(塩尻)
塩尻宿は、天保年間の記録によれば本陣一、脇本陣一、旅籠七十五軒と、中山道六十九次の宿場中二番目に大きな宿場町であった。初期には松本藩の玄関口として栄え、享保年間以降は天領となった。明治十五年(1882)および明治十六年(1883)の二度にわたって大火に襲われ、ほとんど往時の建物は残っていないが、本陣跡、脇本陣跡、高札場跡などに跡地を示す石碑が建てられている。
塩尻宿
塩尻宿脇本陣跡
明和八年(1771)以降明治に至るまで、塩尻宿本陣は川上家が務めていた。本陣は間口二十四間を誇り、中山道で最大規模のものであった。残された見取図によれば、邸内を用水が流れ、溜池があり、酒造場や醤油蔵を備えた巨大な住宅であったことが伺える。皇女和宮下向の折にも、昼食の席を提供した記録が残っている。残念ながら、明治十五年(1882)の大火で全焼してしまった。本陣跡の空間の一画に明治天皇御膳水碑が建てられている。
なお脇本陣は、本家川上家の第一分家である川上喜重郎家が務めた。
中山道塩尻宿 本陣跡
明治天皇塩尻御膳水
明治天皇鹽尻行在所
塩尻交差点のすぐ脇、上問屋場跡に明治天皇塩尻行在所跡碑が建てられている。明治天皇が塩尻に行幸したのは、明治十三年(1880)六月のことであった。
(塩嶺御野立公園)
旧中山道を塩尻から岡谷方面に向かうと、塩尻峠に御野立公園がある。明治十三年(1880)六月二十四日、明治天皇が甲州・信州を巡幸した際に当地で野立を行ったことを記念して整備された公園である。明治天皇に関する石碑が建てられているほか、三階建ての展望台からは南に諏訪湖、北には乗鞍岳や北アルプスを臨むことができる。
聖駕駐輦記
聖駕駐輦記碑は、有栖川威仁親王による篆額。股野琢による撰文ならびに書。明治三十九年(1906)の建碑。
展望台からの眺望
諏訪湖方面
明治天皇御野立所
明治天皇塩尻峠御野立所
(上条茶屋本陣跡)
上条茶屋本陣跡
塩嶺御野立公園から旧中山道を塩尻側に二百メートルほど下ると、上条茶屋本陣がある。茶屋本陣は、大名や旅人が休息をとるための施設で、今も上条家が当地に住んでおられる。茶屋の向かい側には明治天皇塩尻嶺御膳水の石碑と、その後ろには古い井戸が残されている。
明治天皇塩尻嶺御膳水
井戸
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