(行信)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/b2/580631c20a18aa3fa20a7365a0cd79ab.jpg)
温知館跡
温知館は、明治七年(1874)に、山田方谷の塾生矢吹正誠がこの後背地に設立したもので、方谷は開校式に望み「論語」を講じた。塾名は方谷の命名である。
(大戸)
知本館の碑
美咲町大戸下の吉井川にかかる橋のたもとに知本館の碑がある。知本館は、山田方谷の指導によって学問のともし火が輝いたことを記念するために有志の人々によって建てられたものである。碑には、方谷の和歌二首が記されている。歌にある「癸酉のとし」は、明治六年(1873)のことである。
ふみ見るも鋤もて行くもひとすじの
学びの道のあゆみなるら免
世のためとおもへば楽し鋤つかふ
くるしき業に身はやつすとも
癸酉のとし八つ月の月末つかた、方谷の翁しるす
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温知館跡
温知館は、明治七年(1874)に、山田方谷の塾生矢吹正誠がこの後背地に設立したもので、方谷は開校式に望み「論語」を講じた。塾名は方谷の命名である。
(大戸)
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知本館の碑
美咲町大戸下の吉井川にかかる橋のたもとに知本館の碑がある。知本館は、山田方谷の指導によって学問のともし火が輝いたことを記念するために有志の人々によって建てられたものである。碑には、方谷の和歌二首が記されている。歌にある「癸酉のとし」は、明治六年(1873)のことである。
ふみ見るも鋤もて行くもひとすじの
学びの道のあゆみなるら免
世のためとおもへば楽し鋤つかふ
くるしき業に身はやつすとも
癸酉のとし八つ月の月末つかた、方谷の翁しるす
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