722 撮影日161122
■ 南相木川沿いの道路を上流方向に進んでこの火の見櫓と出合った。
それ程背が高くなく、踊り場は無い。見張り台が櫓の1面にのみ設置してあるのは前稿の火の見櫓(753)と同じ。なるほど、機能的にはこれでこと足りる。このような見張り台もなかなか魅力的だ。
このような見張り台だと、火の見櫓に正面、側面というような向きがあるように感じる。
722 撮影日161122
■ 南相木川沿いの道路を上流方向に進んでこの火の見櫓と出合った。
それ程背が高くなく、踊り場は無い。見張り台が櫓の1面にのみ設置してあるのは前稿の火の見櫓(753)と同じ。なるほど、機能的にはこれでこと足りる。このような見張り台もなかなか魅力的だ。
このような見張り台だと、火の見櫓に正面、側面というような向きがあるように感じる。
(再) 南佐久郡南相木村(群馬県と境を接する長野県の東信の村)にて 撮影日161122
■ 前稿と同じ火の見櫓を別の方向から見る。火の見櫓は見る方向によって背景も変わるし、火の見櫓そのものの印象も異なる。近くを歩いて、あちこちから見るのも好い。これだけでも楽しい。
*****
遠くから火の見櫓の姿・形を見たら、近づいて細部を観察する。
脚部を成す等辺山形鋼(アングル)の斜材と、やはり等辺山形鋼の横架材との接合部、脚の付け根の様子。斜材は1本の部材を折り曲げてつくり、プレートを介して横架材とボルトで接合している。鋼材の1辺をカットして曲げているが、構造的には気になるところ・・・。
721
■ 南相木村は南相木川沿う谷あいに集落が点在している。川沿いの道路を進むと川に架かる橋のたもとに火の見櫓が立っていた。
近くで火の見櫓を見上げるように見た瞬間、似ている!と思った。
東京は新橋の「静岡新聞・静岡放送 東京支社(過去ログ)」に似ていると思ったのだ。形が似ているし、構造的にも似ている。
この火の見櫓は踊り場も見張り台も櫓からキャンチレバーで付けている。丹下健三設計のこのビルと構造システムの基本原理は同じ、とみてよいだろう(ホントかな)。
①
719 南佐久郡南相木村日向 撮影日161122
■ 昨日(1122)東信で残っていた川上村、南牧村、南相木村、北相木村を訪ねた。この内、南相木村と北相木村は初めて。両村はもともとひとつの村で、1565年(ずいぶん昔のことだ)南北に分立したことをネット情報で知った。
村に入って最初に出合ったのがこの火の見櫓。平面が4角形の櫓、かなり反りのきつい方形(4角錐)の屋根と円形の見張り台。 脚は垂直気味、その上の櫓は直線的に逓減している。見張り台の上の柱は垂直。見張り台の大きさに対して屋根が小さめ。
②
本稿に載せる全形写真をどちらにしようか迷った。奥行き感のある①の写真も「火の見櫓のある風景」として好きだし、②は火の見櫓が立体的に写っていて、姿・形が分かりやすい。また背景には蔵が写っている。結局両方とも載せることにした。②には脚元に取り付けてある消防信号板も写っている。説明的で分かりやすい方を選ぶとすれば②かな・・・。
梯子の段数を数え、ピッチ(間隔)を調べて、見張り台の床面までの高さが約6.7メートルだと分かった。総高は10メートルくらいだろう。
屋根の頂部の避雷針に付けられた細い丸鋼の飾りは下にだらんと垂れてしまったかのような形にも見えるし、避雷針を支えているようにも見える。屋根の4隅(下り棟の先)には平鋼の蕨手がついている。
道路側に設置された照明は夜に火の見櫓に登りやすいように、そして半鐘が叩きやすいように、ということもあるだろうが、街灯と捉えた方がよさそうだ。
この火の見櫓は脚部に注目。正面の脚部を後から直している。他の3ヶ所の脚部と同じようにつくったが、櫓の中に入って梯子を登るときに頭をぶつけることがあったのではないか。
火災が発生して半鐘を叩くとき、消防団員は冷静ではいられないだろう。とにかく急いで登ろうとする。その時、ガツン!とぶつけてしまうことがあった、と想像する。それで、このように手直ししたのではないか。
久しぶりに櫓の中に入って(ここまでなら咎められないだろう。登るのはダメ)見上げた。見張り台の床の開口がずいぶん大きく、床面が少ない。半鐘が円く写っている。
じっくり観察すると、いろんなことが見えてくる・・・。
撮影日 161122
◎ ここは南佐久郡南牧村海尻。後方の火の見櫓(514 *1)は生活道路をまたいでいる。南牧村でマンホール蓋を撮るなら、この火の見櫓を背景にしようと決めていた。
マンホール蓋には八ヶ岳をバックに村の花・スズランが描かれている。「みなみみまき」「おすい」と記してある。
*1 見張り台の床面までの高さは約12メートル。櫓の上半分くらいは逓減していない。
火の見櫓(509 川上村原、川上第一小学校の近く)を背景に川上村のマンホール蓋を撮った。撮影日 161122
◎ マンホール蓋を扇型に3分割して川上犬、村の花のシャクナゲ、村の鳥のウグイスと背景に村の木のカラマツを描いている。中心に川上村の村章を納めている。「かわかみ」を図案化したという説明が村のHPにある。なるほど、「か」と「み」に読める。「わ」は円弧で表現しているのかな。
この蓋も近くにあった。川上犬が描かれていない。共に「川上村」と「特環」の文字がある。特環は特定環境保全公共下水道の略だと調べて分かった。
◎ 火の見櫓(750)を背景に山梨県北杜市のマンホール蓋の写真を撮った。隣の建物は清里駅前公民館。
背景の山は八ヶ岳しか考えられない。茅葺きの家並み、そして清流、牛はたぶん乳牛。下に「ほくと」と「下水」の文字。
718 清里駅近くの火の見櫓 撮影日 161122
■ 消防倉庫の屋上に立つ火の見櫓。倉庫は鉄骨造。その柱を屋上に立ち上げ、火の見櫓の上部を支える脚としているのであろう。倉庫の中と屋上を見れば分かるのだが・・・。
見張り台に半鐘の他にスピーカー付きのモーターサイレンを設置し、さらに見張り台の下にもスピーカーを4方に向けて設置してある。
見たこともない形の火の見櫓をどう評したものか、戸惑う。
■ FM長野の夕方4時から7時前までの帯番組「ラジモ!」の「ジモトーク」というコーナーで私へのインタビューが放送されました。
ハラハラ、ドキドキ。
私の冗長な話を小林 新さんとダイナマイトマンダムさんにうまくまとめていただき、ほっとしました。
おふたりが使った「ヤグる」という言葉、これから私も使わせていただきます。
リスナーの皆さんから番組にメッセージが多数寄せられ、彼氏が火の見櫓に登って半鐘を叩くのを櫓の下で見ていたとか、小学生の時に割り箸で火の見櫓をつくったことがある、家の近くにも火の見櫓があります、などのメッセージが読まれました。
*****
おふたりが話題にされた松本市波田の火の見櫓がこちらです。クリスマスが近づくとイルミメーションが飾られ、きれいです。国道158号沿いに立っていて目立ちます。
撮影日 2010年12月14日
来週も同じ時間帯に「火の見ヤグラー入門編」が放送される予定です。
リスナーの皆さんが火の見櫓に興味を持っていただければ幸いです。
(再)撮影日161022
■ 上田市真田町傍陽曲尾で見かけた火の見櫓。先日取り上げているが、再度。
脚が4本、4角形の櫓。末広がりのカーブが絶妙、これ以上カーブがきつくても、なだらかでもダメ、このカーブしかない。この櫓の形は構造力学的な合理性からくる必然であり、東京タワーにも似ている。
踊り場が東信方面では一般的なカンガルーポケット(私が勝手に呼んでいる)だから、柱が脚元から見張り台のところまで途切れることなく見えている。4本の柱をつないでいる水平部材の間隔が上方に行くにしたがって狭くなっているが、この逓減も好い。
屋根も見張り台も形が整っていて美しく、両者の大きさのバランスも良い。スピーカーなど「余分なもの」がついていないのも好ましい。
方形(ほうぎょう:4角錘)屋根の先には蝶の口吻にも、山菜のワラビにも似た飾りがついている。祭り神輿の屋根にもついているこの飾りは蕨手。
円形の見張り台、手すりはシンプルで飾りもない。
消防信号板が見張り台にあるが、消防団員が半鐘を叩くときに参照しやすく、この位置が好ましい。
既に700基を超える火の見櫓を見てきたが、その中で姿・形が整っていて美しいことに関してはベスト3に入るだろう。
美術館の外壁に取り付けられた道神面
■ 松本市里山辺の「おっとぼけ美術館」に行ってきた。今、美術館では開館記念企画展「おっぼけ万博」が開催されている。
館内には美術館の外壁に付けられている「道神面」や世界のお面、各地の民芸品に加えて県内外の作家約40人のご祝儀作品が高密度に展示されている(その様子を紹介する松本経済新聞の記事)。
それにしてもすごい、これだけのご祝儀作品が集まるなんて・・・。館長の人柄、魅力に惹かれている人が多いということだろう。展示作品はどれもとても魅力的で見ていて飽きなかった。
*****
私は館長が発行しているフリーペーパー(現在は有料)の文章のユニークな表現に惹かれていて(過去ログ)、いつかお会いすることができたら、と願っていた。それが私の作品?を展示していただくことにまでなろうとは・・・、人と人の繋がりというか、縁って不思議なものだ。
私はお面が好き。旅行先で買い求めたお面を自室に飾っている(写真)。だから、おっとぼけ美術館のお面には大いに惹かれた。
86枚目 FM長野の小林 新さん
87枚目 ダイナマイト マンダムさん
■ FM長野のスタジオでおふたりから火の見櫓についてインタビューを受けました。スタジオ入りする前に名刺をお渡ししました。
私が座った席からおふたりを撮りました。収録はこんな位置関係で行われました。
いや~、難しかったです。要領よく火の見櫓の魅力について語るというのは。滑舌悪く、口はまわらず、話は冗長・・・。
おふたりにブログで紹介させていただきたいとお願いし、了解していただきました。
「お母さん、あの箱どうするの?」
正広が聞いた。
「多分火葬場で焼かれるんでしょう」
「どうして?」
「どうしてって、日本では死んだ人は焼かれるんです」
正広はぎょっとしたように私の顔を見た。
「僕だって死ねば焼かれる?」
「そうよ、誰だってそうなのよ。だから死んじゃいけない、ね」
藤原ていさんの『流れる星は生きている』を読み終えた。終戦を満州で迎えたていさんは3人の幼い子供と共に命がけで日本に引き上げてくる。長男が5歳、次男(数学者の藤原正彦さん)が2歳、末っ子はまだ乳飲み子。ていさんを支えたのは我が子を死なせてなるものか!という強い意志、深い愛情だった。
「日本人、ほんとうに気の毒だと思っています。だが、今あなたにものを上げると、私は村八分にされます。(中略)日本人をみんな恨んでいます。でも、あなた方にはなんの罪もありません。今、私がものを捨てますから、あなたは、それを急いでお拾いなさい」
私は人の情けに涙した。
苦労に苦労を重ねて朝鮮半島を南下、ようやく釜山へ、そして帰国。博多から汽車で諏訪へたどり着く・・・。
「しっかりしなさい、てい子」
「さあ、しっかりつかまって」
私は両親に両方から抱きかかえるように支えられて霧の深い町を歩いて行った。
「これでいいんだ、もう死んでもいいんだ」
(中略)
「もうこれ以上は生きられない」
私は母親の深い愛情に感動、涙した。
久しぶりにいい本を読んだ。
2009年9月14日の記事を再掲しました。
■ 昨日(19日)の朝刊で小説家・随筆家、藤原ていさんの死去が報じられた。98歳、老衰だったという。昭和24年に書かれた「流れる星は生きている」がベストセラーになったことが記事にある。長女の咲子さんの**「私を必死に守り抜いてくれた母には感謝しかない」**というコメントも載っている(19日付信濃毎日新聞朝刊 35面、第一社会面)。
謹んで哀悼の意を表します。
■ しばらく宇江佐真理の作品から離れていたが、再び読むことにした。で、書店で『三日月が円くなるまで 小十郎始末記』角川文庫を買い求めた。
カバー裏面の紹介文の最後に**ほろ苦く切ない江戸の青春時代小説」。**とある。この「ほろ苦く切ない」に、もっと絞れば「切ない」という言葉に僕は惹かれる。
角川文庫の宇江佐作品では『雷桜』を読んだ。できれば文庫になっている作品を全て読みたいと思うが、他にも読みたい本がある。「その時読みたい本を読む」ことにする。
忘年会シーズンになってきた。これから読書に充てる時間があるかどうか・・・、いや、そこは本人の意思次第。まあ、べつに読書は義務でもないし・・・。