067 秋のフォトアルバム 火の見櫓のある風景 朝日村針尾にて
緑豊かな山里の生活道路沿いに立つ火の見櫓。火の見櫓は緑によく映える。火の見櫓の脇に消火栓と消火ホースの収納箱が立っている。
067 秋のフォトアルバム 火の見櫓のある風景 朝日村針尾にて
緑豊かな山里の生活道路沿いに立つ火の見櫓。火の見櫓は緑によく映える。火の見櫓の脇に消火栓と消火ホースの収納箱が立っている。
066 東筑摩郡朝日村針尾
■ ホースが何本も掛けられているので、櫓の印象が違って見えるが仕方がない。
避雷針の付け根のところの飾りが、遠目には風見鶏と同様、方位を表すアルファベット4文字に見えたが、近づいてみてそうではないことが分かった。
見張り台の手すり子の下端が外側にふくらんでいるが、これは機能的に特に意味があるとも思えないので「単なるデザイン」だと思う。
床面の開口が大きくて見張り台に立つのは怖そうだ。梯子が床面で終わっており、別に縦手すりが櫓の柱に取り付けられているが、これでもまだ上り下りには不自由ではないかと思う。
年末になるとこの火の見櫓には消防団員の手によってイルミネーションが取り付けられる。そのころまた観察に出かけようと思う。
■ 火の見櫓の必須アイテムの半鐘。上の半鐘のように表面がつんつるりんなものが多いように思う。下は除夜の鐘でおなじみの梵鐘のような半鐘。
戦争中は半鐘も供出の対象になったと聞く。それで半鐘の代わりに板を吊るした火の見櫓もあったらしい。大切な半鐘を地面に埋めて隠し、供出しないということも行われたようだ。
下の半鐘がいつ頃つくられたものかは分からないが、なかなか重厚感があって低い音が遠くまで響いていきそうな気がする。
半鐘も有る無しを確認して終わりではなく、その姿をきちんと観察することも時には必要だ。
棲息地:松本市波田 観察日:100920
棲息地:山形村 観察日:100502
■ 懸魚と蔵の妻飾りは鶴の代表的な棲息地です。他には、床の間の掛け軸、和室の欄間、襖・・・。でも床の間も欄間も襖も今の住宅にはあまりありません。
鶴の棲息地が次第に減っています。日本の伝統的な建築文化が次第に消えつつあるのです。
上は懸魚に棲む鶴、下は以前取り上げた妻飾りに棲む鶴です。両者驚くほど姿が似ています。波田と山形は隣り合っていますから、どちらかが、先にあった鶴のデザインを参考にしたのかもしれません。あるいは、鶴といえばこの形、というようにパターン化しているのかもしれません。
鶴は千年、波田の鶴も山形の鶴も長生きして欲しいと思います。
■ 『小川洋子対話集』幻冬舎文庫読了。
小川洋子さんは『博士の愛した数式』を書くにあたって、数学者の藤原正彦さんを取材している。藤原さんは、同小説(新潮文庫)の解説文にその時の小川さんの印象を**清楚な大学院生のような人だった**と書いている。
彼女は取材の時**携えたノートに質問事項がびっちり書いてあり、次々と質問を投げかけてきた。**そうだ。
小川さんの優等生ぶりはこの対話集にも出ている。相手のことを実によく下調べしているのだ。
例えば江夏豊さんとの対話では**(前略)二年目の、奪三振日本記録のエピソードがすごいですね。まずタイ記録を王選手から奪って、さらに新記録も、王選手からとるためにわざと打者を一巡させた。**と発言。小川さんは大の阪神ファン、でもこんなことは調べないとわからないことではないだろうか。
これに江夏さんは**あれは、数え間違えたんです。**と応じ、新記録だと思っていたら、まだタイ記録だとキャッチャーの辻さんに教えられ、下位打者に三振されないように投げ、公言していた通りふたたび王選手から三振を奪って記録を達成したことを明かしている。
**でも確か、0対0の試合でしたよね。打者を一巡させるといっても、打たれるわけにもいかない。**と小川さんはマニアな発言。
また、田辺聖子さんとの対話では**田辺さんのお母様も岡山からお嫁に来られて、大家族のなかで、ご苦労はあったと思います。**とよく調べておかないとできない発言をしている。
では、仮に川上弘美さんとの対話なら一体どんなことが話題になるだろう。ふたりとも芥川賞の選考委員だから、文学についての話題が中心になるだろう。小川さんは川上さんの作品をどう評するだろう・・・。既にどこかに書いているかもしれないな。
063 火の見櫓のある風景 清々しい朝 松本市岡田にて
064 火の見櫓のある風景 実りの秋 松本市波田にて
■ 「花」という対象に対する視点、アプローチの方法はさまざまだ。画家と植物学者とでは全く異なる。画家は自身の美的感性によってひたすら花から「美」を抽出しようとする。一方植物学者は知的好奇心に根ざした分析的な視点で、例えば花の構造を把握しようと仔細観察する。
対象を火の見櫓に変えても同じこと。火の見櫓のある空間の雰囲気、風景を捉えようと観察する人や、ぐっと火の見櫓に近づいてその構成要素、パーツを分析的に観ようとする人もいる。遠景に関心を寄せる人も近景に関心を寄せる人もいる、と言い換えてもいい。
言いたいのはどちらが優れているか、ということではない。対象に対する視点やアプローチの方法は人それぞれでいい、ということだ。
ところで、木を見て森を見ないとか、医者は病気を診て人を観ないというようなことが言われる。この批判めいた指摘は複視的に部分だけでなく全体もみるべき、ということだ。
趣味で火の見櫓を観察しているのだから、このような指摘など気にすることはない。前述したように、人それぞれでいい。でも私は火の見櫓を先に挙げたふたつの視点で観察したい。
時には火の見櫓のある風景の郷愁を、時にはものとしての成り立ち、システムを。
062
■ この火の見櫓、先日取り上げた白馬村の火の見櫓(←過去ログ)と立ち姿が似ていると思った。脚部に付けられていた銘板を見るとやはり同じ鉄工所でつくられたものだった。
プロポーションがなかなか良く、清々しい。屋根と見張り台の大きさのバランスが良いし、飾りのないシンプルな手すりも好ましい。また、屋根の上の避雷針の長さもちょうど良いし、そこに付けられているつる状の飾りもまた、良い。
あえて気になる点を挙げるとすれば、半鐘。ドラ型ではなく寺院にある釣鐘と同型のものが屋根の下に吊るされていれば、私はこの火の見櫓の意匠(立ち姿という評価項目)に五つ星をつける。
060(再)松本市稲倉の火の見櫓 100919
■ 反りのきつい六角形の屋根。頂部の球状の飾りをつくるのは大変だっただろう。避雷針にトンボがとまっている(写真ではよく分からないが)。矢羽根の向きには意味があるのだろうか。
三角形の平面形の櫓は主材(柱材)、水平材(横架材)とも鋼管が使われ、斜材(ブレース)にスリーブジョイントが使われている。スリーブ型のターンバックルを火の見櫓で見たのは初めて(環状のターンバックルが一般的)。建造年は不明だが、これらの使用部材や接合部の様子から比較的新しい火の見櫓と判断される。
061
■ 松本市高宮北 国道19号線沿いに立つ火の見櫓
櫓が4角形、屋根が8角形で見張り台が円、そして踊り場が4角形、2ヶ所。 4脚8〇44型 昭和5年製造
191216 修正
■ ようやく読み終えた。『大好きな本 川上弘美書評集』文春文庫。
読売新聞と朝日新聞に書いた書評と文庫本や全集の解説文、全144編。
建築のごく初期のスケッチでは模糊として定まらない形を何回も何回もフリーハンドの線を重ねて描く。輪郭のはっきりしない空間は決定的な実線ではなく、破線で表現する。
川上弘美は、この建築の初期のスケッチのような世界を独特の文体で綴る。あわあわ、ゆるゆる、ふわふわ・・・。川上弘美の描く曖昧な世界はこのように形容される。
書評も同様。断定しない。
**いろっぽいのだ。洗練されたいろっぽさ、と言ってしまってもいいのかもしれないけれど、なんだかそれは違う。いろっぽさは、いつだって野蛮と紙一重だ。**
**人を好きになるって、いったいどういうことなんだろう。人を恋うこと。愛すること。何回も、それらの芯の部分を「つかまえた」と思うのに、しばらくたつと、まるで手品師が客の手に持たせたリンゴをいつの間にか鳩に変えてしまったときのように、それは変化してしまう。
それならば変化すること自体が愛するということなのかもしれない、とも思うのだが、やはりどうにもわからない。**
堀江敏幸の『おぱらばん』の書評はこうだ。**いっけん現実、に見える都市の景の中に、いっけん非現実、である映画や小説や絵画の断片がはめこまれることによって、現実と非現実の境目は、なめらかに糊付けされる。(中略)結果、現実も非現実もないまぜになった奥の深い空間が、目のまえにたちあらわれるのである。**
このまま川上弘美の小説『真鶴』の優れた書評になる。小説を自分の好きな世界に引き込んで読む。誰でもそうなのかもしれない・・・。