◎ 火の見櫓(489)を背景にしたマンホール蓋の写真が撮れた。
水海道市(現 常総市)のマンホール蓋 撮影日161213
市の花・サクラに市の鳥・ウグイスを重ねてデザインしている。上に「I LOVE MITSUKAIDO」、下に「おすい」と表記している。
水海道市の市章
消火栓の蓋 消防自動車の側面を描き、市章を入れている。
◎ 火の見櫓(489)を背景にしたマンホール蓋の写真が撮れた。
水海道市(現 常総市)のマンホール蓋 撮影日161213
市の花・サクラに市の鳥・ウグイスを重ねてデザインしている。上に「I LOVE MITSUKAIDO」、下に「おすい」と表記している。
水海道市の市章
消火栓の蓋 消防自動車の側面を描き、市章を入れている。
(再) 火の見櫓のある街並み 撮影日161213 茨城県常総市水海道宝町
以前同僚のY君がこの火の見櫓の写真を撮ってきてくれていた(過去ログ)。その時から実際に見てみたいと思っていたが、先日(13日)その機会を得た、いや作った、と書くべきだろう。結城から引き返し、関東鉄道常総線の水海道駅で下車してこの火の見櫓を見に行った。
見張り台に小屋を設けていることも珍しいが、脚部を鉄筋コンクリート(RC)で造っていることが一番の特徴。この脚部について、鋼製の脚部を後年、鉄筋コンクリートで包んだのではないかと書いたが、同時施工だったのではないか、と今では思っている。施工手順はコンクリート後打ちになるが。
何のためにこのようにしたのだろう。脚部に必要な強度を確保するためにSRC造にした、鋼材の保護(発錆を防ぐ)ため ということくらいしか思いつかないが、強度は何もこんなことをしなくても確保できる。発錆を防ぐなら、防錆塗装を定期的にきちんとすればよい。どうも他に理由があるような気がする・・・。
火の見櫓のすぐ近くにこんな表示があった。コンクリとはコンクリートのことに違いない。 この火の見櫓の脚部を鉄筋コンクリート造にしたことと何か関係があるかな? ないか。
結城駅から引き返す。結城駅発14時13分友部行きの列車で下館まで戻る。下館着14時26分。関東鉄道常総線で水海道まで戻る。水海道着15時37分。その後の乗り継ぎ時刻はメモしていないが、山手線の御徒町駅に17時35分ころ着いた。結局、この火の見櫓を見るだけに一日費やしたことになる。趣味とはこういうものだ。マニアな世界は他人(ひと)の理解の及ばないところにある(なんちゃって)。
■ ここは結城市、JR水戸線結城駅から徒歩で10分くらいのところ。信号機の右側の角地に6角形の火の見櫓が立っているはずだった・・・。でも撤去されてしまっていた。
新宿から電車を乗り継いでここまで来るのに4時間近くかかったのに(*1)、残念。改めて火の見櫓は次第に撤去されていることを実感した。まあ、こんなこともあるさ。
で、マンホール蓋を撮って駅に引き返した。
撮影日161213 結城市の花、ユリをデザインしている。
結城駅前で見つけたカラー蓋。
*1 松本駅発6時51分、新宿駅着9時26分。中央線に乗り換えて東京駅へ。7番線で常磐線に乗り換える。東京駅発10時3分、取手駅着10時42分。ここで関東鉄道常総線に乗り換える。初めて乗る路線。取手駅発10時45分。わずかな乗り換え時間で乗り越しの清算をし、下館までのきっぷを購入する。
途中、水海道(みつかいどう)駅で1両編成の車両に乗り換える。乗客10数人。
北関東の平野部に敷かれた単線を行く(後方を望む)。
下館駅着12時15分。ここでJR水戸線の小山行きに乗り換える。 発車時刻は12時59分。待ち時間が40分以上ある。 で、食事をすることに。駅前通りに食堂見つからず。駅の売店でサンドイッチと缶ビールを買い、ベンチで食べる。これも旅。 結城駅着13時12分。新宿駅からの所要時間:約4時間(新宿駅着9時26分→結城駅着13時12分)
結城市内の町屋 撮影日161213
(再) 山梨県北杜市小淵沢町上笹尾
■ 一昨日と昨日(13、14日)の2日間は代休で東京してきた。いつもの通り松本6時51分発のスーパーあずさ4号に乗り、いつもの通り進行方向右側の席に座った。
小淵沢駅を過ぎ、あずさは甲府盆地に向かって下っていく。いつも見る火の見櫓(過去ログ)が視界に入ってきた。あずさから見える好きな風景のひとつ、火の見櫓が風景を特徴づけるということの好例だ。
今回、初めて写真を撮ってみた。一瞬のためらいがシャッターチャンスを逃す。難しい。なんとか、撮ることができた。
これからは、窓外の火の見櫓の撮影を試みてみよう。
■ 宇江佐真理さんの代表作『髪結い伊三次捕物余話』シリーズは子育ての物語として読むことができる。本業の髪結いの傍ら、町方同心の手先をつとめる伊三次と勝気な美人芸者・お文とがあれこれあって後、結婚して、授かった子どもを育てていく。巻を重ねて宇江佐さんは物語の主役を子どもに移していく・・・。
*****
宇江佐真理さんの『三日月が円くなるまで 小十郎始末記』角川文庫を読んだ。このタイトルには半人前の若者、半月ではなく三日月だから半人前でもないのか、が円くなるまで、そう、一人前の大人になるまでの成長を描く、というテーマが示されている。読み始めたときにこう思った。
**「三日月が円くなるまで仙石領か・・・」
賢龍の言っていた言葉が思い出された。三日月が満月となるまで歩き続けても、まだ仙石領地であると、その広さを大袈裟に褒め上げたものだ。**(53頁)という説明が出てくるが、タイトルに込めた宇江佐さんの想いは違うところにあるのだろう。やはり宇江佐さんは母親の優しいまなざしで我が子を見守るように作品を書いていたに違いない。
南部藩と津軽藩、実在した両藩の名を仙石藩と島北藩に変え、実際にあった両藩の騒動をベースに物語を描いている。
仙石藩主の汚名をはらす。
正木庄左衛門は藩命を受けて立ち上がる。庄佐衛門の助太刀を父親に命じられた刑部(おさかべ)小十郎が主人公。
物語は進み、ふたりは同志とともに島北藩の参勤交代の道中で一行を襲撃するという奇襲作戦を立てる。**「我らは羽州街道のいずれかで一行を待ち伏せする。短筒の二、三発も撃ち、奴らが怯んだ隙に島北公の乗り物の前に躍り出て、その首級を頂戴するという寸法だ」**(216頁)
この企みを知った島北藩の一行は参勤交代の道筋を変える。それで、作戦は失敗に終わる。主犯の庄左衛門は捕縛されて処刑される。一方、小十郎は仙石藩の江戸屋敷に一年余り匿われて助かる。**お前ばかりが、のうのうと生き延びて。**(256頁)藩士たちの冷ややかな眼。
宇江佐さんは上述した両藩の騒動(本稿では経緯をきちんと書いていないが)を「地」に恋物語を描いている。
庄左衛門が藩主の汚名を雪ぐ(そそぐ この表記は本書を読むまで知らなかった)ために藩の御長屋を飛び出すと、助太刀を命じられた小十郎も御長屋を出て借家住まいを始める。紅塵堂という古道具屋の主が大屋で、その娘・ゆたとの恋物語が本流。
**若い娘が店番をしており、「お越しなさいまし」と応えた。美形の娘だった。大きな二重瞼、くっきりと濃い地蔵眉、細い鼻、桜色の唇。おまけに肌はつるりとしてしみ一つない。年は十六、七だろうか。**(11頁) 小十郎は初対面の娘を仄暗い店の中でよくここまで観察したものだと思うが、そこは宇江佐さんも読者のためにきっちり説明しておきたかったのだろう。
**「早く戻らなければお内儀が心配するぞ。若い娘が男一人の住まいにいつまでもいるのは感心せんことだ」
「早く帰らせたいの?」
ゆたは試すように訊く。
「いや、そういう訳ではないが・・・」
「もしかして、これが今生のお別れになるかもしれないのに」
(中略)
「あたし、待っていてはいけませんか」**(194、5頁)
いいなあ、こういう古風な会話。
物語は進む。
**「紅塵堂のゆたさんは祝言を挙げられるそうです。お相手は鳶職(とび)をしている方で、早い話、町火消しです」**(251頁)
あれ?、ふたりは結ばれないのか・・・、と思いつつ、物語の終盤を読み進む。ちゃんとハッピーエンドが待っていた。
宇江佐さんが描く物語はあったかい。次も宇江佐さんの作品で『昨日みた夢』角川文庫。
■ 今日、12月9日は夏目漱石の命日。
ちょうど100年前の1916年(大正5年)12月9日に漱石は他界した。**臨終間際に娘たちが涙を流したとき、父漱石はやさしく、もう泣いてもいいんだよと言ったそうだ。彼はしばしば子供たちに怒りをぶつけ、泣くなと怒る人物だった。筆子は父の不合理な怒りに泣くと、そのことでまた泣くなと叱られていた。死に際して彼は本来の持ち前を表に出し、優しい本性を示すことができたのである。**(294頁)
今日『夏目漱石』十川信介/岩波新書 を読み終えたが、漱石の命日だとは知らなかった。この偶然に驚いた。上に引用したのは本書の最後の一文。
今年の年越し本は『吾輩は猫である』(←過去ログ)にするか・・・。
冬のフォトアルバム 常念岳のモルゲンロート 撮影日時 161203 06:46AM
▲ 計画的な山あてだったのか、偶然こうなったのか分からないが、常念岳がアイストップになっているこの通り、常念通りと名付けられたのはそれほど昔のことではないという。
冠雪した常念岳が朝日に染まった様を先日常念通りから見た。やはり朝の風景は好い。
半田東湯
覗いてみたのは向かって右側の女湯
呉服座
本郷喜之床
文京区本郷にあった床屋、石川啄木が明治42年3月から家族とともに2階で暮らしたそうだが、台所もないところでどのように?
今月3日の午後、明治村でいくつかの建造物を駆け足で見て廻った。
印象に残ったのは森鴎外・夏目漱石が暮らした住宅。漱石はこの書斎で「吾輩は猫である」を書いたのか、そうか、猫はこの家で飼われていたのか・・・。猫のためのくぐり戸があるそうだが、見てこなかった。いかんなぁ。
それから品川燈台。美しい!
明治村6
■ 愛知県犬山市の明治村に行くことが決まり、「村内地図」を見ていて、この「金沢監獄 中央看守所・監房」を是非見たいと思った。
監房棟は中廊下型のプランであり、廊下の両側に独房が規則正しく並ぶ様は「繰り返しの美学」な光景であろう、と容易に予測できたから(*1)。
中央に看守所が配置され、5つの監房棟が放射状に配置されていたことが分かる。明治村には中央看守所と第五舎房の一部のみが移築保存されている。
▲8角形の中央看守所外観
▲第五監房棟外観(移築されたのは一部)左後方は第四監房棟の「付け根」部分。
▲中央看守所の屋根の塔
移築される前は廊下の長さはこの5倍くらいだったことが、説明板の配置図に示されている。その繰り返しの美学を見たかった・・・。
火の見櫓でよく見るリング式ターンバックルが使われている。そう、昔は建築にもごく普通に使われていたのだ(過去ログ)。
▲独房
*1 『建築探偵雨天決行』藤森照信・増田彰久/朝日新聞社 に旧中野刑務所が載っている。独房が廊下の両側に規則的に並ぶ「繰り返しの美学」が印象的。
金沢監獄 中央看守所・監房:旧所在地 金沢市 建設 明治40年
明治村5
■ 建設:明治37年 高さ約6.7メートル
屋根の頂部のミラーボールのような造形は好みではないが、その他はなかなか好い。 ここまで重厚な火の見櫓は見たことないなぁ。
明治村3
■ 品川燈台は明治3年に東京・台場に建設された。観音崎、野島崎に続いて、洋式燈台としては日本で3番目。設計はフランス人のフロランという技師。7500個のレンガを用いたレンガ造。大正12年の関東大震災でも無事だった。東京港拡張工事に伴い昭和32年12月に廃燈。昭和39年に明治村に移築、昭和43年に重要文化財に指定された(以上 現地の説明文による)。
美しいデザイン!! 私はどうやら塔状の工作物に惹かれるようだ。
明治村(愛知県犬山市)は30数年ぶり。1丁目から5丁目までエリア分けされていて、60数余の建造物が移築保存されている。駆け足でいくつかの建造物を見た。
幸田露伴住宅「蝸牛庵」を見た後、予定していなかった品川燈台を見学した。美しい造形に魅せられた。
明治村1
▲南側外観
▲平面図 説明看板より
▲書斎
▲茶の間
▲座敷 奥は寝室
明治20年ころに文京区駒込に建設された住宅。
森鴎外が明治23年に借りて1年余り暮らした。その後、夏目漱石が明治36年から39年まで暮らした。漱石はこの住宅で『吾輩は猫である』を書いた(*1)。明治村行が決まったとき、この住宅は是非観ようと思っていた。そうか、この住宅に苦沙弥先生を訪ねて迷亭や寒月、東風はじめ何人もの人物がやってきていたんだ・・・。
鴎外が暮らしていた頃は樋口一葉(*2)がここを訪ねてきたのかもしれない。
*1 「吾輩は猫である」連載年:明治38~39年
*2 明治5年~明治29年
岐阜市の市章
◎ ぎふメディアコスモス(前稿)の近くの歩道で見かけた岐阜市のマンホール蓋。
鵜飼の鵜が鮎を追いかける様子がデザインされている。点対称ではないが、回転運動をイメージさせるデザインで円い蓋にふさわしい。
地は竹籠の籠目模様で、真ん中に小さく岐阜市の市章が描かれている。
■ 岐阜市司町に昨年(2015年)7月に開館した「みんなの森 ぎふメディアコスモス」は岐阜市の中央図書館と市民活動センター、多文化交流プラザから成る複合施設。設計はプロポーザルで選ばれた伊東豊雄さん。建築雑誌(「新建築 2015 9月号」)でこの建築を見てから、いつか見学に行きたいと思っていたが、昨日(12月3日)その機会があった。
▲正面外観(ファサード)
外壁はガラス。従来の建築との違いはアルミのフレームを木でカバーしていること。外壁に木を面的に使っているわけではなく、線的に(線状部材として)使っているだけだが、受ける印象は柔らかい。外部に無防備に木を使ってはいないだろうから、耐久性を増した木を使っているのだろう。
先日着工した信濃毎日新聞松本本社、「信毎メディアガーデン」も伊東さんの設計でファサード上部のデザインが似ているが、同じ構法(建築部位の構成システム 工法とは意味が違う)なのかもしれない。信毎の建築にも注目したい。
▲1階エントランスホール
▲1階市民活動交流センター
木製の格子状の屋根・天井とグローブと名づけられた照明のシェードのような半透明の傘によって創りだされている2階の独創的な空間が魅力的。
幅120ミリ、厚さ20ミリのヒノキ材を3角形の格子状に積層させて構成した緩やかな起伏のある天井。
直径8から14メートルの11個のグローブはポリエステル製織物、特殊不織布貼り。
グローブが木製格子の大きな空間の下に小さな領域、エリアを創りだしている。このデザインが斬新。柔らかで居心地の良い空間は和のテイスト。
グローブにはそれぞれ違うパターンが施されている。
グローブ頂部は開閉式のトップライトになっている。中間期には自然換気のみの空調とし、省エネ化が図られている。
美しい空間に魅せられた。
相合傘はふたりだけの空間だが、グローブという傘の中はみんなの空間。
撮影許可を得ています。