるほど!な説明が出来るだろうが。

少し経ってから小島くんはツキコさんを「月子ちゃん」と呼んだりするが、このことについて**月子ちゃん、と小島孝が呼んだことに、わたしは気がつかないふうをよそおった。**と書いている。やはり川上弘美は名前の表現を意識しているのだ。

センセイとツキコさんの歳の差は30くらいだが、この位の差があってこんなにピュアな恋愛が出来たらいいだろうな、と中年オジサンは思いながらこの小説を読んだに違いない(と他人事のように書いておく)。

まだ若いから(前稿で老化の始まりを嘆いたのに・・・)あまりセンセイに感情移入は出来なかった。まあ、少しだけセンセイになりたいと思いながら読んだが。

この作家はお酒が好きなんだろう、自身が好きでないとお酒を飲む場面なんて上手く描けないと思う。

晩秋の夜にそれこそこたつでお酒を飲みながらこの作品をもう一度読みたいと思う。


 


初秋の休日に

2008-09-07 | A あれこれ

♪ 風立ちぬ 今は秋 今日から私は心の旅人 
  忘れたい 忘れない あなたの笑顔 
  想い出に眼を伏せて 夏から秋への 不思議な旅です

先日、ラジオから松田聖子の「風立ちぬ」が流れた。「今日から私は心の旅人」いいフレーズだ。

ネットで検索してみるとこの曲を松田聖子は「いい曲だが、自分には歌えない曲だ」と言ったという(ウィキペディアによる)。曲想が彼女のイメージとは違っていたからなのかも知れない。

季節感の薄い都会ではテレビやラジオから流れる曲によってまず季節のうつろいを知る。夏には夏の、秋には秋の曲が流れてくる、それも少しだけ季節を先取りして。東京は国立で生活していた頃は駅前の桜並木の紅葉が始まる前に「秋の曲」が流れてきたものだ。

昔の話題が多くなるのは心の老化の証拠だと聞いた。そうか・・・。心だけではない、体も老化が始まっている。老化は不可避、避けることが出来ない・・・。

寂寥感漂う秋、 今日は白露。


善光寺山門拝観

2008-09-06 | A あれこれ


大勢の参拝者で賑わう善光寺参道から山門を望む


本堂から見た山門


耐震化工事された山門の柱脚部分 本堂の手前で線香の煙をかぶる

 善光寺の山門(三門)は平成14年から修理が行われていたのですが、昨年(平成19年)の12月に完了しました。この平成大修理で屋根を桧皮葺から本来の栩葺に戻し、耐震化工事も行われました。現在山門内部が公開されていますが、公開は実に43年振りだそうです。

*拝観券の表記が山門となっていましたのでそれに因りました。

お盆に善光寺に出かけた際は参拝客で混雑していて、山門の周りに長蛇の列が出来ていたので拝観を諦めました。

今日、長野での所用を済ませてから再び善光寺を訪れました。今日も参拝客が多かったのですが、待ち時間15分程で拝観することができました。

受付で渡された水色の襷をかけて20段程の急な階段をひとりずつ登り、更に8段階段を登って楼上へ。そこには弘法大師空海の坐像や観音像、四国八十八箇所霊場の本尊の分身仏、中央の仏間には文殊菩薩騎獅像(とメモしました)と四天王像が安置されていました。撮影禁止ですからその様子の写真はありません。

昔は四国の霊場巡礼を終えた人がその足でここ善光寺をお参りしたそうです。案内の方の説明の詳細は聞き漏らしましたが、その関係で空海の像や四国の霊場の本尊分身が安置してあるのだそうです。

楼上からは長野市街が一望できました。昔の参拝者が見た町並みはきれいだっただろうな、と思いながらしばらく眺めていました。

山門(三門)の公開は11月末までだそうです。


 


芸術の秋だ、東京しよう。

2008-09-06 | A あれこれ

■ 福田首相が突然辞意を表明した。一国の最高責任者がこんなに無責任でいいんだろうか。国民のことなど関係ない、ひたすら所属政党のため、自分のためにとった行動ではないのか。

このブログは政治的なことについては書かないことにしているので、これ以上は続けない。

■  朝のラジオ番組「日本全国8時です」、今週の木曜日(9月4日)に月尾嘉男さんがフェルメールを話題にしていた。確か、「芸術新潮」でもフェルメールを特集していたと思う。

今、上野の東京都美術館でフェルメール展が開催されている。会期は約4ヶ月と長い。フェルメールは寡作な画家で作品が少ない。わずか36、7点しかないそうだ。

この画家の作品には贋作が多いこと、自画像がないこと(後ろ向きの画家を描いた作品があるが、画家自身なのかはっきりしないそうだ)、経歴に不明な点が多いこと、などが人気の秘密だと月尾さんは番組で語っていた。 何回か盗難事件も起きているとのことだ。

フェルメールは人気のある画家だから、毎週末展覧会場は混んでいることだろう。

来月早々、平日に展覧会に出かけることにした。他にも東京都庭園美術館の公開、村野藤吾展(松下電工汐留ミュージアム)なども観たいと思う。

芸術の秋だ、東京しよう。

「芸術新潮」は書店で見かけただけなのでフェルメールの特集については曖昧だった。ネットで間違いないことを確かめた。


新潮社のHPより転載 
フェルメール・ブルー


センセイ、帰り道がわかりません。

2008-09-04 | A 読書日記



 今夜、とんねるずの番組に小泉今日子がゲスト出演していた。キョンキョンはドラマ化された「センセイの鞄」で主人公のツキコさんを演じた。小説のイメージによく合っていたっけ。センセイの柄本明はイメージとは違っていたな。彼女のファンは皆、自分こそセンセイにピッタリと思って見たのかもしれない。

センセイとツキコさんは駅前の一杯飲み屋で隣りあせて以来、よくふたりで飲むようになったのだった。そうか、この小説は秋に読むのがいいかもしれない、日本酒をちびちびやりながら・・・。今週末はこの小説を読もう。


 


岩國錦帯橋 改稿

2008-09-04 | B 繰り返しの美学


岩國錦帯橋 (広重 諸國名所百選)

 日曜日(8月31日)、松本市島立の日本浮世絵博物館に行ってきたのですが、その際この絵はがきを買い求めました。繰り返しの美学な浮世絵に反応したというわけです。

以下改稿。

この錦帯橋を当時の日本人は美しいと認識していたのかどうか・・・。ふとそんなことを思いました。繰り返しの美は知性に訴えかけるものだと思うのですが、日本人の知覚する美、明治以前のそれは主として感性によって知覚したものだったと思うからです(などと根拠の示しようもないことを書いてしまいます)。

ヨーロッパの建築に昔から繰り返しが頻出するのはやはりそれが美しいとずっと昔から認識していたからでしょう。シンメトリックで人工的な庭園も然りです。彼らは知性によってそう認識していたのではないか・・・。

そう、知性によって美を知覚するヨーロッパ人、感性によって美を知覚する日本人という捉え方。それが結局、秩序のヨーロッパ、混沌の日本(アジア)という今日の都市構造にまで反映しているのではないか・・・。

日本の伝統的な建築や庭園は敢えて対称性を崩したりしています。明治になってヨーロッパからもたらされた建築、それを知性によって鑑賞するということもそのとき同時に学んだのではないか、とふと思ったのです。

繰り返しますが江戸までの日本人は知性によって建築を鑑賞することを知らなかった、あくまでも感性によって鑑賞していたのではないか、というのがにわかに浮かんだ私の仮説です。

繰り返しの美は知性によって知覚され、江戸以前の日本人にはその知性がなかった・・・。でも江戸以前の日本の建築にも繰り返しはいくらでもあるではないか、という指摘も当然あるでしょう。問題はそれを美しいと感じていたのかどうかです。繰り返しは建設の合理性に基づくものであって、そこに美を見いだしていたからではないのではないか。

待てよ・・・。

やはりそうでもなさそう。画家が絵を描く動機はやはり対象を美しいと感じるからでしょう。ならば、広重はこの錦帯橋を美しい!と感じて絵にしたのではないか・・・。それもやはり同じパターンの繰り返しに美を感じたのではないか・・・。

そうか、日本人だってとっくに繰り返しの美に気がついていたんだ・・・。繰り返しの美って知性でも感性でも知覚されるもの?

そもそも知性による知覚、感性による知覚ってどう違うのか。知性ってなんだ、感性ってなんだ。などというとりとめもないことを昨晩は考えていたのですが、それをそのまま文章にしてしまったので、論理的に話を展開することが出来ませんでした。

まあ、いいでしょう。論文を書こうというわけではないのですから、ときにはこんな思索?も。





「雨のち晴れて、山日和」

2008-09-02 | A 読書日記


 先日、今 和次郎の『民家 見聞野帖』柏書房を取り上げました。民家や民具などを細かく観察して数多くのスケッチやメモを残した今さん。観察の基本はやはりスケッチすることだと思います。漫然と対象を見ているだけでは気がつかないことでもスケッチをすることで見えてきます。

『雨のち晴れて、山日和』唐仁原教久/新潮文庫はイラストレーターの著者の山行記。イラスト満載で楽く読むことができました。全国各地で買い求めたお土産もイラストで記録しています。やはりこうして記録しておくと後から見ても楽しいでしょうね。写真に撮って「ハイ、オシマイ」より記憶にも残るでしょう。

そういえばNHKのテレビ番組の企画で日本全国の鉄道を乗りつぶす旅をした俳優の関口さん(名前を正確に覚えていません)もスケッチブック持参で旅の記録を描いていました。なかなか味のあるイラストでした。

私のスケッチブックと水彩絵の具は長いこと机の引出しで眠っています。

この秋こそはスケッチに出かけよう!?

路上観察 レアなポスト(改稿)

2008-09-02 | A あれこれ

  
                 贄川郵便局外観

 贄川(にえかわ)は塩尻から木曽路に入って最初の宿場でしたが、もう往時の面影を留めてはいません。その贄川の街中にある郵便局は特にこれといった特徴のない平凡な局舎です(写真上)。ところが局舎の前の丸いポストは全国で2つしかないレアなものなんだとか。先日このことが「市民タイムス」に紹介されていました。

どこがレアなのかといいますとポストの正面に記されているのは「郵便」「POST」それに郵便マーク「〒」です(写真下左)。ところが贄川の丸いポストには「POST」ではなく「LETTER」と記されています(写真下右)。この「LETTER」がレアなんだそうです。

あと1つがどこにあるのか先の新聞記事には紹介されていたと思いますが、忘れました。徳島県だったかな(正しくは香川県と後日判明)。

と思ったことはメモしておかないとだめですね。


左 ふつう 中津川市内  右 レアもの 塩尻市贄川

先日、国道19号線(木曽路)を車で走っていてこのポストのことを思い出して寄り道してきました。

普通の丸いポストを見かけましたので写真を差し替えました。