史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

高梁 Ⅳ

2019年06月01日 | 岡山県
(山田方谷記念館)


山田方谷像

 久しぶりに高梁市の郷土史料館を訪ねたところ、その隣に山田方谷記念館が開設されていた。あとで調べたところ、この記念館がオープンしたのは、わずか数か月前のことで、まだ真新しい施設である。入館料は大人五百円。六十五歳以上の方は無料。
 入ると、いきなり二体の山田方谷像が出迎えてくれる。一つは郷土史料館の前に立つ像、もう一つは備中高梁駅前に立つ像の、いずれも原型である。


山田方谷記念館

 記念館では「儒学者への道」「備中松山藩の藩政改革」「教育への情熱」という三つのテーマに分けて、歴史資料や解説パネルにより、山田方谷の事績について分かり易く紹介している。
 山田方谷所縁の史跡も紹介されている。ここで情報を入手して、この後、美咲町の知本館と温知館を訪ねることにした。

(高梁基督教会堂)


高梁基督教会堂

 有終館跡の斜め向い側に立つ教会は、新島襄ゆかりの教会として知られる。
 高梁市でのキリスト教活動は、明治十二年(1879)十月の布教に始まり、翌十三年(1880)、新島襄が来高して活動が急速に発展した。明治十五年(1882)四月、高梁基督教会が創立された。一部の町民の感情的な反対運動もあったが、信者の団結が高まるとともに教会堂建設の要望も強まり、信者の浄財によって明治二十二年(1889)に教会堂が建設された。この教会堂は、現存する県内最古の教会堂であり、プロテスタントとしては全国でも同志社のチヤペルに次いで古い教会堂である。高梁市内で最初に建てられた擬洋風建物でもある。設計は、今治市出身の吉田伊平。

(備中高梁駅)


山田方谷像


至誠惻怛(しせいそくだつ)

 備中高梁駅前に山田方谷の銅像が建てられたのは、平成二十九年(2017)のことである。銅像の横には、山田方谷が河井継之助に贈ったといわれる「至誠惻怛」という王陽明の言葉が刻まれている。方谷は、まごころ(至誠)と、いたみ悲しむ心(惻怛)の二つを兼ね備えて生きることが、人としての大事な基本姿勢だと説く。

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