■ 昨日(16日)の「ゲゲゲの女房」。
竹下景子と古手川祐子のツーショットのシーンがあった。ふたりともおばあさん役。竹下景子が夫を亡くした寂しさに泣く。それを慰める古手川祐子。お嫁さんにしたい女優NO.1だったあの竹下景子がおばあさん役か、時は流れた・・・。
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■ 同日、NHKラジオの午前中の番組「ラジオビタミン」を車で移動中に聴く。
山形新幹線の車内販売員の茂木さんがゲスト出演していた(アンコール放送)。茂木さんはマスコミに何回も登場していて、有名人。
売り上げは他の販売員の倍にもなるという。それは何故?
茂木さんはワゴンを押していてお客さんにぶつけてしまった経験から、ワゴンを後方に引きながら売るスタイルを思いつく。「私にぶつかっても痛くないべ」 茂木さんは山形弁でお客さんと会話しているそうだ。番組でも山形弁で話していた。
ワゴンの重さは100kgを越えるそうだから引いて移動するのは大変、後ろには目がないし。茂木さんは車窓に後ろの様子が写ることに気がつき、それを確認しながら移動するのだそうだ。
お客さんとの出合い、会話が楽しみだという茂木さん、会話に時間をとられて、移動に時間がかかるのでは?
茂木さんはふたつのポケットの中の硬貨を触るだけで判別する。大きいから500円玉、穴があいているから50円玉というように。お客さんの様子から、つり銭が必要かどうかをすばやく判断し、ポケットの中でつり銭を用意してしまう。これで時間の短縮ができて、他の販売員の倍も車内を往復するそうだ。そして駅では乗車してくるお客さんの人数や客層をみて、何が売れるのか判断してしまう・・・。
JR東日本管内の販売員は1300人くらい(そんなにいるんだ)。その中で茂木さんはたった3人しかいないトップランク(確か5ランクあると番組で聴いた)のチーフインストラクターだという。
茂木さんの話を聴いていて、「ああ、この人はプロだな」と思った。どんな職種にもプロだと思わせる人がいるものだ。
『買わねぐていいんだ。』茂木久美子/インフォレスト刊を注文した。
民家 昔の記録 8004
■ 1980年だから、今からちょうど30年前の3月末から4月にかけて四国に出かけた。その時に撮った1枚。撮影場所がはっきりしないが、高松市内ではないかと思う。
和洋の「融合」とは評し難いデザイン。洋の塔が和の瓦屋根を突き破って出現したかのようだ。木造3階建のこの建物は現存しているのだろうか・・・。
■ 午後のお茶の時間に供された同僚Ⅰさんのお土産を見て私は訊ねた。「四国まで何をしに行って来たの?」
「讃岐うどんを食べに行ってきました」と彼女。土日に友だちと車で四国まで行ってきたとのこと。若い!元気!
そういえば北海道からそばを食べに来たお客さんがいると以前鄙里のそば屋のオーナーから聞いたことがある。寅さん映画が公開されるたびにアメリカから観に来ていたファンがいたと聞いたこともある。
旅行の動機は人それぞれ。私にもこんなことがあった(←過去ログ)。
ところでⅠさんのお土産は石段屋の一口饅頭「灸まん」だった。由来書を読むと昔こんぴらの旅宿だった石段屋はサービスで泊り客に一点灸をすえていて、それがよく効くと評判だったそうだ。それが、もうお灸でもあるまいと「灸まん」を創めたのだという。
そうか、この饅頭の形はお灸か・・・。なかなか美味い饅頭だった。
今度東京したら、何かお土産を買わないと・・・。
このビル、周囲に超高層ビルがないこともあってよく目立つ。最上部は階段状に小さくなっていて、てっぺんに赤白の鉄塔が立っている(赤白は航空法の規定に拠るんだっけ)。デザインで意識したのはクライスラービル? いやエンパイアステートビルだったかな。友人に教えてもらったけれど、さてどっちだったかな・・・。デザインは後者に近いと思うけれど。
時計(直径約15メートル)がついていることからランドマークを意識したことがわかる。 和光同様、先端のデザインに注目していなければ写真に撮ることはなかっただろう。
■ 銀座では和光の時計塔と共にこのビルに注目。スージーさんのブログに載っていたビルだと気がついて、カメラを向けた。夕方4時半過ぎの気温が31℃、やはりまだまだ東京は暑い(因みに朝自宅を出るとき、外気温は17℃だった)。でもなんとなく、秋の気配を感じた。
屋上の看板もこのくらい押さえたというか抑制したデザインだとさほど気にならない。さすが銀座と言うべきか。新宿東口あたり(などと具体的に書いてしまっていいものか)だともっと派手なデザインになるだろう。
縦長の窓の並ぶこの上階は何だろう。レストランかな?
1987
■ 昨日(11日)の日帰り東京、電車内は私にとって最も読書に集中できる空間なのだが・・・。
この頃火の見櫓にぞっこんな私は、窓外に見える火の見櫓が気になってしかたがなくて甲府駅を過ぎるころまでは持参した文庫(『大好きな本 川上弘美書評集』文春文庫)に集中することができなかった。
塩尻駅を過ぎると1基目の火の見が目に入る(昨日は進行方向右側の席に座った)。2基目は岡谷駅の近く、屋根の装飾がハデハデで目立っていた。
茅野駅の先、青柳駅あたりで続けて目にした火の見が3、4基。それぞれ集落の遠景によく馴染んでいて好ましかった。
窓台にメモ帳を置いて火の見が見えるたびに「正」を書いていった。 甲府駅までで「正」が3つになった。15基、目にしたことになる。
長坂駅(山梨県)の近くで屋根がヴォールト型(学校の体育館の屋根によくあるかまぼこ型)の火の見櫓を一瞬目にした。ヴォールト型の屋根があっても不思議じゃないのになぜ無いのだろう・・・、といままで思っていたから、思わず「あっ!」と声をあげてしまった。やはりあった。
レアなヴォールト屋根の火の見櫓は長坂駅の近く、覚えておかなくては。
しばらく前までは、諏訪から茅野にかけて窓外にたてぐるみの民家を、塩山駅あたりではやぐら造りや突き上げ屋根の民家をさがすのが常だったのに・・・。
景色って、何に注目しているかでまるで違って見えるんだなぁ~。
■ 昨日の日帰り東京、新宿の某ホテルのレストランで昼食会。その際この本のことが話題になった。この本が手元にあることをすっかり忘れていた。思い出してよかった。
第1巻のカバー折り返しから引用する。**日本の集落 全3巻は『住宅建築』誌の1976年1月号から1983年10月号まで8年間50回にわたって連載された「日本の集落」の総集編で日本の集落の現状をあますところなく捉えた写真集です。**
日本全国の集落(空撮)と茅葺き民家などの貴重な記録写真。例えば第1巻に納められている山梨県、やぐら造りの民家にはまだ芝棟のものがある!
全国津々浦々の集落や民家をこれほど丁寧に撮った写真集を私は他に知らない。
メモ)
「日本の集落」全3巻/建築資料研究社
■ 東京銀座のシンボル、和光の時計塔。
昨日(11日)、日帰り東京した。新宿で所用を済ませた後、銀座へ。そうか、時計塔のてっぺんって、こうなっていたんだ・・・。先端のデザインを意識していなければ、このような写真を撮ることもなかっただろう。
外壁を曲面で処理するのは交差点に面する建築のファサードデザインとして極めてオーソドックス。屋上の時計塔がそのファサードを強調している。この建築が取り壊されてしまったら、銀座の魅力は半減してしまうだろう・・・。激動の昭和、その歴史をいつまでも留めていて欲しい。
メモ)
設計:渡辺仁
竣工:1932(昭和7)年
■ 茅野市美術館で開催されていた「藤森照信展」が終了した。展覧会の目玉だったこの「空飛ぶ泥舟」は高過庵の隣に移設することになっているとのことだ。会期中に藤森さんが明らかにしていたらしいが、「新建築」の9月号にもこのことが紹介されている。
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ところで、「新建築」には槇さんの最新作「マサチューセッツ工科大学 新メディア研究所」が載っている。この作品に関するインタビュー記事に槇さんが研究所を創設した中心メンバーのひとりにwarm系と cool系のどちらがよいか尋ねたことがでてくる。で、答えがcool系だと。それでデザインの方向性が決まったとのことだ。
warm系と cool系というのは建築デザインのテイストで、藤森さんの赤と白という対概念に近いものだろう。なるほど、分かりやすい捉え方だ。
槇さんのデザインは超cool系、真っ白だと思うのだが、仮にwarm系が求められたらどんなデザインになっていただろう・・・。
メモ)
槇さんはwarm系の作品として「東京キリストの教会」を挙げている。
058
■ アーチ型の脚部、櫓の絞り込みのカーブ、丸いジョイント金物を使ったブレース、櫓内部に設置された梯子、円形の見張り台とシンプルな手すり子、そして反った円錐形の屋根、避雷針と矢羽根・・・。
観察ポイントのどれもごく一般的なデザインです。半鐘をたたく木槌が吊してあります。どこかに個性的なデザインを施しておいて欲しかったなと、こちらは勝手に思うのですが、鍛冶屋さんは敢えてそのようなデザインを避けたのかもしれません。
各部のバランスが良く、立ち姿の美しい火の見櫓です。晴れていれば、後方の緑によく映えたと思います。
056
■ 今までに何回となく小谷村役場に出かけているが、役場のすぐ近くに立っているこの火の見櫓には全く気がつかなかった・・・。目から視覚情報が脳に伝わっても、脳は関心の無いことは認識しようとはしない。従って記憶にも残らないということなのであろう。
見張り台まで5段、櫓はほとんど絞り込まれることなく、つまり寸胴な姿で立っている。見張り台の上で屋根の大きさに合わせるように急に絞りこまれているが、柱の曲げ角度は一定ではないようだ。
この火の見櫓に気がついて、少し先(糸魚川寄り)の下里瀬という集落にも火の見櫓があるにちがいないと思った。行ってみるとやはりあった!
2基の火の見櫓はふたごのようによく似ている。
057 小谷村下里瀬
糸魚川市まで行くと、どんなデザインの火の見櫓が立っているだろう・・・。
■ とんがり屋根のデザインには陳腐というか、垢ぬけないというか、洗練されていないというか、とにかくそんな印象のものが少なくない。
塔身ととんがり屋根のバランス、プロポーションの違いで随分印象が変わるということは火の見櫓の観察でも感じている。
先日見たこの塔はどうだろう。塔のてっぺんがフラット、斬新なデザインだ。塔にも何か機能を負わせないと実現しにくいのだろうか、時計を付けているケースが多い。この塔にも時計が付いているが、無い方が美しかったと私は思う。
別のアングルから見るとこんな形をしている。勾配屋根との取り合い、雨仕舞によるのだろうか。安易にとんがり屋根にしなかったことに拍手を送りたい。
055 東筑摩郡朝日村古見(朝日小学校北側)の火の見櫓
週のはじめからアルコールなブログじゃ。
消防信号板がこんなところに付いていなければこの火の見櫓、脚が長くてハイレグなレースクイーンかな、と思うのだが・・・。いや、それにしては背が低いしスタイルもあまり良くないか。
どうも消防信号板がふんどしに見えてしまって・・・。おいおい、いくらアルコールを摂取したからって、とっつぁん、品がないだろうが!
■ 龍馬伝 寺田屋騒動
龍馬伝をはじめから恋愛ドラマとして観ている。薩長同盟よりも龍馬とお龍の恋の方が興味深い、と書いてしまおう。
「あの娘(こ)は龍馬さんのことが好きで好きでたまらんのや」 分かってますってお登勢さん、そしてあなたもまた龍馬がたまらなく好きなことも。
伏見奉行所の捕吏と深夜の激闘。龍馬が難をのがれることができたのは、お龍が風呂から飛び出して急を告げたおかげ。
「死なんといておくれやす」 お龍さん、惚れた男に対してこれ以上のせりふってないよね。
ああ、いいな。こんなにも人を好きになることができて・・・。うれしいのか、せつないのか。このせりふに涙が出た。お龍の入浴シーンに期待していた気持ちはどこへやら。
お龍は惚れた男をそれこそ命がけで助けようとする。龍馬が襲われたことを薩摩藩邸に知らせるために激走するお龍。薩摩藩邸も伏見にあってよかった・・・。でもどのくらい走ったんだろう。あの「短距離走り」はすごかった。
愛するって懸命に生きることなんだと、ふたりから教わった。
かろうじて命を繋いだ龍馬を献身的に看護するお龍、そしてふたりは夫婦(めおと)に・・・、は来週。
tamiさん、ほろ酔いブログにはなりませんでした・・・。
054
■ 松本から長野自動車道で麻績(おみ)ICまでは30分くらい。今回は麻績ICで下りてすぐ、麻績村の火の見櫓。
高さの割には櫓が太くてがっしりしているというのが第一印象。人に見立てるとしたら(残念ながら)男性。
櫓は上方に向かって次第に細くなり、見張り台の下あたりから太さが変わらなくなるものが多いように思うが、この櫓は屋根に至るまでずっと細くなり続けている。あと3段くらい伸びていたら、なかなかのプロポーション、女性的な印象になったかもしれない。いや、脚をひろげ過ぎかな・・・。
この屋根のように反(そ)っている場合は、和風の雰囲気になるが、寺社の屋根の勾配はこれ程きつくはないだろう。
屋根のてっぺんにはがっしりした避雷針と蔓状の飾り(名前があるはずだが分からない・・・)がついている。
梯子が見張り台の上まで伸びているから、上り下りしやすいはず。見張り台の手すりは直線材のみで構成されていて飾りが無い。床には鋼板が張られている。踊り場もある。
麻績村や隣の筑北村には何基か火の見櫓がありそうだ。