平成十五年(2003)に八王子市郷土資料館が刊行し、今も版を重ねているブックレットである。郷土資料館にてわずか三百円で手に入れた。ただみたいな値段であるが、内容は決して薄くない。
八王子千人同心は、それまでの日光勤番に加えて、幕末には長州征伐や将軍の上洛警護にも借り出された。客観的には幕府に酷使されているかのような印象まで受けるが、それでもひたすら忠勤を尽くした彼らには家康の代から徳川家に仕えているという矜持があったのであろう。
慶應四年(1868)六月七日、新政府は、幕臣と同じく千人隊(戊辰戦争にあたって千人同心によって結成された組織)士にも朝臣となるか、徳川家に従って駿河に移住するかの選択を迫った。半士半農であり、農地を所有していた千人同心は、敢えて無禄で駿河に移住しなくても、そのまま帰農するという選択肢もあったし、生活を考えればおそらくそれが一番自然な結論だと思われるが、河野仲次郎ら千人隊之頭と呼ばれる人たちは、例外なく静岡に移住した。また千人隊士のうちからも若干名は静岡移住を希望し、五十人ほどは朝臣への願いを出したという。
静岡に移住した千人同心は、半士半農の経験やスキルを活かして、掛川における織物技術の指導など、その才能を発揮したものもあったようである。しかし、現地での暮らしは決して安楽なものではなかったようである。結局、移住した多くの旧千人隊士は、その生活に耐えかね、帰郷を望むようになった。明治六年(1873)には、旧千人隊士の指導的立場にあった河野仲次郎が、明治十一年(1878)には志村源一郎が上京して大蔵省に出仕し、前後してほとんどの旧隊士は帰郷を果たし、彼らの徳川帰参の夢は水泡に帰したのであった。
その後も平民籍となった旧千人隊士は、復籍と復禄を求める復権活動を開始し、明治三十三年(1900)、ようやく請願が受け入れられ、六十八名の士族編入が許可された(ただし復禄は拒否)。
八王子千人同心のユニークな歴史を知ることのできる一冊である。
八王子千人同心は、それまでの日光勤番に加えて、幕末には長州征伐や将軍の上洛警護にも借り出された。客観的には幕府に酷使されているかのような印象まで受けるが、それでもひたすら忠勤を尽くした彼らには家康の代から徳川家に仕えているという矜持があったのであろう。
慶應四年(1868)六月七日、新政府は、幕臣と同じく千人隊(戊辰戦争にあたって千人同心によって結成された組織)士にも朝臣となるか、徳川家に従って駿河に移住するかの選択を迫った。半士半農であり、農地を所有していた千人同心は、敢えて無禄で駿河に移住しなくても、そのまま帰農するという選択肢もあったし、生活を考えればおそらくそれが一番自然な結論だと思われるが、河野仲次郎ら千人隊之頭と呼ばれる人たちは、例外なく静岡に移住した。また千人隊士のうちからも若干名は静岡移住を希望し、五十人ほどは朝臣への願いを出したという。
静岡に移住した千人同心は、半士半農の経験やスキルを活かして、掛川における織物技術の指導など、その才能を発揮したものもあったようである。しかし、現地での暮らしは決して安楽なものではなかったようである。結局、移住した多くの旧千人隊士は、その生活に耐えかね、帰郷を望むようになった。明治六年(1873)には、旧千人隊士の指導的立場にあった河野仲次郎が、明治十一年(1878)には志村源一郎が上京して大蔵省に出仕し、前後してほとんどの旧隊士は帰郷を果たし、彼らの徳川帰参の夢は水泡に帰したのであった。
その後も平民籍となった旧千人隊士は、復籍と復禄を求める復権活動を開始し、明治三十三年(1900)、ようやく請願が受け入れられ、六十八名の士族編入が許可された(ただし復禄は拒否)。
八王子千人同心のユニークな歴史を知ることのできる一冊である。
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